長いようで短い、短いようで長い10年間。将棋界の10年前の出来事を振り返ります。
皆さんは10年前、何をしていましたか?10年も経つと意外と思い出せないことも多いのではないのでしょうか。それほど世界は変化しているということですね。将棋界も10年も経つと色々と変化しています。では10年前の将棋界はどんなことがあったのでしょうか。『将棋年鑑2011 棋士名鑑アンケート』の「2010年度の印象に残った将棋界の出来事」から回答を一部ご紹介し、振り返っていきます。(以下カッコ内敬称・肩書略)
公益法人になったこと(羽生善治)
公益社団法人への移行(田中寅彦)
公益社団法人への移行(脇謙二)
ほか
公益法人制度改革が行われ、日本将棋連盟は社団法人から公益社団法人へ移行しました。将棋の振興、発展を目指すという位置付けがより明確になる、大切な出来事でした。
広瀬王位の誕生(谷川浩司)
広瀬新王位(佐藤康光)
広瀬新王位の誕生(北浜健介)
ほか
広瀬彰人八段がタイトル戦初登場で3連覇中の深浦康市九段を4-2で下し、当時の最年少タイトルホルダーとなりました。当時は広瀬八段が四間飛車穴熊を多用していました。
久保二冠の活躍(森雞二)
久保二冠の活躍(福崎文吾)
久保さんのダブル防衛(中村修)
ほか
久保利明九段はこの年度、棋王・王将をどちらも防衛する大活躍を見せました。いずれも番勝負を1~3月付近で行うので、ハードなスケジュールでしたが、見事に防衛成功となりました。
一度将棋が始まると、決着が付くまで指し続けなければならないことを再認識させられた3月11日の大震災の日の対局(三浦弘行)
大震災で対局中断(日浦市郎)
3月11日の対局(鈴木大介)
2010年度の一番記憶に残っている出来事は東日本大震災ではないでしょうか。東京の将棋会館では、地震発生により中断しましたが午後6時から対局を再開しました。
リコー杯女流王座戦誕生(広瀬章人)
渉外担当として女流王座が新設されたこと(青野照市)
リコー杯女流王座戦は当時としては優勝賞金が女流棋戦最高額となる500万円で新設されたタイトル戦です。女性であれば誰でも出場できる完全なオープン戦で、第1期を制したのは当時奨励会員だった加藤桃子奨励会1級でした。
豊島六段の王将挑戦(糸谷哲郎)
豊島先生のタイトル挑戦(佐々木勇気)
豊島将之竜王・名人は10年前が20歳でタイトル初登場を果たしました。2018年に棋聖戦を勝利してタイトル初獲得となり、今では竜王・名人の棋界2大タイトルをどちらも保持しています。
あから 2010(中川大輔)
清水女流対コンピュータ(北島忠雄)
2010年清水市代女流七段が東京大学でコンピュータ将棋「あから」と対局しました。結果はあからの勝利で、当時からすでにコンピュータ将棋が大きな存在であったことが窺い知れます。
私的に言えば弟子2人が四段になったこと(石田和雄)
佐々木勇気七段、門倉啓太五段の2人の弟子が同年度内に昇段を決めています。年度に4人しか昇段できない中で異例の出来事ではないでしょうか。
自分の降級(木村一基)
2019年度、念願の初タイトルであるの王位を獲得した木村王位は、同時に順位戦A級から陥落してしまいました。10年前も朝日杯優勝で全棋士参加棋戦を初優勝するも、A級から降級しています。
モバイルネット中継が始まったこと(岡崎洋)
ほか
渡辺明竜王の竜王位七連覇(所司和晴)
渡辺三冠は当時竜王位を7連覇し、今では永世竜王資格を保持しています。師匠の所司七段も鼻が高いですね。
紳哉君の髪がまた薄くなった(西尾明)
以上、10年前の将棋界の出来事でした。遡ってみると懐かしいこと、知らなかったことがあって面白いですね。