躍動感溢れるフォームからボールを投げ込んだ後、帽子が飛ぶ。177センチ、68キロ…プロ野球選手としては決して大きくはない体躯で小林繁は、全力投球を続けた。現役生活わずかに11年。激動の中を生き抜いた稀代のサイドスローは、ユニフォームを脱ぐ時、何を思ったか?
■右ヒジの不安との闘い
「来シーズン、15勝できなかったらユニフォームを脱ぎます」
1982年のシーズンオフに小林は、そう口にした。多くの報道陣が聴いていたが、ほとんどの者が真に受けてはいなかった。
この時、小林は30歳の働き盛り、タイガースの不動のエースだったのだから、それも当然だろう。来シーズンに懸ける意気込みを表しているのだと周囲はとらえていた。
だがこの時、小林は本当に引退を考え始めていた。
理由は、いくつかあった。
まず、カラダが悲鳴を上げていたこと。
すでに右ヒジを真っすぐに伸ばせなくなっていた。それでも、強い痛みは感じていなかったから小林は投げ続けた。
タイガースに移籍して1年目、小林は273イニングスと2/3(完投数17)、2年目には280イニングスと1/3(完投数18)を投げている。
現在のように「先発は100球が目安」とされ、投手分業制が確立されていたわけではない。先発投手としてマウンドに立てば、最後まで投げ切ることがエースの務めだった。それも中4日、時には中3日で。酷使し過ぎたのだ──。
「限界です。代えてください」
監督、ピッチングコーチに、そう言えばよかったのかもしれない。だが、弱音を吐くことが大嫌いだった小林には、それができなかった。
下半身の踏ん張りが利かなくなると、ならばと肩の力を使って腕を押し出すようにして全力投球を続けた。この間に右ヒジの状態が悪化していったのだ。
あと何年投げることができるのか──常に右ヒジの不安と闘っていた。
加えて、野球に対する情熱も失いかけていた。
縦縞のユニフォームを着てから、チームとして優勝を目指す野球をできずにいたのだ。小林が加わってからの4年間、阪神の成績は4位、5位、3位、4位と芳しくなかった。
また、悲劇のヒーローの役回りを与えられ、それを演じ続ける自分に嫌気がさしていた。
「好きな野球をやっている」
そんな当たり前の感覚が持てないことが辛い。
野球だけが人生じゃない、もう野球はやめて何か新しいことにチャレンジしてもいいんじゃないかと思い始めていたのである。
■大島康徳に打たれて
83年シーズンが始まり、15勝が挙げられるか否かの結果が出る前に小林は引退を決意していた。
きっかけは、6月25日・甲子園球場での中日ドラゴンズ戦。4-2とリードして迎えた9回に大島康徳に同点2ランアーチを打たれたことだった。
小林には、絶対の自信を持って勝負できるバッターが何人かいた。つまり「カモ」である。
大島は、そのひとりだった。
一発のあるバッターではあるが、スライダーとインコースの揺さぶりに弱かった。
あの夜も小林は自信を持ってインコース低めにシュートを投げ込んだ。それなのに綺麗にレフトスタンドにボールを運ばれてしまったのだ。
コントロールをミスしたわけではない。タイミングも上手く外したはずなのに打たれた。
「生涯で初めて、マウンドでガクッとヒザが抜けるような感覚を味わった」
後に、小林はそう振り返っている。
以降、大島との対戦になると小林は向きになって抑えにいった。しかし、それまでカモにしていたはずの相手にことごとく打たれてしまう。ボールの威力が低下していることを認識せざるを得なかった。心は徐々に引退へと傾き、8月、死のロードに出た時に決意を固める。
そして、甲子園球場に戻ってきた8月27日、監督の安藤統男に思いを告げた。
一瞬、驚いた表情を見せた安藤だったが、落ち着いた口調で小林に言った。
「そうか。だが、それは私の心の中にしまっておく。今シーズンが終わった時に、もう一度考えてみてはどうか」
それからも小林は、ローテーション通りにマウンドに立った。勝利を収めた試合の後には、安藤から、こう声をかけられる。
「よし、この調子で来年も行けるぞ!」
ありがたく感じていた。だが、小林の決意が揺らぐことはなかった。
最終シーズンの成績は、15勝に二つ届かず。それでも、8年連続二桁勝利をマークしていた。惜しまれながらユニフォームを脱いだのだ。
それから十余年後、当時のことを小林は、こう話した。
「肩もヒジもきつかったけど、騙し騙しやれば次のシーズンも10勝はできたかもしれない。それに技巧派にスタイルを変える手もあったはずだよね。でも自分が思い描くボールが投げられなくなっているのにマウンドに立ち続けようとは思わなかったよ、あの時は。
こんなことを言っても仕方がないけど、ずっとジャイアンツにいたら35歳くらいまで、いや、投げれる間はユニフォームを着ていたんじゃないかな」
そして続ける。
「結局、あのトレードから人の評価に振り回される人生が始まった。俺が弱かったんだ。自分のやりたいように生きていけなかったからね。周りからの評価ばかり気にして、仕方なく突っ張って、そんな自分が嫌で、もう野球から離れたかったんだと思う。だから引退を決めた時、自分の野球人生を振り返ろうともしなかったし、感傷に浸ることもなかった」
後悔はしていない?
つい、そう問うてしまった。
小林は、優しい笑みを浮かべながら毅然と答えた。
「ないよ。俺の一度限りの人生なんだから」
<次回に続く>
文/近藤隆夫