お笑い芸人のおいでやす小田が、読売テレビのバラエティ番組『八方・陣内・方正の黄金列伝!』(23日16:25~17:30)に出演する。
芸歴20年にしてついにブレイクを果たしたおいでやす小田。ダウンタウンに憧れ、大学を中退してNSCに入学。モンスターエンジンの西森と「蛇腹」というコンビを結成したが、西森の才能を目の当たりにし、このままでは「じゃない方芸人」になってしまうと危惧して、小田から解散を切り出したという。当時の心境を元相方・西森が語る。
その後、別の相方と「スーパー土瓶」なるコンビを組むが、長続きせず30歳で解散。コンビを組むと売れないことを相方のせいにしてしまうと感じた小田は、ピン芸人「おいでやす小田」として生きていくことを決意する。名づけの親は、先輩のスーパーマラドーナ・武智。なぜ「おいでやす」だったのか。そのシンプル過ぎる理由が明かされる。
32歳にして劇場メンバーに昇格。芸人としてギャラがもらえるようになった。34歳の時には朝の情報番組のコーナーレギュラーに抜てきされることに。実績ゼロの若手に白羽が立った驚きの理由とは。さらに番組では当時の映像も発掘。そのたどたどしすぎる立ち回りに一同笑いを隠せない。
テレビのレギュラー獲得の余勢を駆って、長年付き合っていた年上の彼女と入籍。しかし、番組は1年であえなく終了し、妻の稼ぎだけが頼りというどん底状態に。そんな妻にもアンケートを実施し、当時の「芸人・おいでやす小田」をどう思っていたかが判明する。
37歳で『R-1ぐらんぷり』決勝に初出場し、その後5年連続で決勝進出するなど、芸人としての実力を着実に積み上げていった小田。その間もアルバイト生活は変わらなかったが、ついに去年、こがけんと「おいでやすこが」として出場した『M-1グランプリ』で準優勝。その確かなツッコミ技術と異常な声量がお茶の間に知れ渡ることとなった。あの漫才スタイルはどうして生まれたのか。そして、こがけんと組んだ理由とは。
20年間の苦節がウソのように仕事に追われているという小田。バラエティだけでなく、ドラマにも出演し芸の幅を広げている。その様子を『M-1』で激闘を繰り広げたマヂカルラブリー、そして相棒のこがけんが証言。おいでやす小田の絶叫マシーンのごとく波乱な芸人人生をひも解く。