“可愛すぎるジュノンボーイ”として注目されているモデルの井手上漠が、この春高校を卒業し、3月に生まれ育った島根県隠岐諸島から上京して芸能活動を本格化させる。「東京から離れていたからできなかったお仕事など、いろんな新しいことにチャレンジしてみたい」と抱負を述べ、演技にも意欲を示している。そして、この大きな節目に、ジェンダーレスであることをカミングアウトしてからの変化を改めて尋ねると、「キラキラした毎日」になったと言い、「ありのままで生きなさい」と導いてくれた母への感謝の思いも語ってくれた。

  • 井手上漠 撮影:蔦野裕

井手上は、ツイッターのプロフィール欄で「いでがみばくです、性別ないです」と説明し、投稿のトップには自らのジェンダーレスな生き方についてつづった文書を掲載している。この文書は、中学3年生のときに参加した弁論大会「第39回少年の主張全国大会」(2017)で全国2位の文部科学大臣賞を受賞したスピーチの内容だ。

昔から女の子の遊びが好きで、小学校高学年の頃に自分は人とは違うと気づくも、「気持ち悪い」と周囲から変な目で見られていると感じ、男子に合わせる日々を送っていたという井手上。ありのままの自分ではいられず苦しい日々が続いたが、中学2年生のときに母親から「ありのままで生きなさい」と言われ、ありのままで生きることに。

「母が味方なら怖くないと思い、そこからはマナーは守りながら、なんでもかんでも自由に、どこまでも自分を貫くという意志を持って生きてきました」と生き生きと語り、「それまでは無口で、自分のことを話すこともまったくできませんでしたが、そのときから自分の意見を言えるようなりました」と、大きな転機となった。

ジェンダーレスであることをカミングアウトし、ありのままで生きた高校3年間は毎日キラキラ輝いていたという。「弁論大会で全国2番になって認められてから、いろんな人と関わることも増えたし、いろんな人に自分を理解してもらって、多様性が認められてきたなと。私が自分の考えを発表したことで、私のような人も普通だという風になりつつあり、自分がしたことは影響があったんだなと自信がつきました。自信がつくとすごくキラキラした毎日になり、高校生活はたくさん友達ができたし、今までの私からは想像できないような学校生活に。人生大逆転という感じで楽しませていただきました」とうれしそうに話した。

高校1年のときには「第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」(2018)に出場し、DDセルフプロデュース賞を受賞。“可愛すぎるジュノンボーイ”として注目を集め、芸能活動をスタートさせた。

同コンテストは人に勧められてノリで受けたそうで、受賞したことをきっかけに芸能界入りを考えたという。そして、芸能界に入ってジェンダーレスな生き方を発信していく中で、多くの人たちから「救われました」という声が届き、「私が表に出て堂々としていることで、自分も堂々としていいんだと感じてくれる人がいる。私が存在しているだけでも誰かの救いになっているんだ」と気づかされたという。

苦しい時期もあったが、ジェンダーレスに生まれたからこその良さも感じているという井手上。「私は何が魅力的なのだろうと考えたときに、やっぱり男性でもあり女性でもあるということ。性別を2つ持っているからこそ、男性でも女性でも着られるような新しいファッションを着ることもできるし、今まであまりいなかった新しい人として存在できているのはよかったなと思うし、お仕事につながることもありがたいし、救われる人がいるというのもうれしい。自分のやっていることに意味があるなと思います」と語った。

反響はSNSで実感。「こう思われているとか、ああ思われているとか、こういう人の救いになっているんだなと感じます」と言い、「私はSNSのおかげで多くの人たちに知っていただけたので、SNSは大事にしています。ファンと触れ合える身近な手段ですし、質問箱を設けて、私みたいに悩んでいる人の質問に答えたり、相談に乗ったりしています」とSNSとの向き合い方も明かした。