今年は、マツダが1991年に日本車初の「ル・マン24時間レース」制覇を成し遂げてから30年目にあたるメモリアルイヤーだ。そこで今回は、1970年のエンジン提供から始まったマツダのル・マン史を懐かしのクルマ3台を見ながら振り返ってみたい。
日本車初のル・マン制覇、栄光の歴史
世界最高峰の自動車耐久レースとして知られるル・マン24時間レース。マツダのル・マン史は1970年に始まる。当時、レースに出場するベルギーのプライベートチームに、ファクトリー仕様の「10Aエンジン」を提供したのだ。
その1970年は、ポルシェが「917K」で初の総合優勝に輝くなか、10Aエンジンを搭載した「シェブロンB16マツダ」はエンジントラブルで無念のリタイヤ。苦汁をなめる結果に終わった。
その後はマツダのディーラーチームである「マツダオート東京」(1979年にマツダスピードに名称変更)が1974年、1979年、1981年と参戦するも、マシントラブルや予選落ちもあって完走すらかなわず、ル・マンの厚い壁に跳ね返され続けた。そんなマツダに初の完走をもたらしたのが、「グループC」元年となる1982年の「RX-7 254」だ。
初代「RX-7」をベースに、シャシー剛性などを強化した「RX-7 254」。エンジンにドライサンプ方式の13Bロータリーエンジンを搭載したその走りは、現代のGTマシンとは異なり、まるでボディをねじらせるようだったという。
レースではギアボックス・トラブルや燃料系の不調に悩まされるも、無事に24時間を走破し、見事14位でフィニッシュした。これは日本車初の快挙でもあった。
この結果に気をよくしたわけではないだろうが、翌1983年には、それまでのディーラーチーム体制からファクトリーチーム「マツダスピード」体制へと発展。ル・マン制覇に向け、マツダの気勢はますます高まった
「マツダスピード」は1983年~1985年にかけて、グループCの中でも下位カテゴリーであるグループCジュニア、グループC2に参戦。1985年に投入された「737C」は、その集大成と呼べる成熟したモデルだ。
「727C」(1984年)からの変更点としては、操作性とダウンフォースの向上を狙ってホイールベースを80mm延長。ほかにも、剛性を高めながら軽量化を実現したモノコックボディや、サスペンションを作り直してオイルラジエーター前に移設するといった改良が施されている。
期待が高まるなかで85号車と86号車の2台がエントリーしたレースでは、一時はクラストップの快走を見せたが、マシントラブルもあってそれぞれクラス3位と6位という不本意な結果に終わった。
ちなみに、レースには白のボディカラーで参戦した85号車だが、直前までは、ルーフ周りがレッドとシルバーに塗り分けられていたという。それがなぜ白になったかといえば、イギリスで行われたサーキットテストで燃料漏れのトラブルに見舞われ、全焼してしまったためだ。3日間の突貫修理でなんとかマシンは修復できたものの、塗装は間に合わなかったのだとか。
1987年には「757」で日本の歴代最高位となる7位入賞を達成。そして1991年、「787B」でいよいよ歓喜の瞬間を迎えることになる。
車両重量830キロの軽量ボディに最高出力700PSの4ローターエンジンを搭載する「787B」。直線スピード重視の設計だった「787」の結果が振るわなかったことから、本モデルはコーナリングスピード重視型に改良してある。
レースでは、上位を独占していたメルセデス・ベンツ勢が次々とマシントラブルに見舞われて無念のリタイヤに追い込まれるなか、レース開始から21時間が経過した時点で「787B」がトップに立つ。その後もノントラブルで先頭を守った「787B」が、6月23日16時に歓喜のフィニッシュを迎えた。コース362周、距離にして4,923.2kmという成績だった。成し遂げた偉業は、長く後世に語り継がれるに違いない。