日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’21』では、京都アニメーション放火殺人事件から遺族とマスコミのあるべき姿を考える『遺族とマスコミ ~京アニ事件が投げかけた問い~』(読売テレビ制作)を、きょう18日(25:05~)に放送する。
2019年7月18日、京アニが業火に包まれた。京都府警は直後、現場近くに倒れていた、青葉真司被告を逮捕(翌年12月起訴)。「ガソリンを使えば多くの人を殺害できると思い実行した」と容疑を認め、死者は36人、重軽傷者は32人となった。
京都府警は捜査の傍ら、遺族から実名報道や取材への意向を聞き取り、マスコミに知らせるという「異例の発表」を行った。その配布資料に記載されていた「遺族の意向」の多くは、実名と取材を拒否するというものだったが、新聞やテレビ局は犠牲者の名前を報じ、マスコミには社会の批判が集まった。
新聞協会は、報道機関の使命を「国民の知る権利に奉仕」することだと記し、実名による事件報道は大きな役割とされる。今回の事件で娘の幸恵さんを失った津田伸一さんは「(自分は)京アニという集団に献花に来られているのではない。名前を明らかにした方がいいと思った」と語り、実名報道に理解を示した。一方で、匿名を希望して取材を拒否してきた別の遺族は、今回読売テレビに対して初めて胸の内を訴えた。
「心を落ち着けようとしているときにむやみに扉をノックするのはやめてほしい。そっとしておいてほしい気持ちがわかっているならば、どうして実名報道をしたのか…」
龍谷大学の畑仲哲雄教授(ジャーナリズム論)は、この現状を客観的に捉えようと、ある実験を行った。遺族が実名報道について「拒否」の意向を示す中で、それでも実名を報道すべきかどうか学生に質問したところ、95%以上が「匿名にすべきだ」と回答。実名報道の意義をいくら説明してもこの数字が変わることはなく、遺族の気持ちが優先されるべきという社会の考えが如実に表れる結果となった。
答えが決してひとつではない「遺族とマスコミ」の関係。記者は、2つの立場の狭間に立たされた人物を訪ねた。2004年、長崎県佐世保市の小学校で、娘が同級生に殺害された毎日新聞記者(当時)の御手洗恭二さんだ。事件直後の記者会見に臨んだのは「会見を求める立場だから逃げられないと思ったから」と、つらい胸中を吐露。部下(当時)の川名壮志記者は、葛藤の中で取材を続けた経験から「遺族の声を伝えることに意義のある適切なタイミングを捉え、きちんとその声に耳を傾けられるかどうかがメディアに問われている」と語る。
また、御手洗さんの二男は今回、初めてカメラの前で取材に応じ、「自分の経験を、他の遺族に知らせるための手段としてマスコミを使わせていただいている」と本音を語った。その言葉からうかがえるのは、長い歳月を経て少しずつ変化していく事件遺族の心情だ。
京アニ事件の遺族も、マスコミへの単なる嫌悪感から「拒否」の意向を示したわけではないはず。ひとつひとつの言葉を、報道の在り方を考える未来への提言と受け止め、社会全体で考える時期に来ているのではないか――。読売テレビ報道局・前川優也記者のナレーションで考えていく。