選手、スコアラー、査定担当、編成担当といったさまざまな役割を務めながら、巨人というチームを40年間にわたり支えた三井康浩氏。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会で世界一に貢献した伝説のスコアラーでもある三井氏が、球界史上最高のショートストップへの道を歩む坂本勇人との記憶を振り返る。
注目度の高い「巨人でプレーする重圧」をはねのけ、難易度の高いポジションを守り続けてきたことの裏側にある坂本勇人の凄さとは——。
■「巨人のショート」は特別なポジション
2007年、光星学院高(現・八戸学院光星高)から高校生ドラフト1位で巨人入りした坂本勇人は、ルーキーイヤーから一軍出場を果たし、2年目にはそれまで二岡智宏らが守っていたショートのレギュラーを奪取。3年目には打率3割を達成、4年目には31本塁打を記録するなど打撃を磨き、着々と選手としての完成度を高めていった。
10年目の2016年には打率.344でショートを守る選手としてはセ・リーグ初となる首位打者に輝いた。2019年には、自己最多の40本塁打を放つなど長距離打者としての才能も覚醒。2020年11月8日には、日本プロ野球史上2番目の若さ、31歳10カ月の偉業となる2000本安打を達成した。
——坂本選手は、いまでこそ巨人の看板選手ですが、入団したときの注目度はそれほど高くありませんでしたよね?
三井 高校生ドラフトの1位ではありましたが、中日でプレーしている堂上直倫を抽選ではずし、2度目の選択で指名された選手でした。だからチームでも、「坂本? 誰?」といっているスタッフもいたほどで、巨人としては意外な指名だったと思います。
そういう選手がまたたく間にレギュラーを奪ったのだから驚きましたよね。しかも、ただのレギュラーではありません。巨人のショートという華々しいポジションのレギュラーですから。
——ショートというのはやはり特別なポジションなのでしょうか?
三井 もちろん特別です。広い範囲の打球を処理する必要があり、それでいて飛んでくるボールの絶対数も多いわけです。さらには捕球位置からファーストまで距離が遠いので、肩の強さも求められる。そういった条件を見ていくと、野球をやるうえではもっとも身体能力を要求されるポジションです。
そしてプロの世界は、首脳陣、メディア、ファンの誰もが高いレベルを求めるので、少しでもミスを続けようものなら、すぐに「○○にショートは無理だ」というレッテルを貼られてしまう。本当に守備がうまいと認められなければ、定着できないポジションです。
ましてや坂本は、人気球団の巨人の選手ですから、他球団以上に厳しい視線が注がれていた。チームメイトだって、「甲子園のスターでもないような高卒入団選手に、巨人のショートが務まるのか?」と反発する思いを持っていたとしても不思議ではありません。そういうプレッシャーをはねのけたところに、坂本の凄さを感じます。
——確かに、プロの世界で長くショートを守ってきた選手は、守備が一級品です。それこそ緊迫した場面でも、「あそこに打球が飛んだら間違いなくアウトだ」と思わせるような。
三井 そうですよね。一番難しいポジションですから、失点にも大きく絡んできます。ですから、どのチームもショートは守備力を優先して起用することがほとんどです。これまでプロの世界でショートを守ってきた選手を思い出してもらえればわかりますが、守備のイメージが強い選手が多いでしょう?
——ただ、坂本選手は打撃でも素晴らしい活躍を見せています。
三井 並の若手であれば、ショートをしっかり守る責任を果たすだけでも精一杯ですし、プロの世界ではそれだけで飯を食っている選手もたくさんいる。そんななか、坂本は打者としても超一流の成績を残しているのですから、その凄さは計り知れないものがあります。それも、長きにわたって。
——坂本選手の打撃の素晴らしさはどのあたりにありますか?
三井 タイミングの取り方のうまさやインコースのさばきかたでしょうか。これはプロ野球ファンなら知っていることですが、とくにインコース打ちは天才的ですよね。腕や肘をうまく使って体に近いボールを打ち抜いてみせるあのスイングは、プロであってもほとんどの選手ができません。
それだけ、インコース打ちというのは難しいものなのです。ピッチャーは坂本に対し、「インコースを攻めて意識を集中させて、アウトコースで打ち取る」という打者を抑えるためのオーソドックスな攻め方が難しくなるので、相当苦しいと思います。
坂本のインコースを攻めるなら、必ずボールにするつもりで投げないといけないでしょうからね。少しでも甘く入れば、鋭くバットが出てきてジャストミートされます。
■自分を褒め称える記事に目もくれなかった坂本勇人
厳しい視線の注がれるショートというポジションを、プロ入り2年目で自らのものにしてみせた坂本。グラウンド外ではマイペースで、自分の価値基準を持ったブレない選手だったと振り返る三井氏が、いくつかのエピソードを紹介する。
——グラウンドの外での坂本選手について、覚えていることはありますか?
三井 グラウンドでもの凄いことをやってのけているにもかかわらず、本人はあっけらかんとしていて、その泰然自若とした様子にも驚かされたものです。たとえば、自分が大活躍した翌日に球場にやってきて食堂にスポーツ新聞が置いてあったら、すぐに手にとって、一面に載った自分の名前や写真を見て悦に浸るものです。若いときならなおさら、うれしそうにするのが普通です。
——成績が振るわなければバッシングを受けることもあるプロの世界ですから、活躍したときくらいはよろこびを噛み締めたいですよね。
三井 でも坂本は、自分を褒め称える記事があっても目もくれないんですよ。大好きなマクドナルドのハンバーガーを食べながら、自分の記事をさらりとスルーして、その先を読んでいる。そんな選手、なかなかいませんよ。
これは推測ですが、自分が実現できてしまったことには興味がなく、「いまできないこと」をいかにしてできるようになるか、そんな未来にだけ夢中になれる性格だったのではないかと思うのです。それから坂本という選手は、自分の世界を完全に持っていて、人がなにをいっていても気ににしないタイプでした。
若い頃は「ジーンズが入らなくなるのが嫌」と堂々と公言して下半身のウエイトトレーニングは積極的にせず、周囲からあきれられている時期がありましたよ(苦笑)。そんなことができるのも、自分のなかに確かな価値基準のようなものがあるからだと思います。人の意見で簡単にブレることのない強いハートを持っていた証拠でしょう。
■巨人での新しいかたちの成功を勝ち取った選手
球界の盟主を自認するチームであるがゆえに、「誰もが認める選手」を獲得することが求められたてきた巨人軍。そのなかにあって、坂本という選手の存在と成功はかなり異質なものだった。
——「筋肉よりもファッション」とはかなり独特です。
三井 あくまでもそれは若い頃の一時期のことですよ。そんな時期をすごして、坂本はまもなくウエイトトレーニングで体を大きくするようになり、あらゆる方向への打球が伸びるようになっていきました。インコースが得意であることから、必然的に多くなったアウトコースのボール、たとえば外よりのスライダーやカーブなんかを遠くまで運びたいと考えたのでしょう。
いつも自分のペースで、雑音を気にせずプレーしているように見えることもありましたが、自分に足りない部分があると理解したときには、歯を食いしばりそれを補うための努力ができる選手です。
——マイペースに見えて、熱い部分もあった。
三井 巨人のショートという重責を担うポジションは、多くの人々に支持されなければまかされないと述べましたが、坂本は才能あふれるプレーだけではなく、じつはたずさえている野球への情熱でも周囲に自らを認めさせていた気がします。
最近の若い人のものごとにあまり執着しない様子を見ていると、「なんでそんなに冷めているのだろう」という印象を抱いてしまうときもありますが、そうではない。若い人たちだって、うちなる熱さを秘めていることもあるのだと坂本からは学びました。
——坂本選手のように、アマチュア時代に全国区とはいえなかった選手が巨人のレギュラーを奪い、ここまでの中心選手として成功するケースはそれほど多くありません。
三井 「誰もが認めた選手をドラフトで獲る」という傾向が、巨人の伝統としてありましたよね。それこそ、注目を浴びた経験のある選手でなければ、プレッシャーに押しつぶされてしまうという考えもあるのかもしれません。
外国人選手獲得などでも、そういう選手を選ぶ暗黙の了解はあったように思います。坂本はそういう流れを汲んでいない選手で、巨人という球団での新しいかたちの成功例かもしれません。
最近の巨人はFAなどで実績のある選手を獲得するのと同時に、かつての坂本のようにビッグネームとまではいえない若手選手にも一定のチャンスを与え戦力にしていくチームづくりを志向するようになりました。
坂本の成功は、そのような方針転換に影響を与えた意味でも、巨人の歴史においても重要な出来事だったように思います。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人