きょう13日に放送されるテレビ朝日系バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』(毎週土曜22:10~ ※一部地域除く)では、「惜しまれながら休刊した伝説の雑誌『egg』を復活させた奇跡のギャル」が登場する。
95年に創刊し、最盛期には発行部数50万部を誇った伝説のギャル雑誌『egg』。ギャルたちの圧倒的な支持を得て様々な流行を生み出したものの、ギャルブームが下火になった14年、廃刊になっていた。
ところが昨年5月、再び雑誌して復活。1週間で完売するほどの人気を博すことになった。まさに“ギャル文化復興”ともいえるこの状況の仕掛け人こそ、今回の激レアさん・ヒトミさんだ。
ヒトミさんは23歳という自身も“ギャル世代”。いまでは雑誌の復活にとどまらず、『egg』誌面を制作する会社の社長を務めている。
埼玉県生まれのヒトミさんは、幼い頃からかわいく目立ちたいという意識が強く、当時テレビで流行っていたギャルファッションを取り入れ、小学4年生の頃には全身ギャルファッションで決めるように。
校内で派手な女子たちとギャル集団を結成し、卒業式では“ギャル活”の集大成として、結婚会の2次会で着るようなドレスで出席。当然、『egg』も愛読し、いつしか「極めるしかない! 人生かけてギャル道を」と誓うほどだった。
高校も『egg』の誌面で紹介されていた、埼玉で一番ギャルの多い学校に進学。ところがその高校で、自分が一番ギャル度が高いと分かり、いよいよ“ギャルの聖地”渋谷に進出する。
渋谷ではギャルとギャル男たちが集まるサークル「ギャルサー」に入り、ヒトミさんはギャルライフを満喫。一方でいろいろなトラブルが重なり、つらい状況に置かれてしまう。さらに、追い打ちをかけるように『egg』が休刊。18歳にして人生のどん底に突き落とされた。
ところが捨てる神あれば拾う神あり。ギャルサー時代の仲間に声をかけまくった結果、元ギャルとギャル男が社員の大半を占める広告代理店に就職。さらに会社に、『egg』をネットで復活させるプロジェクトが舞い込んできたのだ。「私の生きる道は、やっぱりギャルだ!」と担当を志願し、内心では「ネット版eggのファンを増やし、雑誌版を絶対復活させたい!」とさらなる野望を抱いた。
令和のいまだからこそのやり方を駆使し、ネット版eggをギャルたちの間で浸透させ、ついに雑誌版復活にまでたどり着いたヒトミさん。ネットコンテンツも雑誌制作もまったくノウハウがなかったものの、常識にとらわれず、さらにギャルサー時代の絆をフル活用して、見事一大プロジェクトを成し遂げた。そんな凄腕ギャル・ヒトミさんの奮闘記とは…。