前回の「HomePod miniの登場で決定的に Appleが作った“新カテゴリー”」に続き、今回もAppleのオーディオ戦略について考えていきたい。
Appleは、2020年9月から3カ月連続でオンラインによるスペシャルイベントを開催した。これまでなら、iPhoneとApple Watch、iPadを9月のイベントでまとめて発表し、10月末にMacをお披露目するイベントを行う、というパターンが多かった。新型コロナウイルスによって、世界中のプレスをApple Parkに呼んだイベントや、ニューヨークなどを会場としたイベントを実施できない状況を逆手に取り、例年なら2回にまとめるイベントを3つに分けたことによって、製品説明をよりていねいにできたのではないだろうか。
9月、10月、11月と1時間ずつの発表会を行い、12月にはApple Watchの機能アップデートに加え、AirPods Maxという新しい製品の投入も行われた。リアルなイベントを開催できなかった点や、iPhoneの投入が遅れた点はネガティブ要因といえるが、4カ月連続の新製品リリースはかえって、Appleの話題が世間をにぎわせる時間が長くなったといえる。
2020年に発表された最後の新製品はAirPods Maxだった。Appleのワイヤレスヘッドフォンシリーズ「AirPods」としては初めてのオーバーイヤー型(耳を完全に覆う)ヘッドフォンで、日本での価格は61,800円(税別)とハイエンドモデルの風格を漂わせる。
イヤーカップにアルミニウムが採用されている点ですでにユニークだが、Apple Watchでおなじみのデジタルクラウンも備え、リニアでストレスのない音量調節を実現している。未来のヘッドフォンでありながら、レトロな雰囲気を漂わせる曲線が美しい。
AppleがAirPods Maxで強調したのは、快適なかけ心地、コンピュテーショナルオーディオによる高音質化、空間オーディオという3つの体験だった。
快適なかけ心地も音質のため
これまでのAirPodsシリーズに比べて大きく重たい384g。これは、各社のオーバーイヤーヘッドフォンと比較しても、重たい部類だ。
しかし、実際にかけてみるとストンと落ち着く場所があり、急に重さを感じにくくなる。頭頂部がやんわりと沈むニットメッシュに当たり、低反発のイヤーパッドが耳の周囲を広めの面で固定するためだろう。このイヤーパッドは重さを軽減する役割も果たすが、それ以上に周りの音を遮断する役割が大きい。これは、メガネをかけていても大きな影響を受けないようだった。
こうして密閉された空間に対し、Appleが独自開発したドライバーで、大きな音量でも音がひずむことなく再生できる性能を持たせている。これにより、原音にきわめて忠実に、素直な音楽再生を実現することを目指している。大きな音もさることながら、音を小さくしても、鳴っている音が全部聞き取れることに驚かされた。好みのオルガンの深い低音や、繊細なエレキピアノのストローク、細かい音のディテールの発見が楽しい。
一方で、音を聴くのが楽しすぎて、作業を行うときのBGMのためのヘッドフォンとして積極的に使いにくい側面もあった。これはポジティブなフィードバックの1つとして記しておきたい。
コンピュテーショナルオーディオがもたらすもの
Appleは、コンピュテーショナルオーディオとして、アダプティブイコライジングとアクティブノイズキャンセリングを挙げている。
前者は、AirPods Maxがうたう「原音に忠実な再生」を実現するため、再生される前の音を整えると同時に、再生された音がイヤーカップ内でどのように響いているのか、装着環境を含めたフィードバックを行う仕組みを備えている。
後者は、AirPods Proでおなじみのノイズキャンセリング機能だ。AirPods Maxには合計9つのマイクが搭載され、このうち8つをノイズキャンセリングに活用する贅沢な仕様となっている。ノイズ除去も強力で、前述の遮音性の高さも相まって、強力な効果を発揮する。
AirPods Proはどちらかというと、街の中で使うことも想定されているせいか、電車の車内アナウンスなど、人の声を比較的聞き取れるようになっている。しかし、AirPods Maxは自分の喋り声もほとんど聞こえない。
一方、外部音取り込みモードに変えると世界が一変する。自分の喋り声は何も装着していないときよりも高音の切れが良く、低音も響き、ラジオのように「良い感じ」で聞こえてくる。しかも、違和感がないレベルで遅延が少ないことも特筆すべきだ。
再び驚かされたH1チップのポテンシャル
音を楽しむことにフォーカスできる、そんなヘッドフォンであるAirPods Max。しかし、詳しく見てみると、オーディオデバイスの機能としてはAirPods Proと同じであり、使われているヘッドフォンチップもH1で同じものだ。
AppleはH1チップについて、10コアのオーディオエンジンを備えていると紹介しており、左右の光学センサー、左右のポジションセンサー、左右のケース検知センサー、左右の加速度センサー、左イヤーカップのジャイロスコープ、そして合計9つのマイクを束ねて処理できる性能を持っている。
頭に装着しているかどうかの判定や、ケースに入ったかどうかの判定に用いられるセンサー以外は、空間オーディオで「頭の向き」を判定する役割も担う。この空間オーディオがまた強力だ。
AirPods Proの時にもそう思ったが、電車の中で空間オーディオのビデオを視聴すると、まるでiPhoneやiPadから音が出ているかのようで、勘違いして慌てて再生を止めて設定を確認するほどだ。何度やっても、電車内で盛大に音を漏らしているのではないか、と焦るほどに、人の感覚がだまされるほどの高い精度を持つ。
組み合わせるオーディオのハードウェアの変化によってその印象を大きく変えているが、実は2019年の段階でH1チップはAirPodsシリーズに実装されていたことを考えると、H1チップのポテンシャルの高さを改めて実感する。
Appleが、AirPodsの第1世代モデルをW1チップとともに発売した2016年、完全ワイヤレスイヤホン自体が目新しかったことに加え、iPhoneやiPadと独立して通信することでバッテリー持続時間を延ばしていた点は、少なくとも2年のアドバンテージがあった。
H1チップが実現する性能についても同等のアドバンテージを保持しているとすれば、ノイズキャンセリング、アダプティブイコライジング、空間オーディオを備えるヘッドフォンが2022年に一般的になるのかもしれない。その際にAppleが、サービスとともに、どんなオーディオ体験を作り出すことになるのか、注目だ。(続く)