1990年代、2000年代に大人気を博した打撃系格闘技イベント『K-1』。年間最強を決するトーナメント『K-1グランプリ』は18回にわたり開催されたが、もっとも劇的だったのは1996年5月6日の横浜アリーナ決戦ではなかったか。誰もが予測することができなかった「アンディ・フグが起こした奇跡」──。
KO負けを喫した時、ファイターは肉体のみならず心を打ち砕かれる。自分を打ちのめした相手には、もう一度闘っても勝てないだろうと弱気になる。リングには二度と上がるべきではないとさえ考える。
屈辱から立ち上がるのは容易ではない。
これは格闘技に限ったことではないかもしれない。完膚なきまでに自己を否定され心が傷つけられた後、あなたはその舞台で踏ん張り続けることができるだろうか。
アンディ・フグは類稀な「不屈の闘志」を持つ男だった。悩み挫けそうになった時、私は彼のことを思い出す。
■何度打ちのめされても…
カラテ家であったアンディが、両拳にグローブをはめて初めてリングに上がったのは1993年11月のこと、場所は後楽園ホール。
このデビュー戦で1ラウンドKO勝ちを収めると、2戦目も2ラウンドKO勝利。そして3戦目(94年3月)で早くもブランコ・シカティック(クロアチア)と闘うことになった。
「さすがに相手がブランコとなると荷が重い。アンディは勝てないだろう」
ほとんどの者が、そう思った。カラテの実績はあるとはいえ、K-1デビュー3戦目の男が前年のK-1グランプリ王者に挑むのだから。
だが、周囲の予想を覆し、アンディはシカティックを破る。1ラウンドにダウンを奪われるも、その後に猛反撃に出て判定勝利をもぎ取ったのだ。
これには誰もが驚いた。そしてアンディは、この年のK-1グランプリ優勝候補に挙げられるようになったのである。
だが、それから57日後、アンディはどん底に突き落とされる。
迎えた『K-1グランプリ94』(4月30日、東京・国立代々木競技場第1体育館)1回戦で、まさかの敗北。格下と思われたパトリック・スミスに僅か19秒でマットに這わされたのだ。
そして、翌年の『K-1グランプリ95開幕戦』(3月3日、日本武道館)でも初来日のマイク・ベルナルドの強打を喰らい1回戦で倒された。
アンディに対して辛辣な声が多く聞かれた。
「彼はカラテでは強かったかもしれないが、キックボクシングでは通用しないよ」
「もう30歳だろう。無理をしない方がいい。これからキックボクシングの技術を体得するのは難しい。アンディはK-1ではチャンピオンになれない」
これらはオランダのキックボクシング関係者の一致した見解だった。
K-1は、打撃系格闘技の最強を決める大会であると位置づけられていた。
「K」は、カラテ、キックボクシング、カンフー、拳法などの頭文字であり、打撃系格闘技の総称であると。
だが実際は、そうではなかった。 ルール的には「K-1=キックボクシング」だったのである。
つまり、ヘビー級の強豪キックボクサーたちにカラテ家たちが挑む構図が作られていた。
極真カラテでは、顔面殴打は禁じられている。 だが、キックボクシングにおいては、当然のように相手の顔面を殴りつける。この差は、大きい。カラテ家がK-1のリングで勝つためには、まずは顔面を殴られる恐怖心を克服しなければならなかった。
それだけではなく、間合いの取り方から打撃技術に至るまで戦闘スタイルを変える必要もあったのだ。
アンディは、すでにカラテ家として完成されていた。だからこそ、スタイルチェンジはさらに難しいと周囲から見られていたのである。
二度目の屈辱から半年後の95年9月、横浜アリーナでベルナルドとの再戦が組まれる。
ファンは、アンディのリベンジを期待した。しかし、結果は2ラウンドKO負け。返り討ちに合ってしまう。
(やはり、アンディは、そしてカラテは、K-1では通用しない)
そんな空気が、さらに強く漂う。
■「不屈の闘志」が実を結ぶ
だがアンディは諦めなかった。
母国スイスにいる家族のもとに戻ることなく日本に残り、苛烈なトレーニングを積むことを決意。幾度も沖縄に飛び、プロボクシング元世界王者の平仲明信氏から指導を受け、自らの戦闘スタイルをK-1のリングで勝つためのものへと変えていったのだ。
「闘い方は変える。でもカラテで培ったスピリットは不変だ。それがあるからこそ、目標に向かって苦しくても頑張れる」
当時、アンディは気丈にそう話していた。
異国の地で、もがき苦しみ凄絶なトレーニングを続ける。そんな愚直な男を神は見放さなかった。
1996年の『K-1グランプリ』。
開幕戦(3月10日・横浜アリーナ)でバート・ベイルを1ラウンドTKOで降したアンディは、決勝大会(5月6日・横浜アリーナ)でも快進撃を見せる。
巨漢戦士バンダー・マーブを1ラウンドで仕留めると、続く準決勝で再延長戦の末にアーネスト・ホーストから判定勝利を収めた。遂にグランプリ決勝へと駒を進めたのである。
決勝の相手は、これまでに2度敗れている宿敵マイク・ベルナルド。
ホーストとの5ラウンドにわたる死闘で、かなりの疲労を肉体に蓄積させていたアンディにとって、ここからは精神力の闘いだった。ベルナルドの強打を掻い潜り2ラウンドに右ローキックで最初のダウンを奪う。 その直後にフグ・トルネード(下段後ろ廻し蹴り)でトドメを刺した。
リング中央で何度も左拳を突き上げるアンディ。それに合わせて超満員の観衆がカウントを数える。これまでのドラマを知る多くのファンは、目に涙を浮かべていた。
「不屈の闘志」が奇跡を起こした──。
カラテ家として初めて、K-1グランプリ王者になったのである。
そして、こう言った。
「ここに来るまでは厳しい道のりだった。でも、不可能などないと信じて闘い続けて本当によかった。何事も絶対に諦めてはいけない」
アンディが天国に旅立ってから20年が経つ。だが彼の「不屈の闘志」は私たちの胸に深く熱く刻み込まれている。
文/近藤隆夫、写真/真崎貴夫 SLAM JAM