「地域でいちばん愛されるサロンを目指して」「生涯美容師の実現へ」というビジョンのもと、1986年の創業以来、美容室業界に旋風を巻き起こしてきたアルテ サロン ホールディングス(東京証券取引所市場JASDAQスタンダード 証券コード:2406)創業会長CVOの吉原直樹氏。今回はそんな吉原氏と、税理士でありながら幾つもの事業を立ち上げてきた連続起業家のSAKURA United Solution代表・井上一生氏が「未来の美容室サロン経営」をテーマに対談を行いました。
商社マンを目指していた学生時代と訪れた転機
井上一生氏(以下、井上):本日は、ありがとうございます。吉原会長は、はじめから美容師を志していたわけではなく、30歳を過ぎてから美容師免許を取った異色のご経歴ですね。どのような経緯で、美容室業界に入られたのでしょうか。
吉原直樹氏(以下、吉原):美容室の息子ではないので、当時は珍しい経歴だったのかもしれませんね。祖父2人が酒屋を経営していて、商売家系ではあったのです。将来は商社マンになりたいと思い、大学までいきました。ところがオイルショックの年で、就職が厳しかった。「内定取り消し」という言葉が初めて世に出た年でした。それに当時は学閥があり「〇〇大学、〇〇大学以外は入社お断り」が平然と言われていた時代です。それで、運命の悪戯かご縁か、タカラベルモントにたまたま入社しました。それが1978年のことです。
日本のメーカーが積極的に海外進出していた時代でしたから、「海外勤務できるんじゃないか?」という期待も正直ありました。それで、たまたま配属先が美容機器のセクションだったのです。今振り返ると、そのことが人生の転機のひとつでした。美容業との最初の接点ですね。当初は恥ずかしかったです。「男が美容室に入る」ということに、とても抵抗感があった時代ですから。
井上:なるほど。そういった経緯があったのですね。タカラベルモントでは、多くのことを学べましたか?
吉原:美容室サロンのオーナーが自分のお客さんですから、たくさんの学びがありました。22歳のときに多くの美容室サロン経営者と直接話す機会をいただけたことは、大変意義があったと思います。それで、美容室業界の課題を身近に感じることができました。
その後、1981年に美容室のチェーン店にスカウトされて転職しました。店舗開発や店舗運営を手がけるようになり、より現場を深く知るために美容師免許を取得しようと28歳で美容学校に入学し、31歳の時に美容師免許を取得しました。
井上:スカウトされたとき、どのようなリクエストをいただいたのですか?
吉原:「美容師をマネジメントしてくれ」と言われてスカウトされました。美容機器のセクションにいた当時、生意気なことをお客さんに言っていたのだと思います。「教育すれば、もっと良くできる」「近代的なマネジメントにできる」と、そんなことを言っていました。それで、「美容室業界にマネジメントを入れてみろ」と。
今までは、美容室サロンオーナーがお客さんだったのですが、転職して美容師さんが日々対峙する相手になりました。美容師は、ヤンチャな人が多いんですね。更生させる教育係のようなことを転職してからは行っていました。「美容師でもいいか」「美容師しかなれない」ではなく、美容師がいかに素晴らしい仕事かということを伝え、良い美容師を育てていきたいという想いがありました。青山の一等地で見てきた理想の美容師像が自分のなかにあったので、その姿を自分の部下にもという気持ちで仕事をしていました。
井上:その後、独立して創業されることになるわけですね。
吉原:個人事業主として横浜市に美容室を開業したのが1986年で、1988年には有限会社アルテを設立しました。店舗を徐々に拡大していた頃、「トレハロースの会」という勉強会とご縁ができ、そこで「小さなお店はやめなさい。お店を人に譲ってあげたら、ありがとうと言われるお店にしなさい。小さなお店は譲られても迷惑」とかなり胸を貫かれるような言葉を言われたんです。そこから勉強会で美容室サロン経営を科学するようになり、新しい方法をみんなで試しました。アメリカ視察にも行きましたし、サロンビジネスの分析や新しいマーケティングなど、多くのことを実践しました。勉強会から羽ばたいた人も多いですし、業界全体の底上げになったと思います。
井上:渥美俊一さんが主宰されていたチェーンストア経営研究団体の「ペガサスクラブ」など、業界を大きく革新した勉強会や研究会はどの時代も存在しますね。
「恩を仇で返すような不義理なことをする業界にしたくない」
井上:吉原会長から、当時の美容室業界の課題はどのように見えていたのでしょうか?
吉原:メーカー時代から業界の課題を見てきたのですが、一番の課題と感じていたのは「恩を仇で返す業界」だということです。美容室で働きながら技術を習い、腕を磨くのですが、いずれは独立してお客さんを奪う形になってしまいます。
昔から酒屋さんには「のれん分け」という仕組みがあり、共存共栄する方法があったなと。そののれん分けの方法とフランチャイズを組み合わせて、今の「Ash」のビジネスモデルをつくりました。Win-Winのビジネスをやりたかったんです。「のれん分けフランチャイズ方式」という美容師の独立支援システムで業績を伸ばして、2004年8月にJASDAQに上場することができました。
井上:素晴らしい視点ですね。美容室業界に経営やマネジメントのノウハウを持ち込み、独立支援することで三方よしのビジネスが実現できるわけですね。吉原会長とは、20年ほど前に「会計・数字の面からも美容室サロン経営を支援したい」ということでお声がけいただいたのが出会いでしたが、SAKURAとしても美容室サロン経営を支援したいと考えています。AIやロボットが普及する未来でもなくならない業種として、美容室や飲食店、接骨院・マッサージ店がありますが、そんな各業界を経営管理の面からもバックアップし、美容師の方々が本業に集中できるような環境をご提供したいです。
次回は、これからの美容室サロン経営についてお聞かせください。
(次回に続く……)