俳優の長谷川博己が主演を務めるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)の第40回「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」が10日に放送され、吉田鋼太郎演じる松永久秀の最期が描かれた。信長に対する咆哮(ほうこう)をあげつつ息絶えるという迫真の演技を披露した吉田は、「本能の赴くままに演じてみた」と語る。
大坂本願寺攻めの最前線から、突如逃亡をはかり、織田方に衝撃を与えた松永(吉田)。光秀(長谷川)は、伊呂波太夫(尾野真千子)の導きで松永と会い、なぜいま離反するのか問いただす。筒井順慶に大和の守護の座を与える信長(染谷将太)の、家筋を重んじる態度が許せないという松永は、自分に大和を任せる本願寺側につくと明言。そして、松永は反織田勢に加わり、追い詰められて自害した。
松永の最期について、吉田は「これまで1年半以上演じてきた吉田鋼太郎として、非常に納得のいく描かれ方でした。すばらしい死に際の台本をいただいたので、自分としても思い残すことなく演じることができたと思っています」と納得。「松永の最期が爆死ではなかったので、少しがっかりしましたが(笑)、『麒麟がくる』という作品の色を崩さず、池端先生らしい解釈で描かれていて、実に素敵だなと感じましたね。心して演じなければと思いました」と振り返った。
自害するシーンで迫真の演技を披露したが、「松永としては、信長を見すえながら腹を裂くという思いでした。非常に心残りだったと思います。演じる上では、全編を通じて、何を考えているのか分からないような人物として演じてきたので、最期も飄々(ひょうひょう)と死んでいくという方法もあったのかもしれません。ただ、僕自身どうもしっくりこなかったので、やはり自分自身の本能の赴くままに演じてみたんです。その結果、断末魔の叫びというか、信長に対する咆哮をあげつつ息絶えるという演技になったんです」と解説。
「ただ『麒麟がくる』での救いは、松永には自分のすべてをさらけ出せる明智光秀という心の友がいたということ。松永の最期の心情の中には、『光秀ありがとう』という思いもどこかに含まれているんだということを、視聴者の方に汲み取っていただけるとうれしいなと思いますね」と、光秀への思いも込めた。
そして、視聴者に向けて「史実であるかどうか分かりませんが、実は、爆死したかったという思いもちょっとはありまして、もしそうであれば、それこそ皆さんの想像を遥かに超えたすさまじいものにしたかったなと。とはいえ、松永の心情としては、40回を通じてそれと同じくらいのピークを迎えられたと感じていますし、池端さんが描かれた松永の最期を演じられて心から良かったと思っています。ですので、お願いですから、『爆死じゃないのか』とガッカリしないでください」とメッセージを送った。
光秀に平蜘蛛を託す場面についても言及。「『平蜘蛛は自分だ』と言った場面は面白いと感じましたね。平蜘蛛は、一見異様に見えるものの、よくよく見ると理にかなった形をしている、だから美しいと言われています。それが自分だと言うのですから、考えようによっては非常に厚かましいですよね。ですが、松永は、生まれがよくないために己の才覚だけでのし上がった人物。その見方で、姿かたちが一見醜怪な平蜘蛛と重ねるという点では、実感を込めて演じられました」
この場面が、松永が光秀と語らう最後のシーンとなったが、「思えばこれまで松永の場面は、光秀とのシーンがほとんどなんです。あの場面は、松永と光秀との最後の場面、そして長谷川くんとお芝居する最後の場面でもありました。撮影が始まったのが去年の春でしたから、ずいぶんと長い間、長谷川くんとお芝居していたんだなあと。撮影の際は、いろんな思いが重なって、非常に感慨深いものがありましたね」としみじみ。
「作品の中で、光秀が年齢を重ねていく様を、長谷川くんはすごく上手に演じてらっしゃる。どんどん精悍(せいかん)になっていくし、重みが増していますよね。ところが、2人の最後のシーンでは、堺で初めて出会った頃の光秀がふと蘇ったように感じました。特に光秀の『戦などしたくない、平蜘蛛などいらない!』というセリフの部分では、若いころの光秀をもう一度見たような気がして。本当に、すばらしい演技だったと思います」と長谷川の演技を絶賛した。
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