第34期竜王戦2組ランキング戦準決勝、▲藤井聡太二冠-△松尾歩八段戦で飛び出たあまりにも鮮やかな一着

第34期竜王戦2組ランキング戦(主催:読売新聞社)の準決勝、▲藤井聡太二冠-△松尾歩八段戦が3月23日に東京・将棋会館で行われました。結果は75手で藤井二冠が勝利。2組決勝に駒を進めると共に、決勝トーナメント進出を決めました。

本局は長く、長く語り継がれる一局となりました。それは伝説となるであろう藤井二冠の「▲4一銀」という一手が飛び出したからというのはもちろんですが、両者が最強の手の応酬で戦い、とても美しい棋譜が残ったからです。

ここでは▲4一銀を中心に、この歴史的一局を振り返ります。

振り駒で先手番になったのは藤井二冠でした。戦型は横歩取りになり、藤井二冠が青野流を採用します。

対する松尾八段は最先端の布陣で迎え撃ちます。実はこの作戦には前例がありました。昨年12月に指された対局で、先手を持って指していたのが他ならぬ松尾八段。その将棋は後手番の屋敷伸之九段が勝利を収めています。松尾八段は自身が敗れた作戦に可能性を見出し、本局に向けて研究を進めていたのでしょう。

中盤、藤井二冠が金取りに歩を打ったのに対し、松尾八段はそれを無視して桂取りに歩を取り込みました。両者の読みと読みがぶつかる真っ向勝負。局面は一気に激しくなりました。

松尾八段は藤井二冠の飛車に狙いをつけ、執拗に追いかけます。後手の狙いは△4四角という一手。次に△8八角成▲同金△同飛成と進めば、飛車を敵陣に成り込むことができて大成功となります。

普通はこの角打ちを食らわないように進めるとしたもの。ところが、なんと藤井二冠はあえて△4四角を打たせる順に踏み込みます。そして△4四角を打たれた後の次の手が、「▲4一銀」につながる妙手でした。

それが▲3四飛と飛車を一つ浮く手。後手の飛車は8四にいて、後手の角をはさんで両者の飛車がにらみ合う格好です。前述の後手の狙い筋である△8八角成には、▲8四飛と飛車を取ることができます。

ここまで持ち時間をあまり使わずに指し進めてきた松尾八段ですが、この手を見て長考に沈みます。夕食休憩をはさんで2時間17分の考慮の末、敵陣の金を剥がす手を着手しました。ランキング戦の持ち時間は5時間ですから、約半分の時間をこの手に投入したことになります。

長考から数手後、ついに松尾八段はかねてからの狙いである△8八角成を決行します。当然藤井二冠も狙いの▲8四飛をすぐに指すのかと思いきや、なかなか着手しません。その時、本局を中継していたABEMAの画面には謎の▲4一銀という手が最善手として表示されていました。まさかこの手を指すのか!? と観戦していたファンは盛り上がります。

そして約1時間の考慮で、藤井二冠の手は駒台にのび、銀をつまみました。盤上に放たれたタダ捨ての▲4一銀。この手が本局の先手の勝利を決定づけるのみならず、将棋の歴史に燦然と輝くことになる絶妙手でした。

取れる飛車を取らずに、その上銀を相手に差し出す▲4一銀。この手にはどういう意味があるのでしょうか。一言で言うと、「敵玉の退路を封じて、▲8四飛の威力をより強める」です。

藤井二冠以外のほぼすべての人類が指すであろう、▲8四飛。▲4一銀を入れずに単にこの手を指すとどうなるのでしょうか。▲8四飛には、金を取られる△7八馬がワンセット。その局面の彼我の玉の安全度が問題となります。

まず先手玉は将棋用語で言うところの「2手すき」です。「~手すき」とは、何手後に玉が詰まされてしまうのかということを指しています。玉に詰みがあるときは「0手すき」、詰めろがかかっているときは「1手すき」です(実際には詰み・詰めろという別の便利な用語があるので、「0手すき」「1手すき」という言い方はしません。使うのは「2手すき」からです)。

藤井二冠としては、2手の猶予があるうちに後手玉を寄せれば勝ちとなります。しかしながら、単に▲8四飛と指してしまうと、後手玉に詰めろ(1手すき)がかからないのです。相手と同じように敵玉に「2手すき」をかけてしまうと、手番の差で負けてしまいます。なので、もしその局面を迎えた場合は、受けに回る必要があります。そうなると先の長い戦いとなってしまいます。

局後のインタビューで藤井二冠は「▲8四飛、△7八馬のときに詰めろをかけたいが、▲3四桂や▲7五桂は際どいが詰めろになっていない気がした」と語っています。その読みはもちろん正確でした。

その問題を解決するのが、▲4一銀でした。後手はこの銀を玉か金のどちらかで取ることができます。しかし、玉で取ると▲3二金を打たれ、金で取ると4一の地点が自分の駒で埋まってしまい、玉の退路がなくなってしまいます。銀捨ての絶妙手によって、先手は後手玉の4筋方面への脱出を防ぐことができるのです。

とはいえ、ただ速度を逆転させるだけの手というのはさほど珍しいものではありません。▲4一銀の局面は、取った銀を使って受けに回る手もあり、反撃に出る手もあるまだまだ複雑な局面です。その中で貴重な戦力である銀を捨てるのは、通常の感覚からするととても踏み込めない、というのが常識です。1時間の長考の末、藤井二冠はその常識を乗り越えました。そこに将棋ファンのみならずプロ棋士すら口々に感動の声を上げたのです。

本譜、松尾八段は△4一同金を選択。そして▲8四飛、△7八馬と進むと、先ほど説明した局面とは様相が一変していました。先手玉は変わらず2手すきなのに対し、後手玉は▲7五桂と打たれて詰めろ。速度が逆転してしまいました。

松尾八段は何とか詰めろを解除しようと粘りますが、藤井二冠の攻めの手が止まることはありませんでした。常に王手か詰めろで後手玉を追い詰め、最後は即詰みに打ち取って勝利を収めました。

相手の入念に用意してきた作戦に真っ向からぶつかっていき、さらに相手の狙い筋にも果敢に踏み込み、最後はあまりにも鮮やかな一手で相手をマットに沈める。藤井二冠の退くことを一切しない指し回しに凄みを感じました。

将棋界の歴史を振り返ると、後世に語り継がれている妙手には、銀を用いた手が多いことが分かります。

昭和の時代なら、第30期名人戦第3局▲大山康晴名人-△升田幸三九段戦の「△3五銀」や、第37期名人戦第4局中原誠名人-米長邦雄棋王の「▲5七銀」。平成なら第38回NHK杯テレビ将棋トーナメント4回戦、▲羽生善治五段-加藤一二三九段戦の「▲5二銀」や、第60期王座戦第4局▲渡辺明王座-△羽生善治二冠戦の「△6六銀」などです。

また、令和に入ってからは、記憶に新しい藤井二冠の受けの絶妙手「△3一銀」(第91期ヒューリック杯棋聖戦第2局)がありました。

本局の「▲4一銀」はそれらと並び称される一手として、語られ続けることでしょう。

終局直後の藤井二冠。今年度を素晴らしい将棋で締めくくった(提供:日本将棋連盟)
終局直後の藤井二冠。今年度を素晴らしい将棋で締めくくった(提供:日本将棋連盟)