2016年ロンドン大会から五輪正式競技となった女子ボクシングに日本勢は今回初参戦。そこで、いきなり金メダリストが誕生した。入江聖奈20歳。緊張したはずの決勝戦、彼女は楽しげに入場し、闘い終えた後も元気かつ爽やかに微笑んだ。

「逆上がりもできない運動音痴の私でも頑張れた。運動が苦手な子の励みになれたら嬉しい」。試合後に胸に金メダルを輝かせ、そう話した入江。この偉業達成が、女子ボクシングのイメージを明るいものへと一変させる。

■「夢の中にいるみたい」

判定での勝利が告げられた瞬間、入江聖奈は満面の笑みを浮かべ高々とジャンプし喜びを爆発させた。
大会12日目の8月3日、両国国技館で行われた女子ボクシング・フェザー級(57キロ以下級)決勝戦。入江は、2019年『世界選手権』王者のネスティー・ぺテシオ(フィリピン)に5-0の判定勝利を収めた。
女子ボクシングにおける初の日本人金メダリストの誕生─。 記念すべきシーンは、痛々しさも苦しさも号泣もない、歓喜の笑顔に彩られた鮮やかなものとなった。

「何も憶えていなくて気がついたら(控室で)着替えていました。何回もほっぺをつねったんですけど、まだ夢の中にいるみたいです。実感が湧かないので金メダルを何回も見たいと思います」
表彰式で金メダルを授与された後、明るい口調で入江はそう話した。

1回戦から決勝までは11日に及ぶ。その間に5試合を闘った彼女は、楽に勝ち上がったわけではない。
7月28日の準々決勝、マリアクラウディア・ネクタ(ルーマニア)戦、31日の準決勝、 カリス・アーティングストール(英国)戦は、いずれもスプリットデシジョン3-2。薄氷を踏む勝利が続いた。
決勝のペテシオ戦も競った闘いだった。1ラウンドは、左のジャブストレートを効果的に繰り出して試合を優勢に進めるも、2ラウンドに接近戦で逆襲され採点はほぼイーブンに。最終3ラウンドに気力を振り絞ってパンチを出し、勝ちを呼び込んだ。 苦しかったはずだ。それでも彼女は試合後、「辛そう」ではなく「楽しそう」に振舞った。

■3年後のパリ五輪は目指さず

小学校1年生の時に漫画『がんばれ元気(小山ゆう作)』を読んで、ボクシングをやりたいと思った。だが、母に反対される。
「危ないからやめなさい」と。
でも、どうしてもやりたかった彼女は、小学校2年生で地元・鳥取県米子市のシュガーナックルボクシングジムに入会。それから高校を卒業するまで、ジムに通い続けた。中学時代は陸上部にも所属していたが、米子西高校に進学してからはボクシングに専念。地道に練習を続けた末、2年時に『全日本女子ボクシング選手権(ジュニア)』で優勝、3年時には連覇を果たした。

2019年に日本体育大学に進学。この年に『世界選手権』に初出場しベスト8、翌20年3月の『アジア・オセアニア予選』で準優勝を果たし、五輪出場権を掴んだ。そして、1年延期された大舞台で5連勝し金メダルを獲得。
キャリア13年、地道な努力の末に入江は世界の頂点に立ったのである。

彼女はまだ20歳、3年後のパリ大会で連覇を目指すのかと思いきや、どうやらそうではないようだ。
「有終の美で終わりたい。大学いっぱいでボクシングはやめるつもり。カエルが好きなので、それにかかわる仕事がしたいのですが、なかなかないですよね(笑)。ゲームも好きだから、ゲーム関連の就活をします」

■高橋尚子のように

入江の金メダル獲得は、「日本人初の快挙」にとどまらない。私は、彼女の試合後の爽やかな笑顔が、一つのブームを生み出すのではないかと注目している。

入江が生まれた2000年にシドニー五輪が開催された。この大会の女子マラソンで、高橋尚子が日本人初の金メダリストとなる。
この時に衝撃だったのは、高橋が爽やかな笑顔でゴールテープを切ったことだ。 それまで、「走る」ことに対して私たちは、「つらい」「苦しい」「きつい」といったネガティブなイメージを持ち合わせていた。それは学校での部活動における「走らされる」があったからだろう。

それを高橋尚子が、あの日、一掃したのだ。
「とても楽しい42(.195)キロでした」の笑顔での言葉とともに。
直後、日本にランニングブームが生じた。

今回の入江の快挙は、女子ボクシングのイメージを大きく変えたのではないか。
「ボクシングって顔を殴り合うんでしょ。そんな怖いことやりたくない」
そう感じていた人が大半だろう。
確かにボクシングは殴り合うスポーツ。だが、プロボクシングとアマチュアの女子ボクシングは同じではない。後者はヘッドギアを着用、グローブのサイズも大きい。よって顔を腫らしたり、傷つけたりする危険も少ない。

入江の闘う姿、そして笑顔を見て、「ボクシングをやってみたい」と感じた女性も多いように思う。現在、日本ボクシング連盟に登録している女子選手は、432人。この数が、どこまで伸びるか。
「女子ボク・ブーム」の予感あり─。