あまたある会話術や人間関係構築術に関するメソッドにおいて、意外なほど抜け落ちているものがあります。それは、「人の呼び方」です。

  • “○○くん” “△△ちゃん”?? —「人をどう呼ぶか」がもたらす意外な作用 /作家、心理カウンセラー・五百田達成

しかし、「人の呼び方こそが人間関係を規定する」といい切るのは、コミュニケーションに関する著書も多い心理カウンセラーの五百田達成さん。対人関係を良好にするためには、人をどう呼べばいいのでしょうか。

■「人の呼び方」こそが人間関係を規定する

「コミュニケーションにおいて重要なことは?」と聞かれたら、みなさんはどう答えますか? 心理カウンセラーとしてコミュニケーションについて研究を続けているわたしからすれば、それこそ数え切れないほどの答えが浮かびます。今回の主題でもある、「人の呼び方」もそのひとつです。

その考えのベースには、わたし自身の「五百田(いおた)」という名前がちょっと珍しいものだということがあります。幼い頃から名前を呼ばれ間違われると、毎回わたしはしゅんとなったものです。つまり、人の呼び方というものが心理的に大きな影響を与えるということを、なんとなく感じていたのです。

そして、社会人となって多くの人とかかわるようになると、その考えが真理であると確信しました。仕事でかかわる人から、「五百田ちゃん」と呼ばれるのか、「五百田さん」と呼ばれるのか、それとも社名で「A社さん」と呼ばれるのか—それらのちがいによって、相手との心理的距離や受け取る印象もまったく異なってきます。

初対面なのに、「○○ちゃんはどう思う?」なんていわれたら、ちょっと気持ち悪いですよね? また、もう長いつき合いになる人から、いつまでたっても「○○様」なんて呼ばれると寂しいものです。そんな事例から紐解いていくと、人の呼び方こそが人間関係を規定するように思えてきます。

とくに目の前の人に対しては、「○○さん、こんにちは」「××部長、いまお時間よろしいですか?」というふうに、なによりも先に名前を呼びますよね。そんなことからも、コミュニケーションのいちばん最初に使う「人の呼び方」が重要なことが見えてきます。

■距離を近づけたい人は「くん」「ちゃん」づけで呼ぶ

多くの企業に広まっているトレンドのひとつに、社内ではすべての人を「さん」づけで呼ぶというものがあります。相手が男性でも女性でも目上でも目下でも、「○○さん」と呼ぶのです。

これは、ひとつの発明だとわたしは見ています。それこそ、むかしのドラマによくあったシーンではありませんが、「○○ちゃん、コピーとってきて」なんていう、ハラスメントを招くようなことがなくなります。

またこれまでは、目上の人間が部下に対して「くん」「ちゃん」づけで呼ぶことによって上下関係が固定されていたといった面もあったでしょう。そういう企業文化のなかでは、「上司を追い抜いて大きな成果を挙げてやる!」といった強い向上心も育ちにくくなります。

もちろん、この「さんづけルール」について「なんだか他人行儀ではないか?」といった意見もあります。そうであるなら、使いわけることを考えてみましょう。

上司や先輩に限らず、同期や後輩のなかにだって、多くのことを学べて「この人とは距離を縮めたい」と思うような人もいますよね。社内ではルールに則って、「さん」づけで呼びつつも、ふたりでランチに行ったようなときは「くん」「ちゃん」づけで呼んでみるのです。他のみんながフラットに「さん」づけで呼んでいるのですから、「くん」「ちゃん」づけで呼ぶことによって、その人との心理的距離を縮めることができます。

あるいは、名字の呼び捨てもありです。かつてはそれこそ目上の人間からの威圧的な呼び方といった印象もありましたが、女性が男性の名字を呼び捨てにする場面などを見ていると、とくに若い世代にとってはもはや親しみの証になっているとわたしは見ています。

■肩書をつけて呼び、プロとしての仕事を促す

もちろん、社内にいる人間は心理的距離を縮めたい相手ばかりではありません。若手社員からすれば、まったく尊敬するところがない嫌な上司というのは必ずいるものです…(苦笑)。「さん」づけがルール化されている会社では難しいかもしれませんが、そういう相手にはしっかりと肩書をつけて「○○部長」と呼んでみる。あるいは肩書のみで、「部長」と呼ぶのです。よほど鈍感な上司でない限り、「わたしはあなたとは部長と部下以外の関係ではありません」「パーソナルな話をする関係ではありません」というメッセージを受け取ってくれるのではないでしょうか。

しかも、肩書をつけて呼ぶことにはまた別の効果も期待できます。これは、以前にプロ野球・日本ハムの栗山英樹監督と対談したときに聞いた話です。栗山さんは、もともとは「栗山監督」と呼ばれることが苦手だったそうです。フランクなキャラクターの人ですから、「自分は監督なんて風情じゃないし…」ということなのでしょう。

ところが、あるとき栗山さんは気づいたそうです。「『監督』と呼ばれるということは、監督としての責務を果たす言動を期待されているということだ」と。それはプロとして、絶対に引き受けなければならないことだと感じたそうです

このことについては、わたし自身も同じような感覚を持っています。わたしは心理カウンセラーであり作家という立場上、「五百田先生」と呼ばれることがほとんどです。その多くは、「適当に持ち上げておけばいいや」ということかもしれませんが…(笑)、なかにはあえて「五百田先生」と呼ぶことで、「プロとしての見識を聞きたい」「プロとしての仕事をしてほしい」というメッセージを伝えている人もいるはずです。

嫌な上司に対して「部長」と呼ぶことにも、同じ効果を期待できます。嫌な上司というのは立場を利用して威圧的な態度をとるような人が多いはずです。そんな上司に対して、「部長」と肩書で呼ぶことは、「あなたとは心理的距離を縮めたくない」というメッセージを発すると同時に、「部長としての仕事をしっかりしてくださいよ」というメッセージを発することにもなり得るのです。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人