女子レスリングの川井姉妹が、揃って五輪金メダルを獲得した。8月4日に妹・友香子が62キロ級で優勝、翌5日には姉・梨紗子が57キロ級を制したのだ。きょうだい揃っての「金」は、柔道の阿部一二三、詩に次いで今大会2組目。
「一緒に表彰台に一番高い所に上がろう」と妹を鼓舞し続けた梨紗子と、姉の背中を追い続け、ここ数年で急成長を遂げた友香子。幾度も挫けそうになりながらも、ふたりは夢を叶えることができた。姉妹の固い絆があったからこそ─。
■「友香子は難しいだろう」
女子レスリングには、強い姉妹選手が多く出現している。
1990年代、2000年代前半に世界選手権を制した山本美憂・聖子。
2012年ロンドン五輪金の小原日登美と、世界大会メダリストの坂本真喜子。
五輪で2度銀メダリストとなった伊調千春と、五輪4連覇の伊調馨。
そして、川井梨紗子・友香子。ふたりは東京五輪で、女子レスリング史上初の「金メダル姉妹」となった。
両親は、ともに名の知れたレスリング選手だった。
母・初江は1989年『世界選手権』(53キロ級)の日本代表、父・孝人も元学生チャンピオン。その流れで、梨紗子と友香子も小学校低学年の時から、母がコーチを務める『金沢ジュニアレスリングクラブ』に通っていた。
ふたりの性格は随分と違ったようだ。
姉・梨紗子は活発で学校でもリーダーシップを発揮するタイプ。対して妹の友香子は、おとなしく、運動よりも部屋で手芸をする方が好きだった。
梨紗子は中学を卒業すると親元を離れ、女子レスリングの名門・至学館高校に入学し、至学館大学に進む。そして、栄和人監督指導のもと実力をアップさせ、日本代表クラスの選手に成長した。だが、同じ階級(57キロ級)には高い壁が聳え立つ。五輪で連覇を続けていた大学の先輩・伊調馨がいたのだ。
そんな中、2016年リオ・デ・ジャネイロ五輪が近づく。日本代表として出場したいが、伊調には勝てない。梨紗子は階級を63キロに上げて代表権を手にし、五輪金メダルを獲得した。
友香子も姉の後を追って至学館に進む。だが、周囲の評価は、それほど高くはなかった。姉と同じような好成績も残せない。
「梨紗子ほどではない。そこそこはやれるが、友香子に五輪は難しいだろう」
そう話す関係者は少なくなかった。
■苦しかった伊調馨との闘い
「あんないい景色は見たことがない」
リオ・デ・ジャネイロで金メダルを獲得した後、梨紗子は、友香子にそう話した。表彰台の一番高い所から見た景色だ。
友香子も姉に帯同してリオ・デ・ジャネイロの会場を訪れ、試合、表彰式をスタンドから見守った。
(私も輝きたい)と思いながら。
そして、梨紗子の言葉を、「東京五輪で一緒に金メダルを胸に輝かせよう」とのメッセージだと受けとめた。
この直後から、友香子の練習に取り組む姿勢が変わる。
自分が運動能力に優れたタイプではないと彼女は自覚していた。だから、できない動きがあると最後までマットに残って練習する日々が続く。そんな妹の姿を梨紗子は見守り、時に自分も背中を押されているように感じていた。
ただ、姉妹で一緒に金メダリストになるためには、ひとつ問題があった。それは、ふたりの階級が重なることだ。そのため、梨紗子は自分の本来の階級(57キロ級)に戻ることを決意。だがそこには、リオ・デ・ジャネイロ大会で五輪4連覇を達成した「絶対王者」伊調馨がいる。
彼女に勝たなければ、「姉妹で金」の夢は叶わない。いばらの道を覚悟した。
「友香子のために階級を変えたわけではない。57キロは私の本来の階級」
梨紗子はそう言い続けたが、違うだろう。
もし妹の存在がなかったら、リオ・デ・ジャネイロ大会と同じ63キロ級で五輪連覇を目指したはずだ。その方が、出場権獲得が容易なことは明白だったから。
そして、伊調との対決。
2018年12月、『全日本選手権』決勝。終了間際に逆転を許し梨紗子は負けた。
「もうやめたい」
大会後には、母の前で泣いて弱音を吐きもしたが、ここから巻き返す。2019年6月、『全日本選抜選手権』では伊調に勝利、翌7月に行われた「代表決定プレーオフ」も制して東京五輪・日本代表の座を掴んだ。
■小学校でのマラソン大会
カッコいい姉だと思う。
8月4日夜、友香子が出場した女子63キロ級決勝戦。翌日には自らの決勝を控える中、スタンドから声を張り上げ励ました。妹が第1ピリオドでは相手にリードを許しながらも逆転勝利で金メダルを獲得すると、涙を流して喜ぶ。
そして翌5日の女子57キロ級決勝では、イリーナ・クラチキナ(ベラルーシ)に5-0の完勝、「姉妹で金メダル」を実現させた。
自分の闘いよりも妹の試合の方が緊張したのではなかったか。
「こんないい日が訪れるなんて。両親の前に2つの金メダルを並べられることが嬉しい」
表彰式後、気丈な梨紗子が、そう話して涙した。
「やっぱりお姉ちゃんが一番強い」
友香子は、満面の笑みを浮かべていた。
最後に、ひとつエピソードを紹介しよう。小学生時代のことだ。
梨紗子が6年生、友香子は3年生。この時のことを梨紗子が卒業文集に書き残している。
「小学校最後のマラソン大会は特別でした。妹と『一緒に1位になる』という約束をしました。<中略>
ゴールしたとき、1位でうれしかったです。でも妹がどうか気になってしかたありませんでした。妹に聞きにいったとき、妹も1位でした。自分の1位よりもうれしい気がしました。小学校最後のマラソン大会で1位になれたこと、それよりも妹との約束が守れたことがうれしかったです」
友香子が6年生になっても、約束は続いた。彼女も作文に書いた。
「私はマラソン大会の前日、『必ず1位になってくる』と姉と約束しました。最後のマラソン大会なので、いつもよりすごく緊張していました。
マラソン大会当日、毎年通り手の平に約束のことを姉に書いてもらいました。<中略>
走っている間は、すごくきつく、『もうダメだ』と何度も思ったが、手の平を見て最後まで走りきり1位になれてよかったです」
文/近藤隆夫