フリーアナウンサーの徳光和夫が、22日に放送される読売テレビのバラエティ番組『八方・陣内・方正の黄金列伝!』(14:25~ ※関西ローカル)に出演する。

  • 徳光和夫=読売テレビ提供

巨人軍の長嶋茂雄に憧れ、長嶋と同じ立教大学に入学し、長嶋の試合を実況したいがためにアナウンサーを目指し、日本テレビに入社した徳光。入社すぐに夕方ニュースで「国家予算5兆円」と読むべきところを「5円」と言ってしまい、ニュース担当から外されてしまった。普通のアナウンサーであれば最悪な滑り出しだが、徳光にとっては僥倖。このミスにより野球実況の助手に指名され、念願の野球実況のサブアナウンサーとして野球三昧の日々を送ることに成功した。

しかし、その後与えられた仕事は野球実況ではなく、プロレス実況。地方巡業についていくために好きな野球も見れず、本気でアナウンサーを辞めようかと考えたが、外国人レスラーの情報に具体的な数字を入れてリアリティを出すといった工夫が好評を呼び、次第にやりがいを感じていくように。また、不世出の大スター・ジャイアント馬場さんとも交流を深め、その人柄に心酔していくのだった。馬場さんからはアナウンサーとしての人生を決定づけた言葉も授かったという。

32歳のとき、人気番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に起用され、幸せ度はアップかと思いきや大幅ダウン。バラエティに出ることで完全に野球中継への道が閉ざされたと感じたという。懐かしの『うわさのチャンネル』の貴重映像や古舘伊知郎の証言をもとに、当時の心境を語る。

そして38歳で『ズームイン!!朝!』に抜てきされると、野球中継への夢は完全に諦め、全国の局をリレー形式でつなぐという異例の試みに情熱を燃やすようになる。『ズームイン』は大成功をおさめ、日テレの朝の顔としての地位を確立した。そんな成功の裏で徳光がアナウンサーとして心がけていたこととは。『ズームイン』で共演し、全国区となった辛坊治郎からも証言が。

その後、47歳で『ズームイン』を卒業し、夕方の報道キャスターへの転身を命じられると幸せ度は再びマイナスに。当時、久米宏の『ニュースステーション』が当たっていたこともあり、日テレとしては“局の顔”ともいえる大事な場所をエースに任せるという当然の采配だったが、徳光のテンションは上がらず…。その理由はいかにも徳光らしいユニークなものだった。

報道キャスター、そして管理職になったことでモチベーションが低下した徳光は、周囲の声を受け、遅まきながらフリーに転向することを決意。『世界ウルルン滞在記』の司会など順調な仕事ぶりだったが、60歳のとき急性心筋梗塞を患うという落とし穴もあった。

しかし70歳には史上最高齢で『24時間テレビ』のチャリティーランナーに抜てき。『24時間テレビ』に第1回から今まで皆勤賞で出演しているのは後にも先にも徳光のみ。そんなもう1つのライフワークである『24時間テレビ』での徳光の顔を、後輩アナである羽鳥慎一と水卜麻美アナが語る。