伊藤園 健康ミネラルむぎ茶は9月7日、落語家の笑福亭鶴瓶さんと陸上の桐生祥秀選手をイメージキャラクターに採用した「健康に、いい汗かこう!キャンペーン」をスタートした。同日、都内で記者発表会を開催している。

  • 伊藤園 健康ミネラルむぎ茶は7日、笑福亭鶴瓶×陸上の桐生祥秀選手を採用した新キャンペーンについて記者発表会を開催した

伸長する市場でシェアを独占

国内の麦茶飲料市場が、右肩上がりに成長を続けている。この10年間だけ見ても、市場規模は約3.5倍に拡大中。発表会に登壇した伊藤園 マーケティング本部の相澤治氏は「2012年に健康ミネラルむぎ茶が登場して、一気に市場が拡大しました」と胸を張る。現在、その健康ミネラルむぎ茶は市場のシェア45%を獲得しており、競合他社の追随を許さない状況だ。

  • 伊藤園 マーケティング本部 麦茶・紅茶ブランドグループ ブランドマネジャーの相澤治氏。麦茶飲料市場は2019年に約1,200億円を突破している(2019年実績 伊藤園調べ)

麦茶飲料市場が伸長している要因には「ミネラルが補給できる暑さ対策飲料」として受け入れられていること、また近年では「スポーツドリンクとしての飲用」が増えていることを挙げた。「ゴクゴク飲める美味しさ、無糖でカフェインゼロの、ミネラルが補給できるスポーツドリンクとして注目を集めています」と相澤氏。

  • ミネラルが補給できる暑さ対策飲料として

  • スポーツドリンクとしての飲用も増加中

一流アスリートの中にも、毎日飲んでいる選手がいると明かす。例えば、陸上の桐生祥秀選手、ボクシングの村田諒太選手、駅伝強豪の東洋大学などが練習時に、また日常のコンディショニング飲料としても飲用しているという。

そこで伊藤園 健康ミネラルむぎ茶としても近年、スポーツイベントでの露出を増やしている。例えば2018年にはスペシャルゲストに桐生祥秀選手を迎えた「スーパーかけっこアタック」という子ども向けイベントを実施して好評を得た。

  • 子どもたちの健康と自己実現のため、スポーツイベントも積極的に開催

キャンペーンの概要

さて、新型コロナウイルスの感染拡大が影響して、在宅時間が増えた今年の夏。相澤氏は、残暑、運動不足による健康リスク対策としてミネラル麦茶ができることを考えたという。「難しいことではなく、体を動かすこと、こまめに水分ミネラル補給することの重要性を、あらためてお伝えしていくことが大切と考えました」(相澤氏)。そこで9月7日から「健康に、いい汗かこう!」キャンペーンをスタートさせる。

  • 「健康に、いい汗かこう!」キャンペーンが9月7日にスタート

本キャンペーン期間中には、WEBサイトにて誰でも閲覧可能な「桐生選手の走り方教室」「体を動かそう!ラクラク運動」「はじめてのウォーキング&ランニング講座」などの体を動かすコンテンツを用意する。

また対象商品に付いているバーコードを集めて応募すると、豪華賞品が当たるキャンペーンを実施。「健康対策にミネラル補給セット!」が当たる「鶴瓶さんコース」(バーコード5枚)と、憧れの桐生選手が走り方を教えてくれる「桐生選手コース」(バーコード10枚)の2コースを用意した。応募期間は9月7日から10月31日まで(当日消印有効)。

  • 鶴瓶さんコースの内容は、広口ポット(2L)、保冷機能付きスクイズボトル、健康ミネラルむぎ茶 希釈用缶180g 6缶パック×3など。10,000名に当たる

  • 憧れの桐生選手が走り方を教えてくれる桐生選手コースは、当選人数が10名となっている(参加資格:小学生・中学生限定)

鶴瓶さんと桐生選手が登場する新CMの放映も開始される。そこで会場には、ふたりがスペシャルゲストとして招かれた。

  • 鶴瓶さんと桐生選手が登場する新CMも放映開始

長年、健康ミネラルむぎ茶のCMキャラクターを務めてきた鶴瓶さんは「どこの現場に行っても、家庭に行っても、健康ミネラルむぎ茶は置いてあるでしょう。それだけ浸透しているということで、嬉しいですね」と笑顔を見せる。一方で桐生選手は「小学生のときから、健康ミネラルむぎ茶と言えば鶴瓶さんのイメージがあります。そこに自分が入っていっても良いんでしょうか。光栄です」とはにかんだ。

  • トークセッションの様子

桐生選手は練習時にも、また私生活でも健康ミネラルむぎ茶をよく飲んでいるという。「夏でも湯船に入って20分くらい筋肉をほぐします。汗をよくかくので、上がったら飲めるように、風呂場にも必ず置いています」と明かした。

CM撮影も、和気あいあいとした雰囲気で進んだ様子。「ずっと笑いながら撮影できました」と話す桐生選手に対して、鶴瓶さんも「あなた滋賀県出身でしょ。関西の血だから、掛け合いがうまいことできる。ミルクボーイ的な漫才ができそうでしたよ」と応じていた。