江川卓の身代わりとなり巨人から放出された小林繁は、縦縞のユニフォームを身に纏った初めてのシーズン、22勝9敗1セーブという驚異的な成績を残す。古巣ジャイアンツに対しては8戦全勝。これは、尊敬する大先輩・王貞治を徹底マークし、抑えきったからこそ成し得た快挙だった。
■ジャイアンツとの初対決
「巨人戦に合わせて自分のローテーションを組んでください」
1979年シーズン開幕前に、小林は当時タイガースの監督だったドン・ブレーザーにそう直訴していた。
いいねぇ、いいねぇと言わんばかりに両手を大きく広げるゼスチャーで、ブレーザーはその要求を受け入れた。
(巨人だけには負けたくない)
小林は、その思いを強くしてキャンプから徹底してカラダを苛め抜きシーズンに備えていた。
開幕から間を置かずしてジャイアンツと闘う機会は訪れる。
4月10日、本拠地甲子園球場でのオープニングゲーム、巨人との1回戦で小林は先発投手としてマウンドに上がった。
「9番ピッチャー小林」
スタメン発表で、そうアナウンスされると甲子園球場のスタンドが異常なほどにドッと沸いた。
そんな中、小林は落ち着いたピッチングを見せる。
トップバッターの柴田勲をセカンドゴロ、2番・高田繁をレフトフライに打ち取った。続く張本勲にはヒットを許すも4番・王貞治をレフトフライに仕留める。まずまずの立ち上がりだった。
だが決して調子が良かったわけではない。この試合、小林は8回1アウトまで投げ12安打を許している。それでも再三のピンチを凌ぎ切る。試合は4-3、小林が勝利投手となった。
■王に打たれなかった理由
小林は、ジャイアンツに勝つために何が必要かを明確に理解していた。
それは、主砲・王に打たせないこと。
0点に抑えなくてもいい。だが、2点以上は与えてはならない。そのためには王のホームランを封じることが必須だった。
実は、王に対しては自信を持っていた。なぜならば、小林の投球フォーム自体が王のバッティングフォーム「一本足打法」をヒントに築かれたものだったからである。
打席で王は、相手ピッチャーが投球する前に右足を上げ、カラダを沈み込ませるようにしてバットを出すタイミングを計る。小林の投球フォームも原理は同じだ。カラダを沈み込ませるようにして一本足の状態で一度静止する。そこからタメの時間を調整し相手打者のタイミングを外し投げていたのだ。
同じ形でタメの時間を用いてタイミングを計り合えば、受け身になるバッターよりも、先に行動を起こせるピッチャーが有利であることは明白だった。
タイミングを外す自信はある。加えて、王が苦手としているボールはインコース膝下に沈むシンカー…それは、小林の得意球だ。
目論み通り、王を抑える。2度目のジャイアンツとの闘い(5月3日、後楽園球場)では3三振を奪い、その後も上手くタイミングを外し王に本来のバットスイングを許さず凡打の山を築かせた。
6月の時点で小林は、対ジャイアンツ5連勝、王に対してはホームランを一本も許さず14打数2安打(打率.143)に抑え込んでいた。
「仕方ないな。タイミングを上手く合わせられないんだ」
報道陣に対して淡白なコメントをし、冷静さを装っていた王だったが、内心穏やかではなかっただろう。
■まさかの二本足…パニック状態に
そしてついに、王が奇策に出る。
7月8日、ジャイアンツ戦6度目の先発は甲子園球場での雨中ゲームだった。
1回表、トップバッターの原田治明、2番・河埜和正を打ち取った後、この日は3番に入っていた王を打席に迎える。
ここで、小林は面食らった。
投球モーションに入り、いつものように足を上げるのを待つも、王が一本足にならないのだ。
何なんだ、何なんだ…と迷いながら投げたストレートを王のバットに弾き返される。ライナー性の打球はライト前に達した。
超満員のスタンドが一瞬、静まり返る。
まさか、あの王が「一本足打法」を諦めるとは──。
スランプに陥り、監督の川上哲治から助言を受けた時でさえ頑なに「一本足打法」にこだわり続けた王が、小林を攻略するためのプライドをかなぐり捨てたのである。 小林は、一塁ベース方向に目を向けた。王は視線を合わさず、平然とした表情でベース上に立っていた。
3回表の第2打席も、王は右足を上げなかった。
もう、どう対処すれば良いのか小林には分らなくなっていた。降り続く雨でぬかるんだマウンドは踏ん張りも利かない。タメを十分につくることもできずに投げたボールを今度はセンター前に打ち返されてしまった。
そして5回表の第3打席にはフォアボールで王を一塁に歩かせている。
小林は、パニック状態に陥った。この日、ジャイアンツ打線から9安打を浴び6失点、6回でKOされる。だが乱打線となった試合は、最終回に竹之内雅之がホームランを放ち9-8で阪神が勝利。それでも小林にとっては悔しい一夜となった。
■「これが俺の勲章だ!」
翌朝、スポーツ紙の一面には、王がバッターボックスに二本足で立つ写真が大きく掲載されていた。
これを目した時、小林の中から悔しさは消えていた。
(あの王さんが、俺を打つためにここまでやってくれたんだ)
ジャイアンツ時代、王は雲の上の存在だった。自分など足下にも及ばないと思っていた。それが、いま対等に渡り合えている。不思議な気持ちになり、その後に喜びが込み上げてきたのだ。
また、この状況は自分にとって有利であることにもすぐに気づいた。
(王さんは、一本足打法を捨てたわけではない。自分と対戦する時だけタイミングを合わせるために二本足で構えるのだ。ならば本来のバッティングはできない。ミート中心のバッティング…長打がないなら怖くはない)
7月27日、甲子園球場。19日後の再戦は、星空の下でのゲームだった。
小林は王に対して、全球インコースに投げ込むつもりでいた。もちろん得意の膝下に沈むシンカーも有効に用いて。
2回表の第1打席、内角を攻め続ける。そして最後はギリギリのコースにフォークボールを投じ見逃しの三振を奪った。その後の2打席もファーストゴロ、センターフライに打ち取る。この試合、ジャイアンツ打線に三塁を踏ませず、1安打完封勝利を収めたのだ。
現役を引退した後、小林は少しばかり熱い口調で私に言った。 「あの年にジャイアンツに8連勝できたのは、王さんを抑えられたから。でも数字じゃないんだよ。22勝もどうでもいい。王さんに真剣勝負をしてもらえた。それが俺の勲章さ」
79年のシーズン、江川との対決はなかった。因縁は翌年に持ち越される。<次回に続く>
文/近藤隆夫