フェンシングと近代五種(フェンシング、水泳、馬術、射撃、ラン)の"二刀流"で注目を集めるアスリート、才藤歩夢選手。その美貌からモデルとしても活躍し、ますます存在感を高め、競技の知名度向上にも広く貢献しています。

しかし、世界的なコロナ禍の影響で東京オリンピックも延期。フェンシングや近代五種の大会、試合もほとんどが中止となり、選手は苦境に立たされています。今回は、そんな逆境もチャンスに変え、ますますアスリートとして進化する才藤に「仕事の楽しみ方」をうかがいました。

■才藤選手の発想転換やリラックス方法は? 後編はこちら

才藤歩夢がプロアスリートになるまで

――まず、才藤選手がフェンシングや近代五種を始めた経緯を教えて頂けますか?

もともと、父がフェンシングのオリンピック代表選手だったこともあって、近所の自衛隊駐屯地で監督をしていたんです。私が小学校高学年の頃、駐屯地へ練習に連れていってもらったことが競技を始めたキッカケでした。それからは週2日くらいのペースで練習に通っていました。

――なかなか練習場所が限られますもんね。中学生になってからはいかがですか?

中学からはスイミングスクールに通うようになって、高校はスポーツに力を入れている学校に進学し、フェンシング部に入部しました。実は、近代五種のなかでも、日本人はフェンシングで世界に遅れを取ることが多いんです。自衛隊の駐屯地では、フェンシングの練習だけは他の種目に比べてあまり進んでいなかったので、高校はフェンシング部のある学校のなかから選びました。

――フェンシングの強豪校に入って大変だったのでは?

フェンシングは高校から始める子も多かったので、そこまで大きな差があったわけではありませんでした。一応、1年生の秋に行われた全国カデ(U-17のカテゴリー)選手権で優勝しています。

――才能の凄まじさを感じるエピソードですね。学業はいかがでしたか?

学業は……悪くはなかったかな(笑)。スポーツ科だったので、私自身、「もっと勉強しなくていいのかな?」というくらい、部活に集中できる環境でした。水曜日と金曜日は午後の授業がなく、部活に行くような学校だったんです。おかげで、他校の同世代よりかなり練習できたと思います。そのときは大変だとは感じていませんでしたが、今考えると「よくやっていたなぁ」と思うくらい練習していました(笑)。

――高校卒業後の進路はどうされたのでしょう?

近代五種は、練習に取り組める環境が少ないので、大学へ行くか、自衛隊や警察へ行くか、企業の実業団のような場所へ行くか……それくらいしか選択肢がなかったんです。迷った末に大学へ進学し、早稲田大学のフェンシング部に入部しました。

事前にいろんな大学の練習を見ましたが、早稲田は練習の環境やチームの雰囲気もよさそうだったし、大学にスポーツ科学部があったのも大きかったです。実際、他競技で活躍している選手と同じ授業を取ることもあって、そこで交流できたのもよかったし、その人たちが結果を出しているのを見ると、「私も頑張ろう!」と思えました。

――大学時代の成績はいかがだったんですか?

大学1年生のときはジュニア世界選手権に出場したり、インカレで団体優勝、個人で準優勝、2年生のインカレでは個人でも優勝できました。全日本選手権でも2回ほど団体で優勝しています。

全日本選手権で優勝するも「もっと上を目指していた」

――プロになって以降、一番嬉しかったエピソードがあれば教えてください。

嬉しかったのはやっぱり、近代五種の全日本選手権で優勝したことです。社会人1年目のときでした。父などは私以上に優勝を喜んでくれていましたね。

あと、父の現役時代の仲間たちも今はフェンシングのコーチや審判、協会の役員をやっていたりするのですが、そういった方々も「才藤の娘が優勝した! おめでとう!」と喜んでくれました。

――達成感もすごかったんじゃないですか?

実は、優勝するとは思っていなかったんです。もちろん、優勝を目指してはいましたし、そのときは「ベストを尽くせたかな」と思いました。でも、もっと上を目指していたので、タイム的には満足のいくレベルじゃなかったんです。それからいろいろ考えて練習してきたので、今はきっと、もっと成長しているはずですし、次はもっと、自分が納得のいく優勝をしたいと思っています。

――これまでの仕事で大変だったことはなんでしょう?

やはり新型コロナウイルスの影響で、去年3月くらいからいろんな試合がなくなったことでしょうか。ワールドカップの2日前に「今回は参加できません」と言われたこともありました。もう荷造りも全部できていたんですけどね(笑)。その次のワールドカップは行けるのかなぁと思っていたのですが、そこからほとんど何もできていません。

コロナ禍の影響もプラスに変える思考力

――やはり試合がなくなると、モチベーションの維持も大変ですか?

確かに、「試合がないとモチベーションがなくなってしまう」という選手や、「五輪があるかどうかもわからないのでは、練習に身が入らない」という選手もいます。その気持もわかりますが、私の場合、試合がないほうが思い切ってトレーニングできたりもします。

――どういうことでしょう?

試合が近づいてきたら、試合に向けて細かい調整をしなければいけません。でも、目前に試合がないと、その間に思い切ってランニングや水泳のフォームを変えたりすることもできます。そういう意味では、コロナ禍はいいタイミングでした。本当に、次の試合がいつになるかもわからないくらい試合がありませんでしたから。

「モチベーションが保てない」「試合ないから練習に身が入らない」と言っていてもしょうがないので、普段ならできないような取り組みにどんどん挑戦していきました。

――試合はできなくても、練習に支障はなかったのでしょうか?

緊急事態宣言でプールが閉まってしまったので、水泳の練習だけはできなかった期間がありました。ランニングと違って、水泳はどこでもできるわけじゃありませんから。通っていたスイミングスクールもコロナ禍で潰れちゃって、急遽、別のプールを探したり、そのプールの近くにわざわざ引っ越したりもしたので、それは結構大変でしたね。

――そもそも近代五種はいろんな種目に跨っているので、練習自体が大変そうですが。

練習場所が1カ所にまとまっていないので、移動の大変さはあります。特に馬術の場合は東京に練習場所がほとんどないので、千葉県や栃木県へ行くことも多いですし、そうなると、移動だけで半日くらいかかります。東京に戻ってからランニングや水泳の練習をしたりもしますが、移動だって休憩ではありませんから、なかなか大変ですね(笑)。

――ちなみに、近代五種の中でどの種目が一番好き、といったものはありますか?

馬術が特に好きですね。近代五種の馬術は、スポーツのなかで唯一動物を使った競技と言われています。フェンシングのような対人競技でさえ難しいのに、動物が相手ですから、近代五種の中でも一番難しいと感じています。その分、上手くいったときの達成感も一番感じられるんです。純粋に動物が好きで、馬が可愛いという思いもあります。

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