1日放送のTBS系バラエティ番組『ぴったんこカン・カン』(毎週金曜20:00~)で、新型コロナウイルスによる肺炎で4月23日に亡くなった女優の岡江久美子さんを偲び、2011年11月18日放送回でゲスト出演した映像を特別編集して放送。番組終盤で、同局朝の情報番組『はなまるマーケット』で岡江さんとともに司会を務めた薬丸裕英が、岡江さんへの思いをつづった手紙を涙ながらに読み上げた。
薬丸は「毎年、お誕生日の時にお手紙を書いておりましたが、残念ながらこの手紙が、岡江さんに書く最後の手紙となるかもしれません」と語り出し、「レギュラー番組の生放送の本番直前でした。岡江さんの訃報を楽屋のテレビで見て、一瞬、時間が止まり、震えが止まりませんでした。その後、経過した時間を覚えていませんし、思い出すこともできないほどの衝撃でした。あの日から毎日、岡江さんのことを考えない日はありません」と告白。
「1996年9月30日、岡江さんと私の朝は変わりました。毎朝、お嬢さんのお弁当を作ってから局入りして、はなまるの生放送をマイペースで終えると、すぐに衣装を着替えメイクを落とし、帰宅して掃除や洗濯、買い物や料理、すべてをこなす完璧な主婦。ゆっくりしているのがとにかく苦手、せっかちでどこにでも歩いて行ってしまう、回遊魚のようなスーパー主婦。常にアンテナを張っていて、すべての情報を洗濯物のように取り込み、本番での失敗や日常の悩みも、次の日には持ち越さないよう、心の掃除も忘れない満点主婦。時々こぼす愚痴や不満もすべてユーモアに変えてしまう才能の持ち主でした」と岡江さんの人柄を伝えた。
そして、「きびきびしていて細かいことは気にしない岡江さんと、男のくせに慎重派で細かいことを気にする私。オバサンのようなオジサンと、オジサンのようなオバサン…そんな不思議なコンビが視聴者の方々に支えられて17年半も番組を続けることができました。番組終了後もお食事やゴルフ、はなまるスタッフとの食事会など、楽しい時間を一緒に過ごさせていただきました」としみじみ。
「その中でも一番の思い出は、岡江さんの還暦パーティーです。岡江さんには内緒で美帆さん、お孫さんと企画したサプライズ誕生日会。岡江さん喜んでくださいましたよね。私が用意した赤いバーキンのプレゼントケーキを見た時の驚きの表情とあの笑顔、今でも脳裏に焼き付いています」と振り返り、「あれからたったの3年です。もう、あの岡江さんの笑顔を見ることができないなんて悲しすぎます」と涙ぐんだ。
さらに、「岡江さんが荼毘に付されると連絡があり、その時刻に青空を見上げ手を合わせました。最後にお顔を見ることもできず、お見送りすることも許されないこんなお別れは辛すぎます。今でも信じられないし、信じたくないから、さよならは告げません」と述べ、「末筆になりますが、私からのお願いです。はなまるマーケットの岡江さんは我々共演者やスタッフにとって太陽のような存在でした。だから、これからもずっと天国からみんなのことを照らし続けてください。お願いします」とメッセージ。「はなまるマーケットという素敵な番組で岡江さんとご一緒できたことを心より感謝しています。本当にありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。
岡江さんと薬丸は1996年から17年半にわたって『はなまるマーケット』で司会を担当。この日は、当時『はなまるマーケット』が15周年を迎え、岡江さんと薬丸がゲストとして『ぴったんこカン・カン』に出演したときの映像を放送した。