選手、スコアラー、査定担当、編成担当と役割を変えながら、40年間にわたり読売巨人軍とともに人生を歩んだ三井康浩氏は、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会で世界一に輝いた日本代表を裏側で支えた伝説的スコアラーとしても知られる。その三井氏に、「くせ者」の異名でファンの記憶に残る選手となったユーティリティプレーヤー・元木大介との交流について聞く。
相手投手の研究や駆け引きに誰よりも熱心で、機転を利かせてチームを助け首脳陣の信頼を得ていく元木を見て、三井氏は指導者としての才覚を感じていたと話す。
■質問してくるときは、常に自分の意見を持っていた
大阪・上宮高で3度の甲子園出場を果たし、その甲子園では計6本塁打を放つなど全国区のスターとして活躍した元木大介。巨人入りを望んで迎えた1989年のドラフト会議ではダイエーから1位指名を受ける(巨人は慶大の大森剛を1位指名)も、これを拒否した元木は、1年間のハワイ野球留学という選択をし、翌1990年のドラフトで巨人入りの夢を叶えた。異例のプロ入りを果たした元木は、複数のポジションを守れる器用さを生かし2年目から出場機会を増やしていく。
3年目のときに就任した長嶋茂雄監督からは、勝負強さなどを評価され一軍に欠かせない戦力となった。2005年に33歳の若さで引退するまでに、4度のリーグ優勝と2度の日本一に貢献。その後はテレビタレントなどとして活動していたが、2019年に巨人の内野守備兼打撃コーチとして現場復帰。2020年からはヘッドコーチに昇格するなど指導者としての評価も高めている。
——スコアラーだった三井さんと「選手・元木大介」の最初の接点を教えてください。
三井 元木が入団した頃は一軍でスコアラーをしていたので、彼が一軍に上がってきた2年目からのつきあいですね。最初はレギュラーではなかったので、個別に話すことは少なかったかもしれない。でも、レギュラーに近い立場になっていくと必然的に話す頻度が増えていきました。
——スコアラーとしてのかかわりのなかで記憶していることはありますか?
三井 大半の選手は、チームのスコアラーに対して「今日はどんな攻め方してきますかね?」と、一方的に聞いてくることが多いものです。でも元木は、「僕はこう思うんですけど、三井さんはどう思います?」という聞き方をしてくる。つまり、最初から自分の意見、考えがある。
その意見はスコアラー視点でも妥当なものが多くて、自分の打席を客観的に見れているんだなと感心したものです。過去に自分がどんな球を打ったかもよく覚えていて、スコアラーと意気投合しやすいタイプでもありました。実際のところ、そういう選手はあまりいなくて、当時だと川相(昌弘)くらいだったかな。
——いわゆるクレバーな選手だった。
三井 ただね、スコアラー泣かせだったのは、ときどき一球ごとにヤマを張って打ちにいくことがあったんですよ……(苦笑)。
——打席のなかで、全球ヤマを張ってボールを待つことがあったということですか?
三井 ええ。スコアラーのバッターに対する指示というのは「一打席全体をとおして、こういう攻め方をしてくる可能性が高いよ」というように、選択肢を絞りつつもある程度の幅を持たせるわけです。ですから、選手にはいくつかの選択肢を頭に置いて打席に立つことを求めます。「このボールが確実にくるぞ」という予測は、ピッチャーの癖でも見抜かない限り難しいですからね。
でも、ときどきそういう指示を聞かずに、独断で狙い球を絞るだけでなく、予想がはずれるごとに狙い球を次々変えていく移り気なバッターがいるんです。その予想が的中すればいいのですが、多くの場合は当たらない。予想が裏目、裏目、裏目……とはずれて、あっというまにアウトになって帰ってくる……なんてこともある。
——元木選手は打席内でそうした“一か八か”をときどきやっていた?
三井 元木はベンチで、相手バッテリーを非常によく観察している選手でしたから、自分なりの発想が湧いていたんだと思いますよ。年齢を重ねるうちに減っていきましたが、若い頃はときどきやっていましたね。ほかの選手に近づいて、「いま、変化球で攻められただろ。次は真っ直ぐでくるぞ」なんてアドバイスをすることもあったほどです。
それがスコアラーからの指示とちがうこともあったので、困ったものです……(苦笑)。ベンチから相手ピッチャーをよく観察している選手は元木以外にもいましたが、ほかの選手にアドバイスしていたのは元木だけだったと思います。そんなところも、なかなか面白い選手でした。
——ただそれは、自分の読みに自信がないとできませんよね?
三井 元木はなにより、ずば抜けた観察力がありましたからね。ピッチャーの癖も自分で見つけてわたしに報告してきて、「どうかな? 」と聞いてくることもあったほどです。それを打席で生かすのもうまかった。
■元木はチームに必ず必要とされる選手だった
プロ野球選手の体格としては決して大きなほうではなく、スピードなど圧倒的な身体能力があるわけでもない。そんな元木がチーム内で自分の役割を見出し、一軍選手として現役生活を送れたのはなぜか? 三井氏は「勝負強さ」と「試合での機転」そして「守備の安定感」を挙げる。
三井 元木という選手は、スコアラーの指示がはずれたとしても、不満をまったくいわない選手だったんですよ。「ミーティングの話と全然ちがったじゃないか」と不満をあらわにする選手もいるなか、彼はまったく気にしません。こちらからのアイデアをどんどん試してみることに関心があったように見えました。
——終わったことはあまりひきずらないタイプだった。
三井 はい。そういえば元木から一度、「この試合は狙い球を思いきり絞って打席に立ちたいから、攻め方を細かく予想してほしい」といわれたことがありました。
——ヤマ張りに協力してほしいということですね?
三井 たしか、甲子園での阪神戦でした。そのときはどの打席も真っ直ぐで勝負してくるだろうというわたしの予想が的中して、4打数4安打。ふたりでよろこびましたよ。それくらい大胆に人の意見を受け入れる懐の深さがあったことも、元木という選手の特徴だったと思います。
——元木選手は、長嶋茂雄監督に「くせ者」という異名をつけられて、自らのキャラクターを確立させたイメージがあります。
三井 元木が3年目のときに長嶋監督が就任したのですが、ちょうど彼自身も力をつけてきていて一軍でいいプレーができるようになっていた。それで起用されることが増えていったのです。
——高校時代は長打も打っていましたが、プロに入ると早々に堅実な打撃に切り替えていましたね。
三井 本人も長距離打者として成功するのは難しいと理解していたと思います。どちらかというと、チャンスでいかに仕事をするかを目標にしていたようでしたね。勝負強い選手でしたから、得点圏打率がかなり高いシーズンもあったと記憶しています。それが長嶋監督の求める選手像にフィットしたのでしょう。
元木はとにかく試合のなかで機転が利くんですよ。走塁での判断も優れていて、塁間でわざと挟まって前の走者を進塁させるプレーなどもうまかったですよね。ピッチャーを必死に観察したり、駆け引きに夢中になっていたりしたことも含めて、いつも頭で勝負してた選手だったと思います。
——守備はどんな評価を受けていましたか?
三井 俊敏な動きができるわけではなかったけれど、ポジショニングや送球の安定感でカバーして、うまくこなしていましたよ。元木はシュアな打撃のできるシノ(篠塚利夫・和典)さんが守るセカンドの後釜を狙うような立場だったわけだけど、当時の巨人がセカンドに求めていたのはまず守備力でした。
そこで及第点を得ていたからこそ、レギュラーを完全に摑むには至らなかったものの、一定の出場機会を得ていたのだと思います。器用なところもあって、セカンド以外の内野の各ポジション、ときには外野までこなしていましたしね。
——ずば抜けてこそいなかったものの、打撃・走塁・守備とトータルで見たとき、「元木だな」と思わせる評価を得ていた。
三井 そうですね。ミーティングでホワイトボードの漢字が読めず、ほかの選手にからかわれたりすることもありましたが(笑)、グラウンド上ではただではアウトにならない本当に頼もしい選手でした。
■「史上最高のヘッドコーチ」のような存在になれる
観察力に長け、コミュニケーションを得意とし、機転が利く。そんな話を三井氏が語ると「元木大介は指導者に向いているのではないか」と思った人もいるかもしれない。三井氏は「ヘッドコーチ」こそが元木の力を最大限発揮できるポジションではないかと考える。
——ここまでお聞きした話で、この直近2年間でコーチとして評価を高めていることに、とても納得がいきました。
三井 現役時代から、彼はいいコーチになるんじゃないかという思いはありました。野球をよく知っていて、とにかく観察力がある。明るいし、選手に対していいにくいことも思いきっていえる。
でも、ユーモアもあるから本当に選手が傷つくようないい方を避けられるところもいい。ああ見えて礼儀にはかなり厳しくて、チームの規律を保つこともできます。選手に遠慮して気を遣いすぎるような、スマートなコーチにはできない指導ができると思います。
——タレント時代の少々コミカルなイメージの影響か、いまのコーチとしての活躍に驚いている人もいるように思います。
三井 根性論とは無縁だったし、「すべての人から尊敬される」みたいなタイプでもない。ただ、野球に対する考え方はしっかりしていました。それに彼は、チーム内で群れをつくらないんですよ。そうした人が上に立つと、組織のなかに変な力関係が生まれません。それはとてもいいことではないでしょうか。
——いつか巨人軍に、「元木監督」が誕生する可能性もある?
三井 それは面白いですね。ただ彼は、監督というよりは「史上最高のヘッドコーチ」のような存在になれる気もします。どんと構えた監督の右腕として、選手たちに厳しいことをいって引き締めていけるような存在——。絶対向いていると思いますし、彼ならできるはずですよ。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人