歳を重ねると、一般的には新しいことに挑戦したり、新しいものを知ろうとしたりすることが難しくなると言われますが、こんな事情があるのかもしれませんね。

あずまさん(@sngazm)が投稿したこちらのツイートが話題になっていました。

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歳を取ると新しいものが受け入れられなくなるっていうの、「何だこんなものは!けしからん!わしは認めんぞ!」みたいな感じじゃなくて、「あーはいはい、こういうのね、昔見たことあるよ、知ってるからいいわ」という感じになって徐々に新しいものの良さを見いだせなくなるんだな
(@sngazmより引用)

この投稿に、「なんかわかる」「あるあるすぎて!」「今まさにそうなってるわ」「あるある……何見ても新鮮な気持ちになれなくなった」「新しいものを摂取する体力と気力と時間がないんだよなぁ」と、共感の声が多数寄せられていました。


ツイ主のあずまさんに、お話を聞きました。

―― 多くの大人が心に刻むべき内容だと思いました……。こちらに思い至ったきっかけや出来事などがありましたら教えてください。

あずまさん:流行りの新しいアーティストの音楽とかを聞いていても、ちょっと聞いただけで「あーこの曲のこういうテイストは昔のあの曲に似てるな、そういう感じね」とそういう風になんかわかったつもり、になってる自分がいるんですよね。

―― 確かに。筆者も、子どもたちから「これすっごい美味しいんだよ」「この歌よくな~い?」とススメられても、「本当だ! すごいいいね」なんて新鮮な気持ちになれないことが多々あります。

あずまさん:でも本当に音楽に詳しい人からすると、「その人のコード進行のどういう点が革新的なのか」っていうのすごい嬉しそうに説明したりとかしてて、それはたぶん本当にその音楽をちゃんと聞いてる人しか見出せない良さだったりすると思うんですけど、そういうとこにたどり着く前になんか納得してわかった気になるみたいなパターンが年々増えていってるような気がするんですよね。

―― 新しいものと、きちんと向き合おうとする気力も薄れてしまっているのかもしれませんね

あずまさん:ある偉大なプロダクトデザイナーは、ものの良さを見抜くための修行としてずっとお茶をやってたんですよね。それを知った時に僕は、”良さを見抜く”っていう言い方がすごくしっくり来て、見抜くって面白いなと思って。見出すとかじゃないんですよね。

―― あずまさんにとって、”見出す”と”見抜くとではどういう違いがあるのでしょうか?

あずまさん:見出すだとその良さの解釈を作り上げるみたいな感じで、見抜くっていうのは良さっていうのはすぐにそこにあってそれを感じられるかどうかっていう。受け取り手側がその見出すっていう能動的な行為をしないとその良さっていうものを掘り出せないんですよね。本当に自分が良いものに触れていい人生を送りたいのだとすれば、そういう多層的な良さを見抜く目みたいなものを身につける必要があるんじゃないかなって思います。


いかがでしたか? このツイートにドキッとした人も多いのではないでしょうか?

自分の時間を持てるようになったら、何かはじめてみてはいかがでしょうか? いつまでも、新鮮な心を忘れないようにしたいですね。