ジョン・レノンは「イマジン」など数々の名曲を残したことで知られる音楽家です。
最初はビートルズのメンバーとして活躍していましたが、ソロ活動を始めてからも多くの楽曲を発表しています。すでに亡くなっていますが、彼が生み出した曲は現在でも愛され続ける名曲ばかりです。
また、ジョン・レノンはオノ・ヨーコと結婚したこともあり、日本にもたびたび訪れていました。
この記事では、ジョン・レノンの人物像やビートルズ時代、ソロ時代の代表曲、名言などを紹介します。ジョン・レノンについてあまり知らないという方は、ぜひご一読ください。
ジョン・レノンとは
ジョン・レノン(John Lennon)は、イギリス・リバプール生まれのロックミュージシャンです。1940年10月9日に生まれて、1980年12月8日に亡くなりました。ビートルズ結成時のメンバーでしたが、のちに解散しています。
ジョン・レノンは1953年に、バンド「クオリーメン(The Quarry men)」を結成しました。1956年にポール・マッカートニーが、1958年にはジョージ・ハリソンがメンバーとして加わります。
その後「シルバー・ビートルズ」時代を経て、1960年に「ビートルズ(The Beatles)」と改名しました。1962年にはビートルズにリンゴ・スターがメンバーとして加わります。
ビートルズの解散後、ソロ活動へ
ビートルズは活動範囲を広げ、メンバーのソロ活動も徐々に始まりました。1970年にポール・マッカートニーの脱退声明によって、ビートルズは解散に至っています。
解散後、ジョン・レノンはソロ活動に入りました。
ジョン・レノンは画才にも恵まれており、音楽活動だけでなく、1964年には挿絵入り短編集「In His Own Write」を手掛けたこともあります。
オノ・ヨーコは2人目の妻
ジョン・レノンの妻といえばオノ・ヨーコが有名ですが、実は彼女はジョン・レノンにとって2番目の妻です。ジョン・レノンはシンシア・レノンと1962年に結婚しましたが、1966年にオノ・ヨーコと出会い、やがて交際を始めました。そうしてジョン・レノンとシンシアは1968年に離婚しています。
翌年1969年に、ジョン・レノンとオノ・ヨーコは結婚しました。
ジョン・レノンは何度も来日している
ジョン・レノンはビートルズの来日時以外にも、何度も日本へ来ています。オノ・ヨーコとの結婚後は、夏は毎年軽井沢に訪れ、万平ホテルなどに滞在して家族と過ごしていました。
また、軽井沢では現地のレストランやベーカリーなどさまざまなお店に足を運んでいたようです。
ジョン・レノンの死因
1980年12月8日、ジョン・レノンはアメリカのニューヨークにある自宅マンション前で帰宅したところを射殺され、40歳で亡くなりました。その訃報が伝わると、大勢のファンやメディアがマンション前に駆け付けたこともよく知られています。
まだソロ活動を続けていた時期であり、世界中の人が動揺し、悲しみにくれる出来事でした。
ビートルズ所属時代の代表曲
ビートルズのメンバーとして一躍有名になったジョン・レノン。そんなビートルズ時代にジョン・レノンが手がけたことで知られる代表曲を紹介します。
「Help!」(1965年)
ジョン・レノンの代表曲といえば、「Help!」を挙げる人は多いのではないでしょうか。この楽曲はビートルズの主演映画である「HELP! 4人はアイドル」の主題歌にもなっており、映画のサウンドトラックにも収録されています。
ビートルズの10枚目シングルで、アメリカやイギリスのヒットチャート1位を獲得しました。
「All You Need Is Love」(1967年)
「All You Need Is Love」は、ビートルズが1967年に発表した15枚目のシングルです。世界初の宇宙通信衛星を使い、31か国で同時に放送された「アワ・ワールド」のために制作された曲でした。
ドイツの作曲家・バッハやフランス国歌などの多数の楽曲が織り込まれおり、4拍子と3拍子が用いられた変則的なリズムが特徴です。
「Strawberry Fields Forever」(1967年)
「Strawberry Fields Forever」は、ビートルズの14枚目シングルです。ジョン・レノンが子供の頃に遊んでいたリバプールの孤児院がモチーフとなっています。
モデルとなった孤児院の跡地は、2019年にカフェやショップなどが併設されたスペースとして開放されています。
ジョン・レノンのソロ活動における代表曲
ジョン・レノンは、ビートルズ解散後のソロ活動でも数々の名曲を生み出しています。そんなジョン・レノンがソロ活動で発表した代表曲をみていきましょう。
「Imagine」(1971年)
「Imagine」は、全英シングルチャートで1位を獲得したヒット曲です。対立や憎しみのない世界をテーマにした歌詞が魅力であり、のちにたくさんの歌手によってカバーされました。
日本では、2021年の東京オリンピック開会式で歌われたことでも知られています。
「Love」(1970年)
「Love」は、ジョン・レノンのソロ活動としては最初のアルバムとなる「ジョンの魂」に収録されたバラード曲です。後年、ベストアルバムが発売された際にシングル化されました。
この曲も世界中でたくさんの歌手にカバーされています。
「Happy Xmas(War Is Over)」(1971年)
「Happy Xmas(War Is Over)」は、反戦歌としてよく知られているバラード曲です。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共同名義でリリースされましたが、当時はチャート1位にはなりませんでした。
しかし、現在でもクリスマス時期を中心に流れたり合唱曲に起用されたりするなど、永く愛されている楽曲です。
「Power To The People」(1971年)
「Power To The People」は、日本語で「民衆に力を」と訳すことができます。力強い音が特徴的な楽曲で、1971年に発売されました。
曲のタイトルには、体制に抑圧されているアメリカ市民が、反発の意味を込めてしばしば使用していたフレーズが用いられています。
ジョン・レノンの名言
ジョン・レノンは曲を作っていたこともあり、たくさんのメッセージを世に残しています。
「好きに生きたらいいんだよ。だって、君の人生なんだから」
ジョン・レノンは40歳で短い人生を終えたものの、自分の意志を貫いて生きていたことがうかがえます。
「ひょっとしたら短いかもしれない人生を、どう過ごすべきなのか」を考えさせられる名言です。
「恋から愛に変わるだけでもかなりの変化です。幸せになることに躊躇してはいけない」
ジョン・レノンは最初の妻と結婚中にオノ・ヨーコと恋愛関係になるなど、自分の気持ちに正直でした。そんな人生を選んだジョン・レノンらしさが表れている名言といえます。
「Imagine all the people living life in peace. 」
これは、ジョン・レノンの代表曲である「Imagine」のワンフレーズ。日本語訳は「すべての人々が平和に生活している姿を想像してみてください」という、平和を望むメッセージです。
この言葉はメッセージ性が強いフレーズとして、世界各地の象徴的な建物にデジタル投影されたこともあります。
ジョン・レノンは名曲や名言をたくさん残した人物!
ジョン・レノンはすでに亡くなっている音楽家ですが、数々の名曲を残しています。ビートルズ時代の「Help!」や「All You Need Is Love」、ソロ時代の「Imagine」など、世界中で今も愛され続ける曲をたくさん発表しました。
また、オノ・ヨーコと結婚した縁もあって、軽井沢など日本にも毎年訪れていたことでも知られています。
この記事で紹介した楽曲以外にも、ジョン・レノンの作った名曲はたくさん存在します。興味のある方は、ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。