11月22日よりWOWOWプライムにてスタートする『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』(毎週日曜 22:00~ 全4話 ※1話のみ無料放送)で主演を務める上川隆也にインタビュー。新木優子主演の『連続ドラマW セイレーンの懺悔』をはじめ、綾野剛×北川景子共演の映画『ドクター・デスの遺産 -BLACK FILE-』(公開中)など、今年映像化が相次いでいる作家・中山七里の報道サスペンス小説をドラマ化した本作。息子が殺人事件の容疑者となり亡くなったことで"追う側"から"追われる側"へと転じた週刊誌の記者・志賀倫成役を演じる上川に、本作の見どころや共演者とのエピソード、環境が変わる中、役者として生きる上での心構えなどについて聞いた。

『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』で主演する上川隆也

『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』で主演する上川隆也

――中山七里作品を原作としたドラマには、『テミスの剣』に続いてのご出演となりますね。本作の台本をお読みになって、どんなことを感じましたか?

『ダークヒーロー』ではないですけれども、志賀という男が決して褒めてもらえるような仕事に従事しているわけではないところから物語が始まります。そこからして魅力的でした。これまで演じたことのない役柄でもありましたので、彼がどのような境遇に陥り、そしてどのような結末を迎えるのかまで、出演者としてはもちろん、一読者としても胸躍らせながら一気に読んだ記憶があります。

――上川さんが感じる中山七里作品ならではの魅力とは?

読者の予想を見事に裏切って提示される『どんでん返し』を始めとして、決して一筋縄では終わらない境遇や展開が用意されているところが、中山先生の作品の魅力だと思います。

――中山先生は「取材中の記者にスマホを向けたら、彼らは反応するか」というところから着想を得て、この物語を展開されていかれたそうですね。志賀を演じるにあたり、上川さんがもっとも大切にされたこととは?

仰る通り志賀という男は、不躾な取材陣に対してスマートフォンやICレコーダーを果敢に突きつけ返します。志賀はスキャンダルを中心に扱う雑誌を編集していた記者ですから、取材される側となっても決してあらがう術を持たない男ではなかったところが、報道の渦に巻き込まれていく一般的な主人公と異なる部分。志賀が降りかかる災難に対して「徒手空拳」ではないというその特殊性が、この作品の面白味の一つだと思います。取材に従事していたからこそ思いつく返し技。しっかりと武器を携えた上で、どう相対し、あらがい、どう切り抜けて見せるのか……。それがこれまでのドラマにはなかった部分だと僕は感じています。

職業はある種『エレメント』の一つ

――息子が殺人事件の容疑者となり、さらに命を落とす、という過酷な状況に追い込まれた週刊誌の副編集長である志賀の人物像を、上川さんはどのように立ち上げていかれたのでしょうか?

誤解を恐れずに申し上げてしまうなら、職業はある種『エレメント』の一つだと思うんです。人物を彩る何かではあっても、骨子を形づくるものではない、という言い方をした方がより明確かもしれません。志賀の中には副編集長である以前に、鞠子の夫であり、健輔の父親であるということが前提にある。人物としての根幹は、そこにこそあると思います。ですから、物語の中で息子が容疑者として報道されてしまった事を飲み込めずに、一時期すれ違いも生じた時期はあったにせよ、これまで育ててきた息子の人となりを信じたい父親として、また自分の息子への信頼感から、「そんな事ができるはずがない」と世間に対してあらがってみせることは、決して間違っていないと思うんです。それがスキャンダル誌の副編集長であったことから、一層の齟齬を生んでいってしまうのですが。そんな風に僕は、志賀という男は夫であり父でもある事をまず踏まえて、役を捉えていくようにしました。

――その上で、職場の上司である、高橋克実さん扮する「週刊時流」の編集長・鳥飼と志賀の関係性についてはどのように捉えていましたか?

鳥飼と志賀は、どこか新選組の局長・近藤勇と土方歳三のような関係の様に思えたんです。大きく許容量を持った上で部下を一人一人見ている近藤と、その下で実は嫌われることすらも受け止めながら隊をまとめていこうと努めていた土方の立ち位置に、なんとなく似ているような気がして。だからこそ志賀は、編集部一同に対して檄を飛ばせたでしょうし、後々自分の立場が翻ることがあっても、鳥飼への信頼が最後まで失われることがなかったのは、二人の間にそうした信頼感や関係性の確かさがあったからではないか。そう僕は捉えて演じさせていただきました。ちょっといい喩えになりすぎてしまったかもしれませんけれど(笑)。

――加藤シゲアキさん演じる後輩記者・井波との関係についてはどう思われますか?

加藤さんは井波という男を実に理路整然と演じてくださいました。井波という男は志賀の部下でありながら、誰よりも志賀に対して物を申してくる存在であるのですけれども、僕は演じていながら「この二人は表裏一体で、やり取りが一つの人格の中にある清濁」のように思えてきたんです。志賀が持っている『良心』や『配慮』が、井波という姿かたちを持ってそこに立ち現れた、というような。だからこそ彼が自分自身や、また自らの行動に対して葛藤を覚えている時こそ、井波からの叱責が与えられる、そんな構造になっていると気付けた瞬間に、また一つ物語に踏み込めたような気がしましたし、志賀と井波がバディーを組んで、事件の真相に迫っていくことになるというこの作品の構造が、「実によくできている」と再認識できました。

――片や志賀の異動先である「月刊時流」の編集長・楢崎を、鈴木浩介さんが演じられています。

僕は、楢崎と志賀の中にはある種のシンパシーがあったのではないかと思いました。同じ「報道記者」という職業につきながらも、表舞台に居続けられなかった者同士としての反発と共感。だから楢崎は志賀を何としても取り込みたかったでしょうし、志賀は志賀で、楢崎の境遇に自分自身の行き先の闇を見るような思いもあったかもしれません。でも、そこには明確な溝があった。だからこそ、後々の二人の境遇に変容をきたしていくのでしょうが、ある一瞬生じた共鳴は、そこに確かにあったようにも思います。鈴木浩介さんはそういった複雑な人物像を、実に見事に、そして彫り深く演じてくださっています。

――被害者である星野夫婦の娘・奈々美を、岡田結実さんが演じられています。ドラマでは大学生の設定に変わっているとはいえ、相当ハードな役柄だったと思うのですが、実際に岡田さんと現場で対峙されてみていかがでしたか?

例え話ばかりで申し訳ないのですが(笑)、実際の鳥達なら雛鳥は親の羽の下にいるべきなんです。外界から自分を守る術が身についていない時期を越えるまで、親の羽の下という風雨や環境変化から保護された状態にあるのが当然。親からはぐれた雛は、自然界では生きていけません。でも奈々美という少女は、外界に立ち向かうべき充分な力を得る前に、親の羽を無理矢理取り除かれてしまった。急激に訪れた過酷な環境の変化には、当然過敏になるでしょう。生きようとするからこそ、奈々美には激しく抗うことが必要だったと思うんです。岡田さんはそうした膨大なエネルギーを要する、どこか痛ましさすら伴うヒリヒリした奈々美の心情を、思いの丈を封じ込めることなく演じてくださいました。奈々美の悲しみや苦しみは、何一つ隠されることなく志賀に向かって投げ掛けられていましたし、それはお客様にも充分届くものであると確信しています。

「好きだから」という一言に尽きる

――警視庁捜査一課の宮藤警部補役の高嶋政伸さんは、以前、『沈まぬ太陽』でも『真犯人』でも上川さんと共演なさっていて、濃いキャラクターを演じられていたのが大変印象深いのですが、今回はいかがでしたか?

高嶋さんに関しては、お会いするたびに、そのお人柄というか容貌すらも違っていると思えるほどに、キャラクターによって様々に人格を演じてくださいますので、今回もまた別のどなたかにお会いしたかのような、そんな思いすらしています。今回はドラマ『セイレーンの懺悔』にも同じ宮藤警部補の役柄としてご出演なさっているので、二つの物語を一つのものとして楽しんでいただけるという仕掛けもございますし、それを担うに高嶋さんは、誰よりも適役だったと思います。

――週刊誌嫌いで、志賀に対しても複雑な感情を宿す長澤刑事を演じられた、原田泰造さんはいかがでしたか?

原田さんは、こう言ってはなんですが、俳優です(笑)。そもそものご経歴などを気にする必要が全くないので、当然のように役者として相対していて、ふと思い出して「あぁそうだったネプチューンの原田さんだ」というようなことにいつもなるんです。それぐらい自然に演技と向き合ってらして、いつもながら舌を巻く思いです。

――羽田美智子さんと夫婦役を演じるにあたり、現場でどのようなお話をされましたか?

羽田さんとは今回を含め、三度ご一緒させていただいているのですが、いずれも夫婦役でしたので、"妻"として目の前に居てくださることに、何ら疑問を抱く必要がないんです。羽田さんとの最初のシーンから、僕はそこに"夫"として居れましたし、逆に言うと、役柄について相談する時間すら、僕には必要ではなかったように思います。

――コロナ禍での撮影スタイルに適応されているのは過去のインタビューでも拝見したのですが、コロナの前と後で、演じる上での心境の変化のようなものは感じられていますか?

東京の交通機関は、御存知の通り雪に弱い。車ならば冬用のスノータイヤに前もって履き替えておけば対応もできるでしょうが、それを怠るとちょっとした坂も上れなくなってしまって、立ち往生することになる。更にはちゃんとしたタイヤを履いていても状況に合った運転の仕方をしなければ道を誤ったり、車が故障してしまうことにもなり得る。コロナ禍というのは、そうした状況にどこか似ているような気がしているんです。装備を固めた上で、立ち居振る舞いもそれに適したものにすれば、たとえ環境が変化しても対応することができる。だからこそ、まずはその変化を前向きに受け止めて、然るべく前に進むことが遂行できれば、いつかゴールにたどり着ける。お芝居をする場合もそれと同じで、対応策をしっかりと施して、その上で立ち振る舞いもそれに即したものとして、後は自分自身が演技をすることを着実に行って前に進むことが、いま僕らがやるべきことだと思うんです。この状況がどこまで続くか分かりませんし、またどのように変容するかも予測が立ちませんけれど、まずは装備。そしてどう受け止め、どう行動するのか。それらを見失わなければ、少しずつではありながらも前に進んでいけるのではないかと考えています。

――上川さんはそれこそ学生時代からお芝居をされていらっしゃいますが、当時から現在のご自身の姿は想像できていましたか?

全くできていませんでした。役者になることすら当時のビジョンの中にはありませんでしたから、「予想外」という言葉でしか今の自分を表現できません。

――ここまで続けてこられたのは、お芝居の面白さや深みにハマったからでしょうか。

自分自身でも「単純だ」と思うんですけれども、未だに「好きだから」という一言に尽きるように思うんです。もちろん、色気のないことを言ってしまえば、これが僕にとっての生きる糧ではあるんですけれど……(笑)。惰性を伴って、流されるようにお芝居をするようになったら、芝居に対する思いが質を変えてしまうと思いますが、幸いこの歳になっても「お芝居が好き」という事実が間違いなくあるので、まだお芝居は続けていけそうです(笑)。

――どこか、志賀が本作で辿り着く境地と通じるところもありますか?

志賀の息子に対する揺るぎない想いとムリヤリ結びつけることはできるかもしれません(笑)。ただ志賀の場合、記者としての矜持は一度揺らいでしまっていますけれども……この先はネタバレを含みますので控えさせていただきます(笑)。

――では最後に、本作を楽しみにされている方々に向けてメッセージをお願いします。

ある意味「当たり前だったことが当たり前ではなくなってしまう」という点においては、僕らがいま過ごしている現状に対しても、問いを投げかけている作品なのかもしれません。ある一つの側面だけでは語れないような作品だと思うのですが、一方で、この「夜がどれほど暗くても」というタイトルの後に続くであろう「やがて明けていく……」という、中山先生が込められた願いとでも云うべきものを捉え携えて演じたいと、僕は思っていました。志賀を始めとするキャラクターたちが、この「暗い夜」をどのようにくぐり抜けていくのか、全4話を通してご覧になってくださる皆様に、ぜひ見届けていただきたいと思っています。