モータースポーツというと、日本ではサーキットで行われるレースを思い浮かべる人が多いようだが、欧州では、それに負けないくらいラリーが人気だ。公道を舞台とし、市販車をベースとする競技車両が競い合うラリーは、F1より身近な存在でもある。今回はラリーのルールを簡単に説明するとともに、主なマシンを見ながら魅力を探っていきたい。
そもそもラリーとは?
その昔、自動車が誕生して間もない頃、最初に始まったモータースポーツは公道を使ったレースだった。しかし、沿道の観客を巻き込むなどの事故が多発したことから、まもなく専用の競技場、つまりサーキットで争われるレースと、市販車を公道で競わせるラリーに枝分かれしていった。
とはいえ、全区間で速さを競うのは危険ということもあって、ラリーでは「スペシャルステージ」と呼ばれる一定の区間のみでスピードの勝負をし、次のスペシャルステージまでは制限速度を守って公道を移動することになっている。スペシャルステージでは間隔をおいて1台ずつ走るので、レースのようなバトルはない。
ドライバーがひとりで走るのではなく、「コ・ドライバー」(ナビゲーター)から事前に調べた直線の長さやカーブの程度などの情報を受け、2名乗車で戦うことも多くのレースとの違いだ。
現在も行われているラリーで最も歴史が長いのは、南欧の小国モナコで1911年に始まった「ラリーモンテカルロ」だ。その後、他の地域でもイベントが行われるようになり、「欧州選手権」などのシリーズ戦もスタートした。
では、どんな車種が参戦していたのだろうか。2021年4月に千葉県の幕張メッセで行われた「AUTOMOBILE COUNCIL 2021」(オートモビル カウンシル 2021)では、主催者テーマ展示として日本やイタリアのラリーカーが披露されていたので、筆者がかつて取材した車種を加えて、写真とともに紹介していくことにしよう。
参戦の条件は
他の多くのスポーツと同じように、モータースポーツにもルールがある。このうち、車両関係のルールが定められたのは1966年のことで、生産台数や改造の程度などによって「グループ1」から「グループ6」までが制定され、ラリーにはこのうち、グループ1からグループ4までが参戦できることになった。
それまでラリーといえば、街中で普通に目にするセダンが参戦することが多かったが、新ルール制定前後には、あのポルシェ「911」が挑戦してきた。スポーツカーとしては生産台数が多く、しかも高性能という特徴をいかして、BMC(ブリティッシュモーターコーポレーション)「ミニ」やシトロエン「DS」といった、それまでの主力マシンとは別格の速さを見せつけた。
この時期、海外のラリーに積極的に挑戦していた日本勢といえば日産自動車だ。耐久性が求められるアフリカの「サファリラリー」では、「ブルーバード」が日本車初の総合優勝を果たした。911の登場でラリーの高速化が始まると、日産はマシンを「フェアレディZ」に切り替え、2勝を記録した。
多くの名車を生み育てた「WRC」
ラリーの世界選手権「WRC」が始まったのは1973年のこと。ラリーそのものの歴史から見ると開催歴は浅い。当初のタイトルはマニュファクチャラー(製造者)だけに与えられていたが、4年後にドライバータイトルが設定された。
初年度のチャンピオンはフランスのアルピーヌ「A110」だったが、全盛期は短かった。イタリアのランチアが、A110を超える戦闘力を持つマシンを投入してきたからだ。「ストラトス」である。
911やA110は、「連続する12カ月間に400台以上生産 」という当時のグループ4のルールに合致していたから参戦していたクルマだった。一方のストラトスは、ラリーに勝つために設計した車両を400台だけ作るという、ルールを逆に解釈したような経緯で生まれた。ゆえに「パーパスビルトカー」と呼ばれた。
ストラトスを擁するランチアは、1974年から3年連続でチャンピオンに輝く。しかし、ワークスチームでのエントリーは、ここで終わってしまった。
メーカーがモータースポーツに挑戦するのは技術を磨くためでもあり、自社製品を宣伝するためでもある。しかしストラトスは、他のランチアの車両とかけ離れたデザインだったため、販売にはつながらなかった。その結果、ランチアの親会社であるフィアットの意向により、ワークスチームは撤退に追い込まれてしまったのだ。
こうした動きがあったグループ4に代わるラリーカーのトップカテゴリーとして1982年に制定され、翌年から本格的に導入されたのが「グループB」だった。生産台数は200台に減らされ、これをベースとした競技用車両は20台製造すればOKということで、競争が激しくなることが予想された。
その結果、前輪駆動のコンパクトカーのデザインを継承しつつ、エンジンはターボなどを装着して高性能化したうえにミッドシップ搭載とし、駆動方式を4WDにそれぞれ変更したマシンが続々と生まれた。
しかし1986年になると、速すぎるマシンのために悲惨な死亡事故が立て続けに発生。同年いっぱいでグループBは終了となり。翌年からひとつ下の「グループA」がトップカテゴリーに繰り上がった。
グループAの生産台数規定は5,000台(その後、2,500台に緩和)とグループBより圧倒的に厳しく、グループBにはあった競技用車両の公認制度もなかった。ベース車両の性能が結果を左右するという、原点に戻ったような状況になった。
当初、圧倒的に強かったのはランチア「デルタ」で、ターボエンジンと4WDをコンパクトなボディに詰め込んだ「HF4WD」や「HFインテグラーレ」などが、初年度からなんと6年連続でチャンピオンマシンになった。
1990年代に入ると日本車が力をつけ始める。1994年にはトヨタ自動車「セリカGT-FOUR」が頂点に輝き、スバル「インプレッサWRX」、三菱自動車工業「ランサーエボリューション」もチャンピオンマシンに名を連ねた。
グループAでは、ベース車両の段階でターボエンジンや4WD、太いタイヤを収めるためのオーバーフェンダーなどを持っていなければ参戦できないことから、欧州勢の参加が少なくなっていく。この状況を見たFIA(国際自動車連盟)は1997年から、「ワールドラリーカー」というカテゴリーを導入した。前輪駆動のコンパクトカーをベースにエアロパーツを装着し、フェンダーを広げ、2リッターターボエンジン+4WDとしたマシンを製作すれば参戦可能というのが条件だった。
この時期、最強だったのがシトロエンのドライバーだったセバスチャン・ローブで、2004年に初のドライバーズタイトルを獲得すると、なんと9年連続でその座に輝くという大記録を樹立した。
日本車はラリーカーの宝庫
ワールドラリーカーのルールは今も続いているが、2011年にエンジンの排気量制限が2リッターから1.6リッターに引き下げられ、6年後にはエンジン性能やエアロパーツ、フェンダー形状などの基準が緩くなるなどの変更があった。
この変更を機にWRCにカムバックしたのがトヨタで、「ヤリスWRC」が2018年にチャンピオンマシンになると、翌年からは2年連続でドライバータイトルを獲得している。
2020年に発表された「GRヤリス」は、こうした実戦での経験を投入したスポーツモデルで、市販車の段階で1.6リッターターボエンジン、4WD、ワイドフェンダーなどを持つ。実はトヨタは、このGRヤリスをWRCに投入するつもりでいた。
しかし、2022年からは全車共通のハイブリッドシステム投入、プロトタイプボディ認可などの新ルールが決まったうえ、新型コロナウイルスの感染拡大も重なったことから、トヨタは2022年から始まる「ラリー1」と呼ばれる新しい規格のためのマシンを開発することに方針を転換。GRヤリスの実戦投入は見送られた。
とはいえ、現行市販車でWRCマシンに最も近い内容を持っているのはGRヤリスということになるわけで、そういう意味でも注目すべき車種だし、少し前のインプレッサWRXやランサーエボリューションを含め、日本にはWRCマシンの雰囲気を味わえる車種が豊富にそろっている。
もちろん、公道でスペシャルステージのような走りはご法度であるが、雰囲気を楽しむことはできる。実際、かつて参戦していた車両を手に入れ、カッティングシートやステッカーなどでワークスマシンに近づけて楽しんでいる人はいる。
ラリーはモータースポーツといっても手の届かない存在ではなく、自動車を使ったスポーツとしては身近な存在である。もちろん参加する楽しみもあるが、それだけではなく見る楽しみ、彩る楽しみもある。クルマ趣味のひとつの方向性として、もっと広がりを見せてもいいのではないだろうか。