柔よく剛を制す。
この格言を19年前に日本のリングで証明した男がいる。
「柔術マジシャン」の異名を持つブラジル人、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。
格闘技人気が高まりゆく2002年夏、東京・国立競技場で彼は規格外のパワーを誇る「野獣」ボブ・サップと闘った。体重差55キロ超。842秒の死闘。9万人を超える大観衆の前でノゲイラが魅せた「折れない心」─。
■真夏の夜の衝撃シーン
2000年代前半、格闘技界は熱く燃え上がっていた。
キックボクシングの「K-1」、総合格闘技の「PRIDE」はイベントを開けば常に会場が超満員、テレビ放送でも高視聴率を叩き出し続けていた。そんな最中、「K-1」「PRIDE」両団体がタッグを組みスーパーイベントを企画する。
それが、2002年8月28日、東京・国立競技場で開催された『Dynamite!』だ。
残暑は厳しくも晴天に恵まれた会場には、9万1107人(主催者発表)の大観衆が集まった。また、試合の模様がTBSで放映されたのは4日後だったにもかかわらず2桁台の視聴率を記録。実況を担当したのは古舘伊知郎だった。
注目を集めたのは、次の3カード。
桜庭和志vs.ミルコ・クロコップ
吉田秀彦vs.ホイス・グレーシー(吉田のプロデビュー戦)
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvs.ボブ・サップ
この中で、観る者をもっとも熱くさせたのは、「テクニックvs.パワー」のノゲイラ(191センチ、104.9キロ)とサップ(200センチ、160キロ)の闘い。
当時、ノゲイラはPRIDEヘビー級のチャンピオン。マーク・コールマン、ヒース・ヒーリング、エンセン井上らに圧勝しており無敵状態。
対するサップは、まだデビューから間もなかった。元(アメリカン)フットボール選手の彼が初めてリングに上がったのは、この年の4月である。
本来なら実現するはずのない王者とルーキーファイターの対決。
だが、このマッチメイクに異論を挟む者はいなかった。デビュー戦で山本憲尚、2戦目に田村潔司を秒殺したサップ。巨体でありなから体脂肪率14%という驚異の肉体から繰り出される常識破りのパワーファイトは、観る者を圧倒していた。「技術vs.パワー」の対決にファンは多大な興味を抱いたのだ。
それだけではない。
「ノゲイラの柔術テクニックも規格外のパワーには通じないのではないか」との声も多数聞かれた。実際に試合序盤から、サップのパワーがノゲイラを圧倒することになる。
開始直後から突進し、パンチを振ってプレッシャーをかけるサップ。ノゲイラはタックルを仕掛けるがアッサリと潰されてしまう。そして直後に、私たちは衝撃のシーンを目撃することになる。
サップがノゲイラのカラダを逆さ状態にして軽々と持ち上げ、キャンバスに首から落下させたのだ。
■大逆転勝利! そして試合翌日に
「危ない!」
思わず声を発しそうになった。
KOされても不思議ではない衝撃シーン。この時、ノゲイラは相当なダメージを負ったことだろう。それでも何とか耐え、下になった体勢から三角締めを狙う。だが規格外のパワーの持ち主には、これが通じない。怪力で強引に振り解かれ、逆に激しくパウンドを喰らってしまう。ノゲイラは左眼下を切られ出血、顔を大きく腫らしていた。
場内が静まり返る。サップのKO勝ちは、時間の問題のように思われた。それほどまでに一方的な展開だったのだ。しかし、ノゲイラは諦めなかった。肉体に多大なダメージを受けながらも1ラウンド(10分間)を何とか凌ぎきる。
「大丈夫だ。奴はそろそろスタミナが切れてくる。もう少しの我慢さ。できる限り奴を動かすんだ!」
コーナーに戻ってきたノゲイラに、セコンドのマリオ・スペーヒーがそう声をかける。
顔面を腫らしたノゲイラは声を出さずも、目には力を宿し小さく頷いていた。
2ラウンドに入ってからもサップの猛攻は続く。苦し紛れに仕掛けたタックルは潰され、またもやノゲイラは防戦一方。
9万を超える大観衆から悲鳴がもれる。
ノゲイラは殴られても、叩きつけられても耐えに耐える。心を折られることは決してなかった。そして、3分30秒を過ぎた頃、状況が一変する。
サップが、グラウンドでの攻防の最中に突如動きを鈍らせた。マリオの言葉通り、スタミナを切らしたのである。ここでノゲイラはサップの太い左腕を一気にひしいだ。間髪入れずにタップする野獣。奇跡的な逆転勝利! その直後、国立競技場が大歓声に包まれ、ボルテージは最高潮に達した。
翌日、都内のホテルロビーで、顔を腫らしているノゲイラと話した。
「タフな試合だった」と彼は言った。そして続ける。
「あんな流れにしてしまったのはプランミスだ。それにしても凄いパワーだったよ」
──首は大丈夫? 途中で、心が折れそうになることはなかった?
「少し痛いけど、首の状態はすぐにもとに戻ると思う。大丈夫さ。
きつかったけど必ずチャンスは訪れると思って粘り強く闘った。これまでに培ってきた柔術を信じてね。柔術の技術がパワーに勝ることを証明できてよかった。
それに、闘いの中で心が折れることもなかったよ。
私は、11歳の時に一度死にかけた。あの時の恐怖に比べれば大したことじゃないんだ」
ノゲイラは決して順風満帆の人生を歩んできたわけではない。ブラジル・バイーア州南部の町、ヴィトリア・ダ・コンキスタで彼が見舞われた大事故については、次回綴る。
<ノゲイラの「折れない心」は、いかにして育まれたのか? 柔術マジシャンが11歳で味わった生死を彷徨う恐怖の体験─。 >に続く
文/近藤隆夫