私の写真人生はオリンパスから始まった。本格的に写真を始めたとき(私の中ではモノクロのフィルム現像とプリントを自分でやるようになった時点をこれに位置づけている)、最初に手に入れた一眼レフがオリンパス「OM-1N」だったのだ。2度目の高校1年がすべてのスタート。あのとき、写真の道へ向かうことを心に決めていなければ、今の私はここにはいなかったはずだ。

  • 愛機OM-1Nを手にスカしてフレームに収まる高校時代のワタシ。なぜにこういう写真を撮ったのか、そのちゃんとした理由は憶えちゃいないけれど、まぁ当時の高校写真部員なんてぇのはそんなもの。写真とともにギターにも夢中だったので、左手の指が妙にキレイだな(笑)。装着しているレンズは、トキナーの80-200mm F4

  • 愛機OM-D E-M1 Mark IIを手に(以下略)。機材ははるかに進化している一方、ユーザーが心身の劣化に抗えないでいるという無慈悲な現実には涙するしかありません。やっぱり“若さ”ってのは人生最大の財産だったんだなぁと、現代のオリンパスを片手にため息をつく現在のワタシの指はシワシワだな(悲)。装着しているレンズは、便利すぎて使用者が骨抜きになるM.ZUIKO DIGITAL 12-100mm F4.0 IS PRO

カメラのあり方を教えてくれた“一世一代の写真”

新宿東口にあった「カメラのさくらや」の2階で、とことん粘って最大限の値引きを引き出し、OM-1Nのシルバーボディをズイコー50mmF1.4付きで買った。4,000円高だか5,000円高のブラックボディに手が出ず、泣く泣くのシルバーボディだ。金欠高校生が下すことのできるギリギリの悲しい判断がそこにはあった。40年が経過した今、思い返してもちょっと悔しいのは、たぶん根に持つタイプだからなのだろう。

  • 春休みと夏休みに引っ越し屋のバイトをしまくって、OM-1NのあとにOM-2Nの中古を買った。晴れて「理想的な2台態勢」が整うこととなったワケである。この写真は、その当時に撮ったもので、右にズイコー28mm F3.5とケンコーのテレプラスMC7、奥には愛読していたカメラ雑誌が見えている。ちなみに、ユーエヌのブロアー「ジャンボハリケーン」は、今でも同じカタチのものが売られているよね。まったく同じ仕様なのかどうかは分からないけれど、現在も複数、愛用しています

  • 写真部の友達は、多くがすでに撮るべきテーマを絞っていたけれど、駆け出しのワタシはとにかく何でも撮っていた学生時代だった。いま考えるとその「何でも屋」的なところがかえって良かったような気もしている。「ジャンルを問わず何でもそこそこ撮れる」ことが、その後の人生で大いに役立ったからだ。アーティストにはなれなかったけど

OM-1Nには、「カメラは撮影に行くとき持ち出すもの」ではなく「いつナンドキも肌身離さず持ち歩くべきモノ」であることを教えられた。そのきっかけとなった「一世一代、入魂の一作(自称)」を超える作品は、まだ撮れていないような気がする。

  • 落合カメラマンが「一世一代、入魂の一作」と大切にしている写真

    これが一世一代、入魂の一作と自称している40年前のお作品。デビュー間もない松田聖子と新宿の地下街で偶然に遭遇、ZUIKO AUTO-S 50mm F1.4の開放F値でパチリと撮っただけの写真なのだけど、これが撮れたことをきっかけに、写真の面白さとカメラを常に持ち歩くことの大切さを知り、短絡的に写真の道を志すことになったのだ。ワタシにとっては、本当に忘れることのできない(忘れてはならない)1枚なのである。千載一遇のチャンスを活かすべき撮影時に、たったの1カットしかシャッターを切っていなかったのも、今では考えられないアーティスティックな潔さ(笑)。単にフィルムがもったいなかっただけというホンネは長い間ナイショにしてきた

  • 背景が暗い場合(スポットライト的な照明が当たっている場合)の露出設定のコツは、こういう場面の撮影修行で身につけた。いわゆる「カメラ小僧」が世に跋扈する前だったので、現場はまだまだ平穏であり、「トシちゃんの写真送ってくださーい♥」とか何とかいいながら同い年ぐらいの制服姿の女の子が自ら進んで名前と住所、電話番号を教えてくれるという、とってもステキな時代でもあった。そういうとき、心の底から「ああ、写真をやっていて良かった」と思ったことはいうまでもない(笑)

とか何とか言いながら、仕事で写真を撮るようになって、憧れのニコンを手に入れたら、オリンパスとの付き合いはパタッと途切れた。ボディ2台と交換レンズ一式をすべて友達に譲り、スッパリとサヨナラしちまったのだ。

OM-Dでオリンパスカメラと邂逅

「もうオリンパスを使うことはないだろうな」

そう思っていた。戻る理由がなかった。少なくともフィルム時代は。そして、そのままだったら現在(いま)の「オリンパス」を取り巻く複雑な状況を見ても、他人事でいられたような気がする。

でも、幸か不幸か、さんざん他メーカーと浮気し続けてきていたゲスな私とオリンパスの関係は、「OM-D」の誕生とともに復活していた。初代E-M5がデビューすると同時にヨリを戻していたのだ。OM-1Nは「写真を始めるため」に買い、E-M5は「仕事撮影で使うため」の導入ということで、青春真っ盛りのあの頃とはそもそもの関係性が異なっていたワケなのだけど、「こりゃ我が写真人生、けっきょくオリンパスに始まりオリンパスで終わることになりそうだねぇ」なんてことを半ばマジで思ったりしたものである。なぜなら、魅力あふれるPROレンズを買いそろえ、E-M1、E-M1 Mark IIをいずれも2台ずつ導入し、それぞれ進化のほどを体感しながら依頼仕事をこなすためのメーン機として使ってきているからだ。

だからこそ! オリンパスの今後が心配だ。気になる。いったいどうなるのか、と。映像事業の継続は明言されている。販売やサポートサービスは、これまでと変わらずに行われるということだ。まぁ、これは当然といえば当然の表明である。「オリンパスのカメラやレンズ」の“未来”を勝ち取るための今回の措置なのだろうから。「ちゃんとやります」「心配しないでください」のアピールは、されて当然のものなので、ひとまず額面通りに受け止めておくのが賢明だろう。

オリンパスの映像事業が譲渡される方向にあることが明らかにされて間もなく、レンズロードマップの更新が行われたのも安心材料提供のひとつだといえるだろう。併せ、デビューを心待ちにしていながらも実は個人的には密かに行く末に危惧感を抱いていた「M.ZUIKO DIGITAL ED 150-400mm F4.5 TC1.25× IS PRO」の開発に係る最新情報を知ることにもなった。さらに、OM-D E-M1Xのインテリジェント被写体認識AFに「鳥認識」を追加するファームの公開予定もあるという。いずれも、発売・公開は「今冬を目指している」ということで、ヤキモキしている身にはいささか待ち時間が長すぎる感なきにしもあらずなのだけど、まずはそこから、だ。正直、「オリンパス」のブランド名が残るだけでも御の字なのである。

  • OM-1(N)は、絞りとシャッタースピードを自分で設定して撮るフルマニュアル機。追針式の露出計表示を頼りに露出を合わせるのだけど、その行為は、結果的に絞りとシャッタースピードの概念を体得することや露出の勘を養うための糧になっていた。OM-1Nで始めて本当に良かったと思うゆえんである。そして、高校時代に撮った写真がこうして原稿料の元になっているのもOM-1Nのお・か・げ(笑)

前途が平坦であるとは考えにくい。成果を上げなければすぐに切られてしまうシビアな世界であることを想像する。ただ、それだけに、これまではスルーされていたような大胆な発想が一挙にカタチになってくる可能性も。今後の新製品には期待が大だ。「オリンパスに始まりオリンパスに終わる」なんてことを言ってしまった手前、個人的にもオリンパスの今後から目を離すわけにはいかないのである。

頑張れっ、オリンパス!