智将・明智光秀(長谷川博己)の謎めいた前半生に光を当てながら、戦国英傑たちの運命の行く末を描いてきたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)。いよいよ2月7日に最終回(第44回)を迎える。光秀と織田信長(染谷将太)の悲劇的な結末、「本能寺の変」はどのように描かれるのか。オリジナル脚本を手掛けた池端俊策氏が語った。

  • 『麒麟がくる』明智光秀役の長谷川博己

二人三脚で「大きな国」を目指してきた光秀と信長。だが、次第に信長の暴走ぶりがエスカレートし、光秀の助言を聞き入れなくなり、2人の関係に亀裂が入る。信長の暴走を自分が止めるしかない…思い悩んだ末に光秀は、「本能寺の変」を起こすことになる。

光秀は本当にこうやって信長から心が離れていったのかもしれない……そう感じさせる説得力のあるストーリーが描かれてきたが、池端氏はどのように「本能寺の変」にもっていくかとても悩んだという。

「光秀と信長の『不思議な友情物語』を1年通して描いてきました。光秀と信長は、一緒に上洛し、大きな世の中にして平和をもたらそうと動いてきましたが、その先に、『本能寺の変』があるとは思えないんですよね。この信長を殺すとは光秀自身も思っていなかったでしょうし、信長も光秀に殺されるとは思っていなかった。どうやって『本能寺の変』にもっていくのか、実は僕もずっと悩んでいて、34~35回あたりからちょっとずつわかってきて、37~38回で、『あ、こうすれば本能寺にいくな』と思いました」

少しずつ方向性が見え、決定的になったのは、第40回で松永久秀(吉田鋼太郎)がなくなったシーン。「残された平蜘蛛の意味を考えていくうちに、『つまりここで光秀は信長と離れていくんだ』と明確になっていき、そこからはクライマックスに向けて坂道を転げ落ちるような勢いで一気に書き上げました。40回というのは、僕にとって非常に大きな回でした」と明かした。

そして、「光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても『やった!』という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」と、「本能寺の変」に込めた思いを語った。

最終回「本能寺の変」は15分拡大で放送。宿敵・武田家を打ち滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀は信長から理不尽な叱責を受け、饗応役(きょうおうやく)の任を解かれる。追い打ちをかけるように信長は、光秀と縁深い四国の長宗我部征伐に相談もなしに乗り出すと告げる。「殿は戦の度に変わってしまった」と、その行き過ぎた態度をいさめる光秀に、「己を変えたのは戦ではなく光秀自身だ」と信長は冷たく言い放つ。そしてついに、ある究極の命令を光秀に突き付ける――。

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