日本のほとんどの企業には欧米のバカンスといった休暇制度はなく、どうしても生活の中心は仕事になりがちです。
しかし、大手広告代理店に勤めながら週末を使って世界中を旅してきた「リーマントラベラー」の東松寛文さんは、自宅と職場以外の自分の居場所—「サードプレイス」を持つことを強くすすめます。東松さん自身の経験を語ってもらいました。
■生き方への意識を大きく変えたNBA観戦旅行
旅というものにどっぷりハマるまでのわたしの生活は、完全に仕事が中心。勤務先の仕事は激務で、それこそ「社畜」寸前という状態でした。ただ、社会人になってまだ間もない頃で、「大人とはこういうものだ」と思っていましたし、そういう生活も自分なりに楽しんでいるつもりでした。
その意識が大きく変わったのは、社会人3年目だったときのこと。学生時代、バスケットボール部に所属していたこともあり、何気なくアメリカのプロバスケットボール・NBAのニュースをチェックしていると、プレーオフのチケットが安く買えるというのです。思わず衝動的にチケットを買ってしまいました。
それまでのわたしは、有給取得を上司に相談するにも、「いま休まれるとちょっと困るなあ」なんていわれると、「あ、そうですよね」とつい流されてしまっていました。
でも、わたしがそのチケットを買ったために他の誰かが観戦できないわけで、「これだけは無駄にするわけにはいかない」と思えてきました。
「NBAのプレーオフ観戦が夢でした!」と熱い思いを伝えると、上司も承諾してくれました。かくしてわたしは、数日間アメリカを訪れたのですが、そこで衝撃を受けることになったのです。
■アメリカで見た、自分とはまったくちがう生き方
ひとつは、外国語は片言で十分だということ。当時のわたしには海外旅行の経験がほとんどなく、英語もまったくといっていいほど話せない状態でしたが、十分に旅を楽しむことができたのです。
現地で知り合った人のつてでアメフトの練習を見学させてもらうなど、目的のプレーオフだった観戦以外のことも体験することができました。
現地で驚いたのが、とにかく人生を楽しんでいる大人にたくさん出会ったことです。平日の昼間から酒を飲んでいる人も大勢いれば、プレーオフも平日昼間の開催だったにもかかわらずアリーナは超満員。完全に仕事中心だった当時のわたしとはまったく異なる生き方がそこにありました。
とはいえ、「わたしもそういう生き方をしたい」と思ったかといえば、そうではありません。わたしにとって仕事は仕事で大切なものですから。
一方で、「じゃ、他の国の人はどうなのか?」「いろいろな国の人の生き方を見てみたい!」という思いを強く抱くことになります。旅の魅力に完全にとりつかれたわたしは、週末を使って世界中を巡ることになりました。
それからは毎週末に海外に出かけて5大陸18カ国を巡り、むしろ、日本で仕事をしているあいだをトランジット(乗り継ぎ)期間ととらえて、「働きながら世界一周」を達成しました。これまでに訪れた国は約70カ国に上ります。
■サードプレイスができことで、仕事にも好影響が表れた
週末に旅に出るという生活を続けるうち、「自分の居場所が増えた」という感覚を持つようになりました。
みなさんは「サードプレイス」という言葉をご存じでしょうか? サードプレイスとは近年アメリカで生まれた概念で、本来の言葉としてはいろいろな定義があるのですが、日本では「自宅と職場以外の居心地がよい第3の場所」というふうに認識されています。わたしにとっては、旅を通じてできた新たなコミュニティーが、まさに自宅と職場以外の居心地がよい場所—つまり、サードプレイスでした。
旅の魅力にとりつかれるまでのわたしは、仕事とプライベート双方を充実させることは難しいと思っていました。実際に残業・休日出勤はあたりまえという仕事中心の生活をしていると、プライベートを充実させることはできません。
でも逆に、プライベートを優先すると仕事で成果を挙げることは難しくなる…。片方を選ぶと片方に不都合が生じる、二者択一のものだと思い込んでいたのです。
しかし、そうではありませんでした。週末に旅をするためには、休日出勤は絶対に避けなければなりません。自分の仕事の進め方を見直し、徹底的に無駄を排除しました。それまでも自分なりに効率よく仕事を進めていたつもりでしたが、さらに仕事の効率を上げることができたのです。
そうなると、仕事の質やそれに対する評価を下げることなく、プライベートを充実させることができます。仕事とプライベートは二者択一のものではなかったというわけです。そうして、旅を通じて知り合った人たちとのコミュニティーを広げ、わたしには仕事とはまた別の居場所、サードプレイスができました。コロナ禍のいまは、わたしが開設したオンラインサロンで旅好きの人たちとの交流を続けています。
■サードプレイスは「心の栄養ドリンク」
サードプレイスがもたらしてくれる恩恵にはいろいろなものがあります。自分の所属集団以外の人たちが持つ考えや生き方を知り「人生観を変えられる」ということも、サードプレイスが与えてくれる恩恵のひとつでしょう。
自宅や職場で求められる社会的役割から脱する自由を感じて、「心の活力を得られる」ということもあります。いわば、「心の栄養ドリンク」のようなものです。人生の中心に仕事を据えて職場だけが自分の居場所だったときには、仕事で失敗をしてしまうと、まるで自分の人生そのものが失敗したように感じて落ち込んだものです。
しかし、旅を通じてわたしにはもうひとつの居場所ができましたから、そこで周囲から評価されていれば、仕事でなんらかの問題が発生したとしてもそれまでより気にならなくなったのです。いわば、「自分が輝ける場所」が増えたというわけです。
そうしてメンタルを安定させられるようになると、メンタルの不調から仕事でミスを犯すようなことも激減したと感じています。
■サードプレイスをつくるチャンス
みなさんには、そんなたくさんの恩恵を与えてくれるサードプレイスがありますか? コロナ禍以降、感染リスクの高い都市部を離れて郊外の民家などを一時的な生活拠点とする「多拠点生活」が注目されています。新たな場所を拠点としてこれまでと異なるコミュニティーを築くという意味では、多拠点生活もサードプレイスをつくることに近いものだと考えます。
あるいは、テレワークが導入され、これまでより自由に使える時間が増えたなか、働き方や自分の生き方についてあらためて考えてみたという人もいるかもしれません。
そのとき、自分が本当に好きなこと、やりたいこと、大切なことはなにかと考えてみてください。
もちろん、「自分はいまの仕事が好きだ!」と思える人もいるでしょうから、それなら仕事をさらに充実させる方法を考えたほうがいい。
その一方で、わたしのように仕事とは別の大切なものの存在に気づく人もいるはずです。その場合には、見つかった大切なものをベースにしてコミュニティーを広げ、自分の新たな居場所—サードプレイスをつくってみてください。きっと、これまでの生き方にはなかった変化を感じるでしょうし、強い充足感を得られるはずです。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人