その時代時代のマンガのトレンドには、多くの人々が抱える悩みや望み、つくり手の環境の変化などが反映されていて、自分の気分にピタッとはまる作品と出会えたりもする。そこで、約50年のマンガ歴を誇る編集者・土方隆さんに、昨今のマンガの傾向とおすすめ作品について聞いてみた。

「ここではないどこか」を求める異世界ムーブメント

「ここ数年のトレンドといえば、まずは異世界ものでしょう」と、土方さん。現世ではない別の世界に転生したり召喚されたりするもので、多くは魔法が使えたり、妖精が存在したりする、いわゆるファンタジーの世界が舞台となっている。

「ファンタジー世界が利用されるようになった背景には、ゲームの普及があります。昔は異世界ものとなると、読者にイチから世界観を説明する必要がありましたが、今やゲームのおかげで説明不要。『ファイヤー!』と言えば火の魔法が使え、『ステータスオープン』と言えば自分の実力を可視化できることを、皆知っている。おかげで、作者は面倒臭い説明抜きで、楽しいところから書き始められます。読者にとっても読みやすく、人気作品が数多く誕生するようになりました」

しかし、なぜ転生や召喚によって、現世と違う世界を生きる物語が人気なのか。土方さんの分析によると、そのキーワードは「本当の自分」。つまり、「ここではないどこか」で生きる自分に思いを馳せるくらい、現実社会に夢や希望を抱くことが難しくなっているからなのだとか。

「リーマンショック、東日本大震災など、ここ20年ほどは社会的に暗いニュースが続き、『ヒャッホー』なんて浮かれ気分になる出来事はありませんでした。高度成長期のような社会の成功体験がほとんどなくて、1ランク上の自分を無邪気に夢見られる時代ではなくなってしまった。就職難が続き、ニートやひきこもりが増えていく中、もう一度巻き直しを図りたい、現実では難しくても異世界なら巻き直せる。そうした思いがブームの背景にはある気がします」

実は、「本当の自分」というのは、エンターテインメントにおける普遍的なテーマ。昔ながらの「メガネを外したら美形」「学園のアイドルが自分に夢中」も、その一例だ。「こうだったら」という「if」は創作の原動力であり、そこから生まれた物語は誰が読んでも面白い。思う存分「異世界の自分」を楽しんで、現世を生き抜く力をチャージすればいいのだ。

  • 『無職転生~異世界行ったら本気だす~』1~12巻 マンガ/フジカワ ユカ 原作/理不尽な孫の手 キャラクター原案/シロタカ 出版社/KADOKAWA 本体552~630円+税※電子版は価格が異なる場合があります。 異世界転生ものの先駆け的作品。無職ニートのまま命を落とした現世への後悔を糧に、異世界で着実に成長していく主人公の姿に共感し、あこがれる。 ©Yuka Fujikawa, Rifujin na Magonote 2020

  • 『聖女の魔力は万能です』1~4巻 マンガ/藤小豆 原作/橘由華 キャラクター原案/珠梨やすゆき 出版社/KADOKAWA 本体600~630円+税※電子版は価格が異なる場合があります。 地味なOLが異世界から召喚されることで始まる物語。主人公は異世界でもちゃんと就職し、恋愛要素もある。ドロドロとした展開がないため、男性でも読みやすい。 ©Fujiazuki 2020 ©Yuka Tachibana , Yasuyuki Syuri 2020

戦わなくても、半径2mの世界で人は幸せになれる

異世界ものが人気な一方で、自分の真横の席、もしくは前の席の子くらいしか出てこないような、ごく狭い世界で展開するマンガが増えてきたのも、ここ10年くらいの傾向だ。そこではドラマチックなことは特に起こらず、ある意味、地味な日常が続いていく。

「スポーツが上手くなくてもいい、世界を制覇しなくてもいい、幸せは隣にある。そういうマンガがすごく増えましたね。言ってみれば、読者自身の日常に幸せが降りてきた状態の物語。そういう意味では、この種の作品に人気が出てきた理由は、『ここではない自分』を求める異世界ムーブメントと同じだと思います。隣に幸せがないから転生するのであって、隣に幸せがあれば転生なんてしなくていいわけです」

従来、マンガにはキャラクターの成長や目標達成というストーリーの縦軸があった。しかし、現代は縦軸のないまま進む作品、何かを達成したら終わりではない作品が珍しくない。狭い世界の物語は間違いなくこのタイプだ。その背景には、競争しなくてもいい社会、肩肘張らなくても生きていける社会になったという時代の変化がある。

「要は、『世界と戦わなくても人は生きていける』。そのことに皆、気付いてしまったんです。もちろん、戦って覇者となるのは楽しい。でも、好きな子とただイチャイチャするのも同じように楽しい。どちらも比べようがなく、その幸せに優劣なんてありません」

広い世界と狭い世界、戦う世界と戦わない世界。多様な価値観を容認する時代は、幸せを感じるマンガのバリエーションも増やしてくれた。仕事で心身ともに疲れた夜は、狭い日常世界の幸せにほっとして眠りにつくのもいいかもしれない。

  • 『からかい上手の高木さん』1~13巻 著者/山本崇一朗 出版社/小学館 本体591円+税※電子版は価格が異なります。 主人公「西片」と、彼にやたらちょっかいをかけてくる隣席の「高木さん」。毎回ほぼ2人のやりとりだけで展開するラブコメディ。 ©山本崇一朗/小学館

  • 『宇崎ちゃんは遊びたい!』1~4巻 著者/丈 出版社/KADOKAWA 本体620~660円+税※電子版は価格が異なる場合があります。 1人が好きな大学3年生、桜井真一。しかし、可愛くもウザい後輩「宇崎ちゃん」が毎回絡んでは彼のペースをかき乱していくドタバタラブコメ。 ©Take 2020

作者発ならではのWEBマンガの突き抜け感

作品の表現やテーマではなく、発表方法のトレンドとして挙げられるのが、作者自身がWEBで発信するスタイルだ。異世界ものの流行の発端も、実は「小説家になろう」という小説投稿サイト。プロ・アマ関係なく、誰もが自由に小説をアップでき、無料で閲覧できるこのサイトからは多くの作品が書籍化され、高い人気を獲得している。異世界ムーブメントで紹介した2冊も、同サイトに掲載されていた小説が原作だ。

「作者がWEBで発表していたものを出版社が書籍化したり、連載したりする流れは、マンガでも起こっています。『宇崎ちゃんは遊びたい!』も、もともとはSNSで発表されていた作品。昔から同人誌というものはありましたが、簡単に世界発信できるWEBメディアの登場はマンガの可能性を広げています」

昔は、作品を広く世の中の人に読んでもらうには、デビューして出版社から発表するくらいしか方法がなかった。しかし、WEBなら自分の描きたいものを自由に描いて発表でき、あっという間に何万という人に読んでもらえる可能性がある。作者にとっても、読者にとってもマンガと出会うチャンスが増えた。

「編集者や出版社のフィルターを通さない分、ある種の制限のない面白さ、突き抜け感のある作品が生まれています。今までの出版文化からは決して出てこなかった作品。僕は高校生くらいの頃から、『新しい表現もテーマも、もうマンガにはないんじゃないか』と何度も思ってきたんですよ。でも、その都度こうやって必ず新しいものが登場してくる。だから、僕はいつまでたってもマンガから離れられないし、いつまでたってもマンガが大好きなんです」

  • 『異世界おじさん』1~4巻 著者/殆ど死んでいる 出版社/KADOKAWA 本体600~630円+税※電子版は価格が異なる場合があります 17年間の昏睡状態から目覚めたおじさんは、異世界からの帰還者だった。甥っ子たかふみと共同生活を始めたおじさんが語る、新感覚異世界&異文化コメディ! ©Hotondoshindeiru 2020

  • 『王様ランキング』1~7巻 著者/十日草輔 出版社/KADOKAWA 本体650~690円+税※電子版は価格が異なる場合があります。 耳が聞こえず、言葉も喋れない王子ボッジ。「カゲ」という友人ができたことで、人生を前向きに歩み始めるボッジの姿に元気をもらえる作品。 ©Sousuke Toka 2020