米国の大手宇宙メーカーのエアロジェット・ロケットダインは2021年1月12日、新型ロケットエンジン「AR1」の1号機の組み立てを完了したと発表した。
AR1は、米国にとって初となる液体酸素とケロシンを推進剤とする二段燃焼サイクルのエンジンで、米国の主力ロケットに使われているロシア製エンジンを代替するために開発された。
しかし、別のエンジンに契約を奪われるなどし、現在AR1の使い道はなく、その将来は不透明である。
AR1とは?
AR1はエアロジェット・ロケットダイン(Aerojet Rocketdyne)が開発しているロケットエンジンで、米国にとって初となる液体酸素とケロシンを推進剤とする二段燃焼サイクルのエンジンである。
二段燃焼サイクルとはエンジンを動かす仕組みのひとつで、推進剤の一部を燃やして強力なポンプを動かすとともに、そのポンプを動かしたガスも含め、推進剤を一切無駄にすることなくエンジンで燃焼して噴射することで、高い効率が発揮できるという特長をもつ。その反面、複雑で難しい技術を必要とし、とくに燃料にケロシンを使う場合はその難しさが跳ね上がることもあって、これまで米国で実用化されたことはなかった。
海面上推力は2200kNと、世界でもトップクラスの推力を誇る。比推力は明らかにされていないが、同じサイクルで同クラスのエンジンであるロシアのRD-191などと同等の、海面上比推力310.7s(3047m/s)程度は達成しているものとみれる。
なにより、設計から製造まですべて米国内で完結した、純国産エンジンであることを最大の特徴としており、さらに低コスト化も重視。近年トレンドとなりつつある再使用化についても、ある程度は対応できるとされる。
開発は主に米空軍から与えられた契約の下で行われており、2017年5月には重要なマイルストーンのひとつである、クリティカル・デザイン・レビュー(CDR)を完了。ハードウェアの製造段階に入った。そして今回、最初のエンジンの組み立てが完了した。
開発のきっかけは“脱ロシア依存”
AR1の開発のきっかけとなったのは、米国の主力ロケットのひとつ「アトラスV」の第1段に、ロシア製のRD-180エンジンが使われていること、そして2014年のウクライナ紛争が原因でRD-180の入手に難が生じ、別の新しいロケットとエンジンを開発する必要が生じたことである。
RD-180は1990年代にロシアが開発した、ケロシンと液体酸素を推進剤に使う二段燃焼サイクルのエンジンである。今回の本題であるAR1が「米国にとって初となる液体酸素とケロシンを推進剤とする二段燃焼サイクルのエンジン」と書いたように、この当時、米国に実用的なケロシン燃料の二段燃焼サイクル・エンジンは存在しなかった。
RD-180は当時も、そしていまも世界で最も高い性能をもつエンジンのひとつであり、そのため米国にとっては喉から手が出るほどほしいエンジン、そして技術だった。また、この当時はまだ米国とロシアとの関係が比較的良好かつ、ロシアが宇宙技術の輸出に積極的だったことから、ロシア製エンジンを使うことに大きな懸念はなかった。
そして、米国はこのRD-180を輸入し、第1段に使った「アトラスIII」ロケットを開発。その後、より強力なアトラスVが開発され、2002年から打ち上げが始まった。
しかし、アトラスVは米国の軍事衛星の打ち上げにも使うことから、かねてより「それにロシア製エンジンを使うことは安全保障上問題がある」という批判、懸念があった。この点は、2014年にウクライナ紛争が勃発したことで大きく問題化し、米国議会は経済制裁の一環としてRD-180の新規購入を禁止。ロシア側も輸出しないと表明したことで、アトラスVの打ち上げができなくなる事態となった。
その後、制裁の緩和などによって引き続き購入ができるようになり、アトラスVは現在も活躍しているが、今後も同様の事態が発生するリスクを考慮し、RD-180を代替できる米国製エンジンを開発すべきという機運が持ち上がった。そして2014年には、米国議会において、米空軍に対して新型エンジン開発を義務付ける法律が成立するにまで至った。
エアロジェット・ロケットダインは、この動きに素早く反応した。同社やその前身の企業は、アポロで使われたサターンVロケットやスペースシャトルのエンジンなど、米国の、それもエポックメイキングなロケットエンジンを長年開発、製造し続けてきたという歴史と実績、矜持があった。
そして同社はAR1の開発を提案。2016年に米空軍からAR1の開発、試験、認証のため1億1500万ドルの契約を獲得した。また、この契約は段階を踏んで開発費が支払われることになっており、開発完了までの総額は8億ドル以上にもなるとされた。
同時期に、アトラスVを運用しているユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ULA)では、アトラスVの後継機となる「ヴァルカン」ロケットの開発計画を立ち上げ、エンジンの選定を実施した。RD-180級の大型エンジンは開発が難しいため、最初から一本に絞るのはリスクが大きいことから、複数の選択肢を用意し、その中から最適なものを選ぶという方針が取られた。
このとき選択肢となったのは、AR1のほか、RD-180を米国内で製造する案、そして気鋭の宇宙企業ブルー・オリジンが開発する「BE-4」の3つだった。
当初米空軍やULAは、このうちAR1を本命視しており、米空軍から与えられた開発費も最も高かった。しかし、次第にBE-4が本命へと変わっていった。
燃料にケロシンを使うAR1や米国製RD-180とは違い、BE-4は燃料に液化天然ガス(LNG)を使う。LNGはケロシンよりも高い性能が期待でき、価格も安く、すすが出ないため再使用もしやすいといった特徴がある。つまり、同じくらいの時期やコストで開発できるのなら、BE-4のほうが優れていることは明白だった。
ただ、ブルー・オリジンは大型エンジンを開発した実績がないこと、またそもそもそLNGを含めたメタン系エンジンは開発が難しいとされ、世界的に実用化された例もないことなどから、手堅いAR1や米国製RD-180も選択肢となっていたのである。
その後、BE-4の開発はやや遅れながらも順調に進み、2018年9月には一定のめどがついたことで、ULAはBE-4を採用することを決定。AR1は脱落することとなった。