日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’21』では、大阪教育大学附属池田小学校の乱入殺傷事件の当時在校生だったディレクターが取材した『学校安全の現在地~附属池田小殺傷事件から20年~』(読売テレビ制作)を、きょう29日(25:00~)に放送する。
大阪教育大学附属池田小の眞田巧校長(53)は今年4月、新たに赴任した教師たちを校舎1階に集めた。「残念だし悔しいが、門が開け放たれていた。犯人の侵入を許してしまった。」「ここにいた子どもたちを次々と襲っていった」――眞田校長は当時6年生の担任として事件を経験し、学校に今も残っている唯一の人物だ。
2001年6月8日、2時間目が終わる午前10時10分過ぎ、小学校の通用門から刃物を持った男が侵入し、1年生と2年生児童8人の命を奪った(※男は2004年に死刑執行)。眞田校長は「あの瞬間、子どもたちに何もできなかった」という深い悔恨の念を抱きながら20年間、事件の記憶と教訓を伝え続けている。
番組ディレクターは事件当時、附属池田小の5年生だった。運動場で体育の授業が終わろうとする頃、校内放送で響いた悲鳴を忘れることはできない。校舎で何が起きたのか、詳しく理解しないまま社会人となった。取材記者として附属池田小の事件について調べていくと、国は事件後、全国の学校に対して「危機管理マニュアル」などの作成を義務付け、教育現場では安全設備の充実を図り、教員への研修や子どもたちへの安全教育を続けていることを知った。しかし学校で幼い命が犠牲になる事件や事故は決してなくならない。なぜか…その疑問が、取材の出発点となった。
子どもが標的となる事件は、附属池田小事件の後も起きている。06年、鹿児島市では保育園にカッターナイフを持った男が侵入し、19年、神奈川県川崎市の通学路などではスクールバスを待機中の小学生らが男に次々と切りつけられ20人が死傷した。
事件だけではなく、11年の東日本大震災では校庭で待機していた74人の子どもたちが津波で命を落とした。18年の大阪北部地震では、高槻市の小学校のブロック塀が倒壊し、登校中の児童が死亡。国は4年前、学校安全についての推進計画の中である指摘をしたが、「マニュアルが形骸化している。全ての教職員が十分な知識や意識を備えて学校安全に取り組んでいるとは言い難い」。
附属池田小では、年5回以上の訓練や、全国でも珍しい安全科の授業などを通して事件の記憶と向き合い続けている。根底にあるのは、幼い命を奪われたことへの悔恨と二度とこの学校で安全が脅かされることが起きてはならないという強い決意だ。赴任した教師たちの多くは「前任校でも学校安全には取り組んできたが、何かが違う」と話す。この“何か”とは「教師の意識と責任感だ」と眞田校長はとらえている。
そこで取材班は、附属池田小の教師を対象にアンケートを実施。回答者全員が「赴任後、学校安全の対応能力は向上した」とした一方、学校安全の取り組みを広めるにあたっては、「教員はみな子どもたちを守りたいが、(ほかの学校では)業務量の多さや、学校ごとの優先事項が障壁になる」との指摘もあった。事件を経験し、現在は別の小学校で教鞭をとる複数のベテラン教師も「一番難しいのは、附属池田小学校以外の学校で、同じような意識を共有することだ」と本音をもらす。
取材で浮き彫りになった、子どもを守るという「意識」を、全ての教師で共有することの難しさ。そして教育現場の試行錯誤。8人の命が犠牲になった事件から20年。「学校の安全」を確立するために、ハード・ソフト両面で何が必要なのか改めて考え、積み残されている課題を検証する。