新刊『ぼくのお父さん』を刊行し、今また大きく注目を集めているお笑い芸人・矢部太郎さん。

お笑いコンビ「カラテカ」のボケ担当としてお茶の間の人気者となった矢部さんですが、徐々に俳優としても活躍の場を広げ、2017年には『大家さんと僕』を出版。手塚治虫文化賞短編賞も受賞し、漫画家として地位を確立しました。

お笑い芸人、俳優、そして漫画家と、マルチに活動する彼はどのようにして"好き"を仕事にしてきたのか、矢部さんご本人にお話をお聞きしました。前編となる今回は、漫画家として・矢部太郎に着目してお届けします。

『ぼくのお父さん』は立体的、普遍的であることを意識した

―― まずは新刊発売、おめでとうございます。早くも4冊目の単行本(うち1冊は番外編的な位置づけ)になりますね。

ありがとうございます。でも、週刊連載している人は年に3〜4冊は本を出すので、漫画家としては早いペースではないと思います。

―― 矢部さんは芸人、俳優など、マルチにお仕事をされていますからね。新刊の見どころなどを教えてください。

今回は子どもの頃の父との思い出を、父が描いていた絵日記を元にして描いています。ただ思い出を描いているだけではないので、ちょっと立体的な内容になっていると思います。多分、いろんな方に楽しんでもらえるのではないでしょうか。みんな昔は子どもでしたし、みんな大人になった今も子どもだったりするから。

―― 前作『大家さんと僕』との違いとなるポイントはどこでしょうか?

今回は自分の覚えていないことも描いていますし、もうちょっと普遍的なものになればいいな、と意識して描きました。個人的な思い出を綴った漫画ではありますが、誰しも一度は思ったことがあるんじゃないか、ということを描いているので、忘れていた気持ちを思い出せるような本になればいいな、と思っています。

漫画を書くことで、父から受けた"影響"を紐解いた

  • 矢部さんの父が描いた絵日記や、父と作った縄文土器(実物)

    矢部さんの父が描いた絵日記や、父と作った縄文土器(実物)

―― 矢部さんの「お父さん」であるやべみつのりさんは、絵本作家として多くの作品を作って活躍されていましたが、やはり刺激や影響は受けました?

父の影響といえば影響かもしれません。でも、同じようでいて同じではない気もします。父からの影響もありますが、自分で選んでやっているので。実は、漫画を初めて出版したときもよく言われたんですよ。「やっぱり血ですね」「お父さんのDNAですね」って。でも、果たしてそれだけなのか? そのあたりも考えてみたくて、今回の本を描いてみたっていうのもあります。

―― では、実際に描いてみていかがでしたか?

父からの影響もありますが、単純な意味で「父が絵を描いていたから、僕も絵を描いている」というだけではないかな、と思いますね。どちらかと言うと、絵だけでなく、ずっと父と一緒に「何かを作ること」をしてきたので、その影響のほうが大きいと思います。作ることの喜びとか、楽しみとか……ですかね。

―― 漫画の中でも、お父さんと一緒につくしを採って料理したり、牛乳パックでライトを自作したシーンが描かれていましたね。

そうそう、そうです。父は週一回、陶芸教室も開催していましたし、一緒に縄文土器を作ったりもしました。そのときは「なんでこういうことやっているんだろう? 」と思っていたのですが、今思えば、そういう「ものを作っていたこと」に影響を受けていると思います。

「絵を描くことは好きだった」幼少期の原体験

―― でも、絵や漫画を書くことは自体はもともと好きだったんですよね?

好きだったと思います。ただ、本格的なデッサンはやっていませんし、写実的な絵ではありませんけど。漫画の描き方とかは興味があって、自分でそれ用のペンを買ったりもしました。

―― どんなものを描いていたんですか?

よく真似して描いたのは、『キン肉マン』とか『Dr.スランプ』、中学生になってからは『AKIRA』とか。当時は『AKIRA』のカードゲームを自作して遊んでいました。ちょっと前の正月に実家に帰ったら、姪っ子がそのカードゲームで遊んでいて、もうめちゃめちゃ恥ずかしかったです(笑)。

―― 今はその漫画も仕事のひとつですが、どのような気持ちで描いているんですか?

楽しいという思いと、仕事だという思いと、両方あります。仕事だから締切も守りますし、編集者さんに「ここを直して」と言われれば直します。でも、やっぱり楽しいは楽しいですね。

―― 大人になってからも、趣味で絵や漫画を描いたりしていたんですか?

新喜劇の台本の端に描いたりはしていました。「読めへんやん!」っていうくらい大きく(笑)。やっぱり、舞台に上がることを考えると、心理的な圧力がかかるからですかね。台本の読み合わせ中とか、打ち合わせとかに、無意識に絵を描いていました。

手塚治虫文化賞を受賞するよりも嬉しかったこと

―― では、矢部さんの絵が上手いことは、芸人仲間たちはもともと知っていたんですね。我々からは何も知らなかったので、最初は「矢部さんが漫画?」と驚きましたが。

そうですね。本当に近しい芸人たちは知っていたんじゃないですかね。「イベントをやるから、チラシに出演者の似顔絵を描いてほしい」なんて言われたこともありましたし。なので、最初に『大家さんと僕』を出版したときも、スタッフとかは驚いてはなかったんじゃないですかね。「まぁ、あいつなら描けるか」みたいな感じでした。

―― それどころか、手塚治虫文化賞も受賞して、高い評価を受けました。これはどう受け止めていますか?

うーん……受賞したことは、すごい嬉しいです。そのおかげで読んでくれた人、知ってくれた人もいるので。でも、それよりもっと手前、最初に漫画を描いて本を出したときに、いろんな方が「漫画よかったよ! 」って言ってくれたんですね。その時点で、もう満足できていました。

―― 受賞前からすでに満足だった、と。

はい。漫画好きの友達や先輩たちに褒められたときが、一番嬉しかったです。僕が漫画なんか描いて、最初はなんて言われるかもわからなかったので。でも、彼らに「面白かった!」って言われてからは、「あの人たちが評価しているんだから、いいものが作れたんだ」って思えたし、もしその後に賞を獲っていなかったとしても、大満足ですね。