「アイドルとしては『もう22才』ですが、世間では『まだ22歳』…まだまだいろんな可能性があると思うんです!だから思い切って今の環境から一歩外に出て、自分の新たな可能性にチャレンジしてみようと思いました!私のファンの皆さん、どうか悲しまないでください!皆さんのおかげでNMB48での活動に悔いは無いんです!」(2019年7月4日 NMB48オフィシャルブログより)
NMB48卒業から1年。女優として第2の人生を歩み始めた内木志が、1st写真集『こころまち』を9月に発売した。故郷・滋賀を舞台に撮影を行い、琵琶湖、近江八幡といった地元を代表する観光スポットから、NMB48劇場に日々通っていた頃を思い出す実家まで、彼女の軌跡が詰まっている。引っ込み思案だった少女はアイドルを経た今、何を思うのか。
■滋賀の実家で初めての撮影
まさか私が写真集を出すことになるとは思ってなかったので、お話をいただけて嬉しかったです。しかも、私の地元・滋賀県での撮影というのが、さらに嬉しくて。母も喜んでくれました。アイドル時代に先輩方が写真集を結構出してたので、「私も先輩のように出したい」と思っていたのかな……。私にとってこのタイミングはまだまだ早い気がしますが、その写真集を見て、たくさんの方に内木志を知って頂きたいです。
写真集のタイトルは『こころまち』。「志の町」と「心の町」、そして、ファンのみなさんに私の新しい部分を見てもらうために、心待ちにしてて欲しいという気持ちで、『こころまち』にしました。久しぶりに制服も着ました。中学生がセーラー服、高校生はブレザーだったので、中学生に戻った気分で違和感がありました(笑)。ファンの方は、「全然まだまだいけるよ!」と言ってくださるんですけど、自分的にはやっぱり中学生のイメージが強いので……恥ずかしい(笑)。
思い出に残っているのは実家の撮影です。叔母やおばあちゃん、おばあちゃんの近所の友達が見に来てくれて。最後には記念撮影もしました。実家で撮影したのは初めて。おばあちゃん、お化粧してソワソワしてたなぁ(笑)。「初めて仕事しているところを生で見た」と喜んでくれました。
■今までで一番悔しかったこと
デビューのきっかけになったドラフトのプロフィール動画が今でも残っているんですが、あれも実家で撮影して頂きました。カメラマンさんも、「実家が一番リラックスしてるね」とおっしゃっていましたが、私にとってはすごく落ち着く場所です。
NMB48を卒業して約1年が経ちました。2013年にデビューしてからずっと団体行動だったので、最初はやっぱり寂しかった。同い歳や歳が近い子が多かったので学校みたいな感じで(笑)。卒業してからその環境がなくなって寂しかったですが、最近は一人での楽しさも感じ始めました。
ちっひー(川上千尋)は距離が近かったメンバーの一人です。茶々コンビも組んでいたので(笑)。めちゃめちゃ仲良かったです。石川でコンサートがあった時は、おばの家に招待して、おばが肉とかを焼いてくれて一緒に食べたのは良い思い出。ちっひーのお母さんも、ご飯食べている時に顔を出してくれたこともありました。
ちっひーの魅力的なところは、負けず嫌い。今はキャプテンをしてて、チームのことも考えて、NMBを引っ張っていこうとしてて、本当にすごい。先輩なんですけど、1つ歳下で。ずっと選抜も一緒に入ってて、選抜落ちも経験して。アンダーガールズとして、Wセンターのカップリング曲を頂けてうれしかったです。
選抜落ちしてから、「選抜に戻りたい」と思って。AKB48総選挙に出たら、54位にランクインすることができました。でも、NMB48の選抜には戻れなかった。それが今までで一番悔しかったこと。総選挙でランクインすれば戻れると思っていたんですけど、そんなに甘くなかったです。それが悔しくて、「絶対に戻るまでやめれへん」と心に誓いました。
ちょうど選抜に復帰した頃、舞台のお仕事を頂いて。そこでの時間が楽しくて、もっと舞台経験を積みたい、そう思って卒業を決めました。
年齢的な区切りとかは全然なくて、本当にタイミングですね。もうあとは後輩に任せようと。アイドルにとって「22歳」は上の方にはなりますが、世間ではまだまだこれからの年齢なので、「一人で頑張らないと」と思いました。
■卒業公演で泣かなかったワケ
ドラフトでデビューする前は、滋賀から東京までオーディションを受けに行くことが何度もありました。父がいつも送り迎えをしてくれて、母と3人で。
小さい頃は、引っ込み思案でした。母が、私を芸能界デビューさせたかったみたいで。小学6年生の時に受けたオーディションでファイナリストまで行って、そこでは初めて歌披露や自己紹介の審査があったんですけど、「楽しい!」と素直に思えて本格的に芸能界を目指し始めました。
そういえば、小学校6年生の時には応援団長を経験しました。引っ込み思案だったのに、なぜなんだろう(笑)。絶対にやりたいと思って立候補して。4~5人くらいは立候補する人がいたのかな。団長ってかっこよくないですか? 入場の時に旗を持ちたいと思って。ダンスを習っていて、気づいたら前に出るのが好きになっていたんだと思います。
いろいろなオーディションに挑戦して、モデルにも憧れるようになって、朝ドラの『あまちゃん』を見て「アイドルになりたい」と。毎回、良いところまで行って落ちての繰り返しで、いつもいつも、「もう一息!」と言い聞かせて頑張っていました。
それから、2013年の「AKB48グループ ドラフト会議」を受けました。合格して、母は喜んでましたけど、泣いてたんですかね? インタビューもめっちゃ受けてましたよね(笑)。卒業は私の中では決めていたことだったんですけど、「もっと頑張ったら?」「もうちょっと続けたら?」「まだ続けられるはず」と励まされて続けていました。
卒業公演も見に来てくれました。私が泣いてなかったので、「珍しいな」と褒めてくれました。結構涙もろいタイプなんですけど……たぶん、やりきったんでしょうね。最後は笑顔で終わろうと思って、次のステージへ。
■「志のある優しい人」として
上京したのは卒業してから。姉が東京で仕事をしていたので、一緒に住むことになりました。実家から通っている時は、母がいつも送り迎えをしてくれていて。それがなくなってしまったので、東京に遊びに来てくれるようになりました(笑)。
姉は私よりも前に出るタイプ。過去には劇団にも所属していて、海外留学も経験し、いつも周囲を明るくしてくれます。東京で一緒に住んでいて、今でも仲良しです。今度舞台に出演するんですけど、その台本を一緒に読んで練習相手になってくれています。
両親は「志のある優しい人になってほしい」という願いを込めて、「志」と名付けたそうです。その願いが叶うよう、舞台はもちろん、映画やドラマで活躍できる女優さんになりたい。デビュー当時から応援してくれている方、そして「最近好きになった」と言ってくださる方も、今の私にとっては大きな励みです。不安もありますが、「アイドルをやりきった」という自信を胸に、これからも頑張っていきます。
■プロフィール
内木志(ないき・こころ)
1997年4月6日生まれ。滋賀県出身。2013年、第1回AKB48グループドラフト会議において、NMB48チームBIIに第2巡目で指名される。NMB48の16枚目シングル「僕以外の誰か」で、シングル表題曲の選抜メンバーとして初選出。2018年「AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙」では54位にランクインし、フューチャーガールズ入りを果たした。2019年7月4日に卒業を発表し、8月19日に卒業公演を開催。現在は舞台を中心に女優として活動している。