「ライオンズが好きだからです。ライオンズを、さらに注目される人気球団、パ・リーグを代表する球団にしたい。その思いが軸としてあります」

1995年にドラフト1位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団し、2度のゴールデングラブ賞や3年連続オールスター出場など、その活躍ぶりから「レオのプリンス」と称された高木大成氏(高は「はしごだか」)。ケガに悩まされながら2005年に31歳で現役を退くと、第二の人生として選んだ道はコーチやスカウトではなく、「球団職員」だった。

4月に発売された著書『プロ野球チームの社員』(ワニブックス)では、“プロ野球選手のその後”を追体験できる。裏方として生きることを決意した「レオのプリンス」だったが、その後の人生は波乱万丈。異動と出向で一時はホテルマンにもなり、これまで9部署を渡り歩いてきた。不慣れな環境をもろともしない“獅子奮迅”の源とは一体何なのか。冒頭の言葉にあるように、そこには揺るぎのないライオンズ愛が宿っていた。

  • 元西武ライオンズの“レオのプリンス”こと高木大成氏 写真提供=埼玉西武ライオンズ

■すべては「なりたい自分」になるために

――本の中で何度も書かれていた「なりたい自分になる」。いつ頃から掲げていらっしゃることなんですか?

「なりたい自分」を常に具体的に描いていたわけではないんですけども、今回出版するにあたってこれまでを振り返る中で、最終的に収まった言葉だったんですよね。目標にしている人や憧れの人が具体的にあるわけではなくて、「自分がどうなりたいのか」と自らに問いかけてきた人生だったのかなと思います。

高校までは、「甲子園に出場すること」が「なりたい自分」でした。これはすごく明確な目標でしたね。甲子園に出るためにはどうすべきか。ゴールがしっかりと決まっていて、小中高はそれに向けて努力する日々でした。早慶戦の中継を観ていて、欲張りなのか「そこでもプレーしたい」と思うようになって、高校は桐蔭学園を選択しました。

――現時点での「なりたい自分」は。

プリンスホテルを含めて色んなことやらせてもらっている中で、「今なりたい自分は?」と言われると……仕事をとにかく全うして、「そのプロフェッショナルになりたい」が今のところの答えになります。

現役時代の高木大成氏

――新たな環境で挑戦することは、すごく勇気がいることですよね。

そうですね。やっぱり、やりたいことってそんな簡単に見つかるもんじゃないと思うんですね。特に仕事となってくると。でも生活をしていくために何かしらの仕事を選択する必要があって、その時に「目の前の仕事をまずは一生懸命やること」が大事かなと思います。「自分がやりたいことじゃないんだよな……」と渋々やるのではなくて、一回覚悟を決めて「この仕事を全うしてみよう」と覚悟を決めること。今まで様々な業務をやらせて頂いて、それは大切なのかなと感じます。

これは仕事だけじゃなくて、どんなことにもつながってくるような気がするんですよね。どんな部門に携わっていても、目の前のことを一生懸命やると必ず自分のものになる。次のステップではその経験が自分のベースアップになるので、最初思っていたこととは違うことをやりたくなる可能性だってあります。

私、そんなに器用じゃないんですよね。自分のやりたいことのレールにしっかり乗ってうまくやっていける人、いるじゃないですか? 戦略通りに昇進したり、会社を設立したり、そういう器用な方はたくさんいらっしゃいますけど、私は到底真似できない。器用さがないからこそ、一生懸命やっていくことしかできないんだとも思います。

■未経験でホテルマンのマネージャー職に

――畑違いの仕事で数多くの部署を経験されたからこそ、説得力のある言葉です。どのくらいの部署を渡り歩いて来られたんですか?

ファンサービス、PR、広報、営業をやって、そこからプリンスホテルに行って宿泊の企画、レストランの企画、球団に戻ってきてまた営業やって今は放映権の担当……合計で9部署ぐらいだと思います。

プリンスホテルに行った時は、元籍に戻った形ではあるのですが、ホテルの仕事を今までやったことがなかったので大変でしたね。何も分からない状況の中でいきなりマネージャー職だったのは、結構ハードでした。部下の方が、当然ホテル事情には詳しいですからね。

引退して球団に入る時、球団は西武グループからの出向社員で成り立っていました。当時、球団の親会社がコクドという会社でした。私が球団職員になるにはどこかの会社に属さなければならない中でコクドに入ることになり、その後合併したプリンスホテルの社員になった……ということです。元籍に戻りましたけど、いずれどこかでそういうタイミングがあるかもしれないと頭の片隅にはありました。