監督時代、「俺には弱小チームからしか声がかからない」と独特の表現でボヤいた野村克也氏は、圧倒的な戦力を誇るチームに対し、適材適所の選手采配、または、他球団を構想外になった選手を甦らせるなどして、監督通算1565の勝利を収めました。いままさに時代は大きく動き激変の世の中にありますが、組織にはどんな人が集まり、どんな思考を持つべきなのでしょうか。多くの組織にとってのヒントとなる、野村克也氏の格言。
■弱者が強者を倒す原理原則は、戦力の集中にあり
弱者が強者を倒すために古くから使われてきた戦法は、「戦力の集中」である。
それでは、具体的にどんな戦力をどう集中すればいいのか?
第一は、統合性。団体競技である野球は、チームとしてのまとまりがあって、はじめて統合力という戦力になる。一丸となって戦うと、そこにはおのずと勢いが生まれ、この勢いが相手を飲み込んでしまうことがある。
第二は、文武の両立をはかること。どんな戦いでも武だけでは勝てない。「文武兼ね備えてこそ無敵」なのである。わたしは、野球における「文」とは、「義」「礼」「恥」など、野球以外の知識だと考えている。
第三は、個性より実践力を身につけ伸ばせ、ということ。チームは個人のためにある。これは事実だが、一方で、個人はチームのためにあるのだ。
第四は、相手の弱点を叩くために具体的な戦術を練ること。裏を返せば、相手の得意な形にさせないということでもある。
第五は、選手に優位感を植えつけること。「うちの野球の質はどこよりも上だ」と選手が考えられれば、弱者は強者に苦手意識を持たなくなる。
弱いチームが強いチームと同じことをしていても勝てないのは道理。だからこそ、頭を使って戦える方法を考えなければならない。
■功ある者より、功なき者を集めよ
4番打者を集めれば強力打線が組める、さらにエースクラスの投手を集めれば強いチームがつくれるというのは、あまりに幼稚な発想である。
中国の兵法書『呉子』に、「功ある者より、功なき者を集めよ」という言葉がある。わたしなりに解釈すると、「功ある者」とは栄誉を勝ち得た人間、「功なき者」とは栄誉とは無縁の人間のことだと考える。プロ野球界で言えば4番打者やエースは、「功ある者」で、2番打者や下位打者、それから守備固めや代打要員、中継ぎの選手などは「功なき者」と言えるだろう。
プロ野球においての、「功なき者」たちも、多くはアマチュア時代にチームで4番やエースを担っていた「功ある者」だったはずである。しかし、野球の超エリートが集まるプロ野球では、陰に回らざるを得ない選手も当然ながら出てくる。そうした選手は危機感を覚え、なんとかチーム内で自分の地位をつかみ取ろうと努力する。
こうした「功なき者」には、何度も挫折と己の能力の限界を味わいながら、自力で一軍の舞台に這い上がってくる選手が少なくない。そのため彼らは、チームに貢献できるのなら自分を犠牲にすることも厭わない。だから、いざというときに誰よりも頼りになる。
主役になれないのに主役意識を捨て切れない選手よりは、脇役に徹し切れる選手のほうが、監督としてはよほど使い甲斐があるし、頼りになるのだ。
■常に原理原則を見据えよ
「常に原理原則を見据える」というのが、わたしの監督としての基本理念だ。原理原則とは、一語で言えば「理」である。ものごとの筋道や法則のことであり、もっとわかりやすく言えば、「あたりまえのこと」と言い換えてもいい。
このことをしっかりわきまえていれば、どんな事態にも冷静に対処できる。事物、事象、仕組み、構造など、世の中に存在するものすべてに理があり、根拠がある。だから理にかなわないことはしないし、どんなときでも理を以てして戦う。それが、わたしの野球観だ。
野球というスポーツの勝敗の行方を握るのは、7~8割が投手である。投手が相手打線を0点に抑えられれば、100パーセント負けない。逆に、味方打線が10点取っても、100パーセント勝てるとは限らない。だから、理にかなった野球をするなら、投手を中心としたチームづくりをするのが正しいという結論になる。
野球に限らず、どんな仕事でも、ここはどうしたらいいのかと判断に悩んだり、迷ったりすることがあるだろう。迷ったときは、やはり原理原則に照らして判断するのが、もっとも理にかなった方法だと思う。そうしていれば、仮に間違ったとしても、その結果を受け入れることができるのではないだろうか。
奇策を弄して目先を変えるほうがいいと言う人もいるが、それでは根本的な解決にはならない。判断に困ったとき、迷ったときこそ、原理原則に立ち返るべきなのだ。
■無形の力をつけよ
監督時代、選手たちによくこう言っていた。「無形の力をつけよ」。
無形の力とは、文字どおり形として見えない力のことを指す。あえて言うなら、情報収集力、観察力、分析力、判断力、決断力、先見力、ひらめき、勘……といったところか。この無形の力をつけてこそ、「プロフェッショナル」として、あたりまえのことをあたりまえにやれるようになる。
もちろん、この力は一朝一夕に身につくものではない。厳しい練習を繰り返すことで十分に体力と技術力を向上させ、さらに簡単に折れない気力を鍛えあげてはじめて、無形の力を自分のものにすることができる。プロ野球が実力の世界である以上、人の何倍もの努力を重ねて這い上がっていくのは当然だ。
練習で培われる有形の力には限界があるが、無形の力に限界はない。磨けば磨くほど突き詰めれば突き詰めるほど、その力は大きくなる。だから、有形の力よりも無形の力のほうが役に立つことが多いのだ。まして野球はサッカーのように選手同士が接触するプレーが少なく、1ごとにゲームが止まる団体競技だ。
したがって、弱者であっても、無形の力を磨けば強者に勝つことは十分に可能なのである。
チームにおける戦力整備も、ただ野球が上手い選手が何人いるかではなく、無形の力を有する選手が何人いるかのほうがカギになる。
■「戦略」は目に見えない準備、「戦術」は目に見える準備
わたしは、「戦略」と「戦術」を次のように定義づけている。戦略とは、チームをつくり、リーグ優勝、日本一といった具体的な目標に向けて実践していくための計画のことを言う。一方の戦術とは、目の前の試合に勝つための手段や方法、技術のこと。また、戦略は目に見えない準備、戦術は目に見える準備と言うこともできるだろう。
戦略の基本は、なによりも専守防衛になる。守りを堅くし、防御に徹したチームづくりに務めるということだ。野球とは、0点に抑えれば絶対に負けることがない競技である。ならば、守りからチームをつくっていくのは当然ではないか。そして、具体的な戦略を練るには、ものごとを考えるときに不可欠な視点とも言える「考察の三原則」を大事にしてきた。
1.目先のことに捉われず、「長い目」で見る
2.ことの一面だけではなく、「全面的・多面的」に観察する
3.枝葉末節にこだわらず、「根本的」に考察する
人間という生きものは、どうしても目先のことにとらわれる「目先人間」に陥りやすいところがある。原因は、おそらく私利私欲の目で見てしまうことだろう。しかし、この三原則を頭に叩き込んで考察し判断すれば、間違いを起こすことを減らせる。頭を使い練り込んだ戦略づくりは、強いチームになるための第一歩だ。
※今コラムは、『野村の結論』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。