どうにも昔から本を飛ばして読むことができない性分で、どんな本でも1ページ目からきっちり読む。本の必要な箇所だけを拾い読みして、ザクザクと知識を入れていくタイプの読み方には憧れるが、どうしても飛ばした部分が気になってしまって、頭に入ってこないのである。それゆえに、私は多読・速読ができない。限られた人生の時間内で読み逃す本は多いのだろうけれど、それが私なのだから仕方ない。

  • 『女の節目は両A面』(岡田 育 著/TAC出版/1,430円)

そういうわけで、『女の節目は両A面』を読むにあたって、私は生まれて初めて本を後ろから読んだ。初めて後ろから読み、真ん中まで読んだところで最初に戻り、今度は最初から真ん中まで順番に読んでいった。一体何を言っているのかと思うかもしれないが、この本がそういう特殊な作りになっているのだ。

紙の本が持つエンターテインメント性に驚く

本の後ろから始まるのは、著者の岡田育氏が、自分の人生を0歳から35歳まで順番に振り返った"過去編"(横書き)。そして前から読むと、出産、育児、閉経、死別、葬式など、これから起こるであろうこと(あるいは今のところその未来は選ばないと決めていること)について思いを巡らす"未来編"(縦書き)となっている。

とはいえ、この本に読み方のルールは特になく、岡田氏はまえがきで、「どちらから読み始めても構わない。頭から全部読む必要も、さほどない」と書いているくらいである。つまり、私は自分の性分に従って、結局この本を"内容的には最初から読んだ"ということになる。

まずこの本を手にした人は、紙の本の持つエンターテインメント性のポテンシャルに驚くんじゃないだろうか。

過去編と未来編に分けて、横書きと縦書きで後ろと前から両方読めるようにするなんて芸当、電子書籍にはできまい。まあ、電子書籍も後ろから読めはするが、手を使って、「後ろが過去」「前が未来」と感覚的に楽しめるのは、紙の本ならではの体験だった。もしも、本は全部電子書籍になっていい、とのたまう人がいたら、印籠のようにこの本を突き付けたい。この、紙の本でしか味わえない仕掛けが、目に入らぬか。

なぜ過去と未来が、真ん中で落ち合うのか、についても、通して読むと腑に落ちる。岡田氏は本書の中で、人生のままならなさを一つ一つ実感し、その上で腐るのではなく、それもまた自分であり、それが人生である、と結論付けている(ように思える)からである。

過去からあらゆる経験を経て"本の真ん中"までやってきた自分。そして、未来で起こり得る様々なことを想像し、想定し、心の準備をしながらも、最終的には同じ場所(本の真ん中)に行き着く。

「自分の価値は、自分で決める」を諦めきれない私

「⾃分の価値は、⾃分で決める」と思っていた15歳の岡田氏。初めて男子校の生徒からナンパされたことで、人生とは「私の価値を、私以外の誰かが決める」繰り返しだと知る。入院や手術を繰り返す"病弱の子"にかつて憧れていた少女時代。27歳では、加齢によって健康は努力しないと維持できないものとなる。結婚した友人に向けて「今までと変わらぬお付き合い」を望むも、自分一人の力じゃ人生はコントロールしきれないものだ、と悟る33歳。

そして未来編に入ると、つとめて冷静に、具体的に、「老い」や「死」についての想像を深めていく。岡⽥⽒は幼い頃、視⼒が失われたら読書にマンガに絵に⽂字に、この世で楽しいと思える生きがいがほとんどなくなる恐怖を抱いていたそうだ。けれど、実際の人生は、ある日突然、目が見えなくなるような、「0」か「1」かではない。「まだ『0』というわけではないけどもはや『1』とも呼べない、黒みの中に混じった白髪一本を気にしながら過ごす時間が、とても、とても、長いのである」と自らの白髪を引き合いに語る。

一方で、岡田氏の祖母は最近、「『長生き』への喜びよりも、『ボケ』への恐怖がまさっている」そうだ。もしも認知症の症状があらわれて、築き上げた知性が失われたら、それは「私が私でなくなる」ことだ、と。けれど、岡田氏はこう綴る。

「私たちの人生は、私たちのものでなくなっても続いていく。(中略)そもそも肉体や精神や人生が自分一人の所有物という発想から間違っていて、そうした執着からゆっくりと解放されていくために、これほど長い『死ぬまでの時間』が与えられているのだとも考えられる。(中略)『えー、やだやだそんなの、ちょうどいいところで殺してくれよ!』と思ったところで、この『ちょうどいい』は、風呂の湯加減のようには好きに調節できない。(中略)行く先がわからなくても、『別人』に見えても、それもまた『私の人生』なのだ」

理屈を頭では理解しても、私はまだまだ「やだやだそんなの」だ。強すぎる自我が、執着を手放そうとする気配はない。

そもそも、岡田氏が15歳で諦めた「自分の価値は、自分で決める」ですら私は諦めきれていないし、自分一人の力で人生はコントロールしきりたいと思っているし、老いが「0」か「1」じゃないにしても、視力や、おいしいものを消化する内臓が「0.2」くらいにまで機能低下したら、「はい、今! 今です! 今が私の"ちょうどいい"です! はい、終わりましょう! 幕引き~!」としたい。これは岡田氏が老成していて、私が子どもっぽいとかではなく、性分なのだろう。

この先、何年たっても、自分はずっと同じようなことを言っていそうだ。効率が悪いと頭でわかっていながらも、どうしても本を最初のページからちまちま読むことしかできない性分であるのと同じように。人生の理不尽に対する納得のいかなさを、ずるずると引きずりながら生きていくのもまた、私の人生なのだ、と思う。

『女の節目は両A面』(岡田育 著/TAC出版/1,430円)
<初恋><初体験><就職><結婚><出産><閉経><死別>……。気鋭の文筆家が人生の節目を数え上げる、筆者とあなたの「ミラーエッセイ」27篇。初めて経験したあのときは……まだ訪れないターニングポイントは……。
マイナビニュース連載「女の節目~人生の選択」(2014年〜2016年)とりっすん「いくつもの小さな転機が、私を「大丈夫」へと導いてくれた」(2018年)が大幅に改稿・加筆されたもの。