メルセデス・ベンツの最上級車種「Sクラス」はどう進化したのか。2021年1月に日本で発売となった新型モデルに試乗した。乗ったのは全長5.3mを超えるロングボディのガソリンエンジン搭載車。AR(拡張現実)を取り入れた最新のナビに導かれながらのドライブでは、過渡期を迎えた自動車の世界でメルセデスが目指す新たなクルマ像が見えてきた。
フルモデルチェンジを経た新型Sクラスは、世界初の装備として後席左右にSRSエアバッグを採用。オプションで「ARヘッドアップディスプレイ」を装着してナビに目的地を設定すれば、ヘッドアップディスプレイ(HUD)には進むべき方向を示す矢印が浮かび上がる。シートポジションなどの個人設定を呼び出せる生体認証(指紋や顔など)や、大きな車体でも小回りが利く後輪操舵なども話題だ。
日本で購入できるモデルは現在のところ、ディーゼルエンジンの「S400」とISG(モーター機能付発電機)付きガソリンエンジンを搭載する「S500」の2種類。それぞれに車体全長の異なる標準車とロングボディがある。駆動方式は全て4輪駆動(4MATIC)だ。今回は「S500 4MATIC ロング」に試乗した。
全長5.3m超、全幅1.9m超という堂々たるサイズだけあって、対面した試乗車は駐車枠ぎりぎりといった感じだった。レクサス「LS」とほぼ同等の大きさだ。しかし、その外観は威圧感を覚えさせないどころか、むしろ艶やかであり流麗でもあって、実際の寸法ほど大きさを目に訴えかけてくることはない。運転してみても、やや小ぶりだった前型のSクラスとの差はあまり感じなかった。
同じことは「Eクラス」に乗っても感じるところで、見た目には大きそうに思えても、運転し始めると「Cクラス」でも操っているかのように自在なのである。もちろん、路地などに入り込めば対向車とのすれ違いなどで大きさを実感するだろうが、公道や高速道路で車線内を走っているときには、大きさからくる扱いにくさを感じさせないのがメルセデス・ベンツのすごいところだ。それは、運転手付きで乗るようなかつての「マイバッハ」でさえ同様であった。
新型Sクラスは後輪操舵を採用している。時速60キロ以下であれば、後輪は前輪と逆方向に最大約4.5度の幅で切れるのだ。後輪が逆方向に切れることにより、新型Sクラスでは5.5mの最小回転半径を実現している。もともと後輪駆動のメルセデス・ベンツ車は、いずれも小回りが利くことで知られているが、新型Sクラスは後輪操舵という技術を利用することで、小回り性能を維持した。後輪が切れることによる違和感は全くない。
走行に際しては、ドライブモードを「エコ」「コンフォート」「スポーツ」「スポーツプラス」「インディビジュアル」の5つから選べる。イグニッションを入れると、コンフォートでの走行になる。
ここで、やや戸惑いがあった。ゆったりと車体が揺れるような乗り心地は波間に揺れる船のような感触で、運転していて心もとない。これはエアサスペンションの影響かと思うが、メルセデス・ベンツでは1960年代から採用例があるので、技術不足ということはないはずだ。この考察は、あとで再度行う。
コンフォートのままであっても、速度が高くなると手ごたえはしっかりしてきた。走行モードをスポーツに切り替えると、いつものメルセデス・ベンツという手応えの確かな走りになる。スポーツプラスでは乗り心地がさらに硬くなるものの、よほど路面状態の悪い道でなければ、快適性を損なうほどではない。
前型から採用している排気量3.0Lの直列6気筒ガソリンエンジンは、ISGのほかスーパーチャージャーとターボチャージャーを装備しており、最大トルク520Nmの力を発生する。車体は大きいが、動力性能に全く不足は感じない。高級車の動力は、英国のロールスロイスなども同様だが、静かで滑らかで、いざというときには猛然と加速して速度を上げられる力を備えていることが条件だ。Sクラスのエンジンも、その目的を存分に果たせる性能を持っている。後席の快適性も従来通り文句なく、高級車の名にふさわしい心地よさを味わった。
新型「Sクラス」の気になったところ
ここからは、コンフォートモードでの船のような乗り心地を含め、新型Sクラスで気づいた点の考察を進めたいと思う。まずは問題提起だ。
生体認証は、指紋、顔、音声の3つのいずれかを登録することができる。クルマに乗り込んで認証を行えば、自分で設定したシートポジションを自動で再現してくれる。何人かで1台のSクラスに乗る場合などに役立つ機能だ。ただ、登録には手間がかかるし、設定の際の応答性に、やや的確性に欠ける面があった。
近年の流行でもあるが、新型Sクラスではカーナビゲーションの画面が大型化し、12.8インチの有機ELディスプレイとなった。配置は簡単にいえばテスラ「モデルS」のような感じなのだが、これも画面の傾きや項目選びの使い勝手に扱いにくさがあった。画面は傾斜しすぎており、運転しながら視線を移動させた際に認識しにくかった。画面の項目を変更しようとしたときも、選んだり、元へ戻そうとしたりするうえで、操作の直観性にまだ課題があるように思えた。
ARの表示も可能なヘッドアップディスプレイは、表示項目を簡素化する選択肢はあるものの、全てを表示させると情報過多となってしまい、外界を確認するうえで目障りな面があった。ARでの進路の示し方や、前車追従の際に前車を認識しているかどうかを知らせる表現には、まだ試行錯誤的な様子がうかがえた。ナビに目的地を設定すると分岐で矢印が浮かび上がって進路を指示してくれるのだが、提示のタイミングがやや遅く、どちらの方向に向かえばよいのか、判断が遅れ気味となってしまう場面もあった。
運転支援機能では、前車追従型のクルーズコントロールにおいて、車間距離の調整に遅れが出て、加減速に不安を感じるところがあった。車線維持機能も、前型と比べやや的確性に欠ける気がする。
以上のように、細かな点で気になる項目がいくつかあった。その原因はどこにあるのか。疑問に対する取材ができていない現在、以下は私の見解だが、新たな機能をいろいろと盛り込んだ結果、それぞれの熟成がまた達成しきれていないのではないかという気がする。
さらに、その違和感の原因は、電力不足ではないかと思う。従来、メルセデス・ベンツの運転支援機能は操作が的確で、使用の際には安心と信頼が感じられるものだった。同機能に違和感を覚えたのは、ARを含め、新たに電気を必要とする機能が増えたため、電力不足により演算、通信、操作に遅れが生じているためなのではないだろうか。
メルセデス・ベンツは「EQS」という電気自動車(EV)の導入準備を進めているが、EVであることを最大限に活用しながら、「CASE」(コネクテッド、オートノマス、シェアード、エレクトリック)を実現する最上級の4ドアセダンを市場投入するのに先駆け、新型Sクラスでさまざまな新技術を導入した結果、ISGによるガソリンエンジンでは電力を賄いきれない状態に陥ってしまった。そんな事情があるのではないかという気がする。
コンフォートモードの低速域での揺れるような乗り心地については、速度無制限区間のあるアウトバーンを超高速で走り続けることが不合理になっていくであろうEV時代に備え、新たな快適性の価値を生み出そうとする途上の試行錯誤なのではないかと思う。1960年代からエアサスペンションを活用してきた実績も高速走行を意識した知見が中心だから、低速域の理想像を改めて模索し始めたのかもしれない。
生体認証については、CASEの時代に備え、共同利用ではなくクルマを所有することに意味を持たせるうえで、個人の情報をクルマに覚えさせ、自分のクルマとして管理を徹底する目的が背景にあるのではないか。昔から、メルセデス・ベンツは盗難されにくいことでも知られるが、それでも万一に備え、個人情報を守る準備をしているようにも思った。
そもそも、「CASE」という言葉を使い始めたのはメルセデス・ベンツを擁するダイムラー社だ。ガソリンエンジン自動車を発明したのは、カール・ベンツである。その伝統と誇りを胸に、最先端を駆け続けなければならないダイムラーの挑戦する姿を、新型Sクラスに見た気がした。
ただ、ドイツの自動車メーカーはいずれも、超高速での長距離移動を求める消費者のニーズに対応するため、速度無制限区間を持つアウトバーンへの対処を余儀なくされるので、一足飛びにEVメーカーになるのが難しい。その矛盾が、新型Sクラスで顕在化したのではないかと思う。
その点、安全が第一の特徴であるスウェーデンのボルボは、世界的に最高速度を時速180キロに抑える方針を打ち出しているが、それがEVメーカーとなるうえでも有利に働くだろう。
EV時代へ向けた過渡期におけるひとつの苦悩ではあるが、名だたるメルセデス・ベンツのSクラスにおいてなお、挑戦する姿がそこにある。そのうえで、ドイツ車や欧州車の常として、年を追うごとに成熟度を増し、完成の域へ近づいていくことを考えれば、ここで挙げたいくつかの気になる点も、間もなく解決されていくだろう。新たな技術に挑戦し、市販することで完成させていこうとする姿は、箱庭のような未来都市をつくり技術を磨こうとするのとは異なる。消費者は志を尊び、そして支えることでメーカーとの一体感を覚え、喜ぶ。現場・現物・現実に根差した取り組みが本物の実りを迎えるのだと思う。