金メダルラッシュに沸く日本柔道界。だが期待された男子100キロ超級の原沢久喜は、メダル獲得ならず。そして原沢と決勝を闘うと予想されていた「絶対王者」テディ・リネール(フランス)も、準々決勝で敗れた。

リネールの敗北は、自国フランスはもちろんのことヨーロッパ中の大きな関心事となっている。「2024年パリ大会まで闘って五輪4連覇を達成する」と自信満々に語っていた男に何が起こったのか?

■微妙な攻防はビデオ判定に

「納得がいかない」
そう言いたげな憮然とした表情で、テディ・リネールは試合場を下りた。「絶対王者」の五輪3連覇の夢が消えた瞬間だった。

柔道・男子100キロ超級、準々決勝第1試合、タメルラン・バシャエフ(ロシア・オリンピック委員会)と対戦したリネールは、ゴールデンスコア方式の延長戦の末に技有りのポイントを奪われて敗れた。
延長戦25秒、バシャエフの背負い投げからの連続技で隅落としを喰らい背中を畳につけてしまう。この場面、リネールは背負い投げを凌いだ後、自らが捨て身技(引き込み返し)を仕掛けたと主張したかったのだろう。映像を再生すると、そう見えなくもない。微妙な攻防だった。しかし、ビデオ判定の結果、バシャエフの技が有効であると認められた。

■「ヒーロー」ではなく「ヒール」

5歳の時に初めて柔道着を身に纏ったリネールは、14歳でフランスの指定強化選手となり、その後、2007年の『世界柔道選手権』に出場。ここで現日本チーム男子監督の井上康生に勝利し優勝を果たす。この時、リネールは18歳と5カ月。史上最年少の世界チャンピオンとなった。
翌2008年には北京五輪に出場し銅メダルを獲得(100キロ超級の金メダリストは石井慧)。 彼の名は世界に広く知られることとなる。

快進撃は、この後に本格的に始まる。
2010年、東京・国立代々木競技場第1体育館で開催された『世界柔道選手権』無差別級決勝で上川大樹に僅差(1-2)の判定負けを喫するが、それ以降、2010年代は誰にも負けなかったのだ。
その間に、2012年ロンドン大会、2016年リオ・デ・ジャネイロ大会と五輪連覇、『世界柔道選手権』でも優勝を続けた。2020年2月『グランドスラム・パリ』で景浦心に技有りを取られて負けるまで154連勝を達成。この驚異的な記録で「絶対王者」と呼ばれるようになったのである。

だがリネールは、必ずしもヒーロー的存在ではなかった。いや、むしろ「ヒール(悪役)」だった。それは観る者の眼に、彼の闘い方が「狡猾」と映ったからだ。

リネールは、積極的に一本を決めて勝とうとはしない。
明らかな格下には、内股、大外刈りなどを繰り出して豪快に勝つが、実力が拮抗した相手に対しては極度に慎重に闘う。返される危険性が少しでもある技は繰り出さない。つまりは闘い方の基本がデフェンスなのだ。

組み手は絶対に妥協せず、相手に優位な体勢は作らせない。そのうえで、204センチの長身、長いリーチを活かし相手の奥襟を深く掴み頭を下げさせ足技をフェイント程度に放つ。
この時間が長く続けば、消極的と見なされた相手に指導が与えられる。その状況を3度作り、反則勝ちを得るのだ。
また、不十分な組み手から相手が無理に仕掛けてきたならば、「待ってました」とばかりに返し技で「技有り」を奪う。その後は持ち前のデフェンステクニックで残り時間を潰し勝利する。

これも勝つためのテクニックだろう。ルールを犯しているわけではない。
だがそれは、一本で勝つ「美しい柔道」からは程遠いもので、観る側はスッキリとしない。 畏敬の念も込め、彼を「ヒール」と位置づけたのだ。プロボクシングで5階級を制覇した無敗の王者フロイド・メイウェザーと似ていなくもない。

■逆風となったルール変更

では、今大会で「絶対王者」のリネールは、なぜ敗れたのか?
理由は、2つあったように思う。

まずは、5年前のリオ・デ・ジャネイロ大会時のような良好なコンディションが作れていなかったこと。
リネールも32歳になった。
体力の衰えは最小限に抑えているとはいえ、怪我に見舞われることが多くなっている。今年 2月には左ヒザ十字靭帯を断裂、そのため十分な練習が積めなかった。
バシャエフの技に反応できなかったのは、この部分が影響したのではないか。絶頂時の彼なら、アッサリとかわしていたはずだ。あるいは、踏み込みを許さなかっただろう。
対戦相手にとって、今大会におけるリネールの存在は「絶対王者」から「勝てるチャンスのある相手」に変わっていたのである。

もう一つは、リオ・デ・ジャネイロ大会以降にルールが変更されたこと。
以前は、「指導」の数による決着があった。本戦を終えた時点で「指導」を多く与えられた側が敗者となっていたのだ。
しかし現在は、「指導」の数では決着がつかない。指導3になれば反則負けだが、それに至らなければ延長戦に突入する。完全決着が求められるようになったのである。

これはリネールにとって、有難くないルール変更だった。
今大会で敗れた準々決勝のバシャエフ戦、リネールは作戦通りに試合を進めていた。本戦を終えた時点で、指導の数はバシャエフ2、リネール1。以前のルールなら、リネールは勝利していたのだ。
また延長戦に入った後、主審がイエローカード(指導)をなかなか出さない傾向にもある。これもリネールにとっては、逆風だった。

敗戦後は、怒りを露わにしたリネールだったが、気持ちを切り替え敗者復活戦で勝ち上がる。そして、3位決定戦では、彼らしい闘い方で勝利。原沢久喜を指導3に追い込んで銅メダリストとなった。
五輪3連覇は逃したリネールだが、「銅、金、金、銅」と4大会連続してメダルを獲得したことになる。

試合後の彼は言った。
「厳しい一日だったがメダルを獲得できてよかった。現役続行? もちろんだ。(2024年の)パリ大会では、金メダルを必ず獲る」

おそらくリネールが闘い方を変えることは、今後もないだろう。「絶対王者」感は薄まったが、依然として偉大な「スーパーヒール」だ。
この高い壁を如何に超えるかが、日本柔道界の大きな課題であり続ける。

文/近藤隆夫