私の写真人生はオリンパスから始まった。本格的に写真を始めたとき(私の中ではモノクロのフィルム現像とプリントを自分でやるようになった時点をこれに位置づけている)、最初に手に入れた一眼レフがオリンパス「OM-1N」だったのだ。2度目の高校1年がすべてのスタート。あのとき、写真の道へ向かうことを心に決めていなければ、今の私はここにはいなかったはずだ。
カメラのあり方を教えてくれた“一世一代の写真”
新宿東口にあった「カメラのさくらや」の2階で、とことん粘って最大限の値引きを引き出し、OM-1Nのシルバーボディをズイコー50mmF1.4付きで買った。4,000円高だか5,000円高のブラックボディに手が出ず、泣く泣くのシルバーボディだ。金欠高校生が下すことのできるギリギリの悲しい判断がそこにはあった。40年が経過した今、思い返してもちょっと悔しいのは、たぶん根に持つタイプだからなのだろう。
OM-1Nには、「カメラは撮影に行くとき持ち出すもの」ではなく「いつナンドキも肌身離さず持ち歩くべきモノ」であることを教えられた。そのきっかけとなった「一世一代、入魂の一作(自称)」を超える作品は、まだ撮れていないような気がする。
とか何とか言いながら、仕事で写真を撮るようになって、憧れのニコンを手に入れたら、オリンパスとの付き合いはパタッと途切れた。ボディ2台と交換レンズ一式をすべて友達に譲り、スッパリとサヨナラしちまったのだ。
OM-Dでオリンパスカメラと邂逅
「もうオリンパスを使うことはないだろうな」
そう思っていた。戻る理由がなかった。少なくともフィルム時代は。そして、そのままだったら現在(いま)の「オリンパス」を取り巻く複雑な状況を見ても、他人事でいられたような気がする。
でも、幸か不幸か、さんざん他メーカーと浮気し続けてきていたゲスな私とオリンパスの関係は、「OM-D」の誕生とともに復活していた。初代E-M5がデビューすると同時にヨリを戻していたのだ。OM-1Nは「写真を始めるため」に買い、E-M5は「仕事撮影で使うため」の導入ということで、青春真っ盛りのあの頃とはそもそもの関係性が異なっていたワケなのだけど、「こりゃ我が写真人生、けっきょくオリンパスに始まりオリンパスで終わることになりそうだねぇ」なんてことを半ばマジで思ったりしたものである。なぜなら、魅力あふれるPROレンズを買いそろえ、E-M1、E-M1 Mark IIをいずれも2台ずつ導入し、それぞれ進化のほどを体感しながら依頼仕事をこなすためのメーン機として使ってきているからだ。
だからこそ! オリンパスの今後が心配だ。気になる。いったいどうなるのか、と。映像事業の継続は明言されている。販売やサポートサービスは、これまでと変わらずに行われるということだ。まぁ、これは当然といえば当然の表明である。「オリンパスのカメラやレンズ」の“未来”を勝ち取るための今回の措置なのだろうから。「ちゃんとやります」「心配しないでください」のアピールは、されて当然のものなので、ひとまず額面通りに受け止めておくのが賢明だろう。
オリンパスの映像事業が譲渡される方向にあることが明らかにされて間もなく、レンズロードマップの更新が行われたのも安心材料提供のひとつだといえるだろう。併せ、デビューを心待ちにしていながらも実は個人的には密かに行く末に危惧感を抱いていた「M.ZUIKO DIGITAL ED 150-400mm F4.5 TC1.25× IS PRO」の開発に係る最新情報を知ることにもなった。さらに、OM-D E-M1Xのインテリジェント被写体認識AFに「鳥認識」を追加するファームの公開予定もあるという。いずれも、発売・公開は「今冬を目指している」ということで、ヤキモキしている身にはいささか待ち時間が長すぎる感なきにしもあらずなのだけど、まずはそこから、だ。正直、「オリンパス」のブランド名が残るだけでも御の字なのである。
前途が平坦であるとは考えにくい。成果を上げなければすぐに切られてしまうシビアな世界であることを想像する。ただ、それだけに、これまではスルーされていたような大胆な発想が一挙にカタチになってくる可能性も。今後の新製品には期待が大だ。「オリンパスに始まりオリンパスに終わる」なんてことを言ってしまった手前、個人的にもオリンパスの今後から目を離すわけにはいかないのである。
頑張れっ、オリンパス!