幸せホルモンと呼ばれる「オキシトシン」は、人が幸福感を感じるときに、脳内で分泌される神経伝達物質のひとつです。人と人とを結びつけ、「絆」や「仲間意識」を生み出すため、一見いい作用しかもたらさないように思えます。でもじつは、いじめやネット上のバッシングといった、社会的にネガティブな行為として現れることもあると、脳科学者の中野信子さんは語ります。
■オキシトシンは出る杭を許さない
「幸せ」というのは、人それぞれが思う主観的な感情ですが、「幸せホルモン」とも呼ばれる、「絆」や「仲間意識」を生み出すオキシトシンが多過ぎると、社会的にネガティブな行為として現れることがあります。
その典型的なものが、ネット上でのバッシングです。自分たちの「内なる集団」にとって望ましくないように思える意見に対し、みんなで寄ってたかって叩いたり、排他意識が醸成されることで不当に低く評価したりします。
「あいつはうまくやって儲けている」
「美人だと思って調子に乗っているんじゃないの?」
「あいつらはそもそも移民だから」
どこの国でも、こうした言動や現象が見られます。たとえば、隣の国の人間同士でも、地理的に見て近くに住んでいるにも拘わらず、それぞれ似て非なる人たちなので、いったん排他意識が生まれると互いにどんどん偏見が助長されていくこともめずらしくありません。
「内なる集団」という意味では、家族も同様でしょう。むかしから仲の悪い兄弟は多いし、殺人事件の件数自体は減少傾向にあるのに、実は親族間殺人は増加傾向であるとする調査結果もあります。
これには、わたしはやはりオキシトシンが関係していると捉えています。それぞれの集団のなかで、個人同士の絆はオキシトシンによって強固に形成されているため、そこからはみ出た者や、価値観の異なる集団の存在を許せなくなるのです。
「わたしたちはこんなに我慢しているのに、あいつはなぜ?」
「あいつらはズルをしていい思いをしている」
同じ集団内で、そんな気持ちが増していくわけです。
より身近なことでいえば、夫婦でも近くにいればいるほど仲が悪く、週末婚のほうが仲の良いこともあります。要するに、あまり近づき過ぎない関係、オキシトシンが出過ぎない適度な関係がベストなのでしょう。
仲間意識をつくるオキシトシンは、「仲間はみな平等でなければならない」という強い前提をつくってしまうものでもあります。平等でなければならないから、ひとりだけ目立ったり、えこひいきをされたり、たくさん稼いだり、容姿が可愛かったり、立派な家を建てたり、高級車に乗ったりすることが許せなくなるわけです。
「ひとりだけいい思いをするなよ」
そういう意識が当該人物を除く全員のなかにじわじわと生じて、みんなで少しずつ、寄ってたかって「出る杭」を打ってしまう。そんな傾向をより強めるのが、オキシトシンというホルモンなのです。
著名人に対するバッシングもそうで、実際にバッシングを向ける著名人はまったく関係のない他人に過ぎません。でも、インターネットを通じて擬似的に近い距離にいるように錯覚してしまうのです。
そうして、オキシトシンが過剰な絆社会のなかで、排他意識が生まれていく。そこでひとたび「自分たちのルールに従っていない」と認知されると、そこから排除しようとする働きの標的になってしまうのです。
■「いい人のふり」は3年くらいでバレる
このような、社会のつながりやシステムそのものを優先しようとする働きのことを、専門的には「プロソーシャル(向社会的)」といいます。「出る杭を許さない」という傾向もそのひとつで、ほぼすべての人間に備わっている性質です。
「ほぼすべて」と書いたのは、稀にこれを持たない人もいるからです。その性質のことは「アンチソーシャル」といいます。いわゆるサイコパシーが高い人たちもここに入ります。
ちなみに、欧米では、日本よりもサイコパシーが高い人たちの割合が高いとされており、社会階層や職業によっても割合が変わります。たとえば、大企業のCEOや強い権力を持つ人には、意外にもアンチソーシャルな人が多いという研究もあります。
では、アンチソーシャルな振る舞いをする人が社会に一定の割合でいるとして、彼らが実際に排除されやすい社会、されにくい社会というのはどんなものなのでしょうか?
まず、アンチソーシャルな人の傾向として、長期にわたって「いい人のふり」をし続けることは難しいという点が挙げられます。どうしても噓が露顕して、ボロが出てしまうのです。ただ、住む場所や職場を変えれば、しばらくは人を騙す戦略で生きていけるのですが、新しい環境に移動してもだいたい3年くらいすると、また化けの皮がはがれてしまう。
著名人だと頻繁に人の目に触れますから、また話は変わるかもしれません。しかし、一般社会では3年ごとに職場を変えたり、住居を変えたりすれば、一見「いい人」風に振る舞う戦略は効果的で、なかなかすぐに正体はバレないのです。最初は「あの人はいい人だね」といわれて、有力者に受け入れられたりもするでしょう。
ただ、ときが経ち、「あの人、なにかおかしいな……」と被害者が互いに自分たちの経験をすり合わせ、ぽつぽつと告発が出はじめるころには、もうその場所から消えている、といった調子です。
稀に、急速に強固な組織をつくり上げて、そのなかでは違和感の吐露や告発を許さず、おかしな振る舞いを内部だけで隠蔽しておけるような仕組みを構築して、自身の立場を安泰にするタイプの人もいます。日本でもしばしば見かけるタイプですが、裏切り戦略を使った強力なスキームといえるでしょう。
ただ、おおむね、移動しやすい社会なのか、移動しにくい社会なのか——つまり、「流動性」という基準で振り分けた場合、流動性が高い社会では、アンチソーシャルな人は目立ちにくく、適応しやすいと考えられます。
■いじめを繰り返す人は社会的な人
日本のような流動性の低い社会では、基本的にはアンチソーシャルなタイプは、そのままではものすごく目立ちます。なんらかの工夫をしなければ、場合によっては「よそ者」というだけで排除されることもあります。
たとえば、とくに戦前は、地域間の結婚はあまりなかったし、江戸時代にさかのぼれば、藩制が敷かれていたため夜逃げなども許されず、生まれたら一生同じ場所で過ごすことが強いられました。
これは、息苦しいものではありますが、一方では「自分たちとちがう個体の侵入を許さない」というバリア機能ともいえるものです。アンチソーシャルな人が入り込むリスクを避けるための社会の免疫のようなもので、その役割を担うのが、まさにオキシトシンというわけです。
もちろんこれは、差別を正当化しているわけではなく、オキシトシンには一定の役割があるということを説明するためのロジックです。
一方、流動性の高い社会ではこうした免疫が機能しづらく、アンチソーシャルな人が生き残りやすい土壌ができました。移民でつくられた国であるアメリカの社会では、アンチソーシャルな人たちの割合も日本とはかなり異なります。
いずれにせよ、先に述べたネット上での中傷行為、あるいは学校や職場でのいじめを繰り返すような人たちは、「逸脱した行為」をした人たちを許せない側ですから、アンチソーシャルな人ではありません。
一見、極端で偏見に満ちた人たちが、逆説的に「社会的」な人だという点が恐ろしいのです。
■利他的な行動は気持ちいい
オキシトシンのネガティブな作用について書きましたが、ここまで読んで、疑問を感じた方もいるのではないでしょうか。
なぜ、人は自分の貴重な時間や体力といったリソースを使って、自分ではない他人のために、わざわざ面倒な行動を起こすのか?
本来であれば、自分にとっても気分のいいものではないのに、それを「気持ちいい」と感じる仕組みが、ほぼすべての人に備わっているのは不思議ではありませんか?
もちろん、いじめやバッシングなどのネガティブな行為に限りません。たとえば、ボランティアをはじめ、人の役に立つことをするのに気持ち良さを感じることもあるでしょう。このような「利他的行動」は、損得でいえば圧倒的に損なはずです。でも、なぜか自分のリソースを使って、見ず知らずの人のために行動します。
なぜなら、気持ちがいいから。
でも、なぜ気持ちいいのか?
脳の仕組みがそうなっているから。
では、なぜそんな仕組みが脳に備わっているのか? 答えは、そんな仕組みがあるほうが「生存確率」が高くなるからです。
自己犠牲であるにも拘わらず、自分が損をする行動を取ったほうが生き延びるのに有利だったということです。ここでいう、生き延びるというのは、個体として生き延びるのではなく、種として生き延びるということ。そういうなかで、「いいやつ」だと思われたいという気持ちを利用して、人類という生物種は生き延びてきたのです。
だからこそ、人間にとって利他的な行動はとても気持ち良くなくてはならないのです。
■「社会性」とは種としての人間の生存戦略
このことは、わたしたちがどういう生き物であるかという事実に直結しています。それは、わたしたちは個体ではなく、「集団や社会」のなかで生きざるを得ない生き物だということです。
人間は、ほかの動物に比べると非常に弱い個体だと見ることができます。戦う力もなければ、逃げ足も速くないし、外骨格もありません。すぐに捕食されるようなかなり弱い生物だといえるでしょう。
でも、集団になると、サイズ・エフェクトでものすごく強くなることができる。知恵のある者が武器をつくり、別の者がそれを使って戦うという分業をすることで、猛獣と戦っても効率的に勝つことが可能になります。また、集団のなかで弱い立場にある人を生贄にしてでも、生き延びようとします。
要するに、わたしたちは集団でなければ生き残れないため、集団や社会から排除されないことこそが、自分の生存確率を高めるもっとも賢い戦略になるわけです。
そして、冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、脳科学の観点からすると、この仕組みこそが「社会性」や「人間性」と呼ばれるものの正体なのです。
多くの人は、利他的行動は美しく、また良いものだと感じます。でも、実はそれが良いものだと感じることすら、脳によって仕組まれている一定の機能なのです。そして、そんな利他的行動を次世代に学習させる仕組みまで持っています。
それもすべて、人間が種として生き延びる確率を上げるためなのです。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム)、辻本圭介 写真/塚原孝顕
※今コラムは、『引き寄せる脳 遠ざける脳——「幸せホルモン」を味方につける3つの法則」』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。