フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、きょう22日に放送される『就職先はさる軍団 ~師匠と弟子と新入社員~』。撮影したのは、“太郎次郎”のコンビで一世を風靡し、現在は「日光さる軍団」を運営する猿まわし師・村崎太郎を30年以上にわたって追い続けてきた、共同テレビの永山真治カメラマンだ。

今回の番組は、松本穂香のナレーションで「日光さる軍団」の新入社員たちに寄り添いながら、働き方改革に揺れる伝統芸能の姿を描いているが、長年、村崎を見続けてきた永山氏にはどう映ったのか。村崎との出会いから猿まわしの魅力や進化などを含め、話を聞いた――。

※…村崎の「崎」は正しくは「立つ崎」

  • 村崎太郎(中央)と永山真治カメラマン=92年、ニューヨークにて(永山氏提供)

    村崎太郎(中央)と永山真治カメラマン(右)=92年、ニューヨークにて(永山氏提供)

■がむしゃらに追いかけてきた

永山氏と村崎の出会いは、1988年。フジテレビの報道カメラマンをやっていた永山氏は、学生時代に立花隆氏著『青春漂流』で村崎が取り上げられていたのを思い出し、カメラマンも対象に行われていた企画募集で「太郎さんを撮りたいという企画書を出したんです。それが通ったので取材することになったのが、すべてのスタートですね」と振り返る。

放送されたのは、夕方のニュース番組『スーパータイム』のコーナー。当時『笑っていいとも!』にも出演し、人気者になっていた村崎のもとにやってきた新人の弟子の奮闘記を描いた。偶然にも、今回の『ザ・ノンフィクション』のテーマと重なる。

反響は大きく、視聴率も良かったため、引き続き取材をしていくことになり、『スーパータイム』での放送を重ねた後、1つの番組として独立。相方である2代目次郎との出会いから襲名までを追った『優猿・ジロー物語』(90年、フジ)では、日本テレビ技術賞の奨励賞を受賞し、その後も「猿まわし五人衆」での文化庁芸術祭の大賞受賞、ニューヨーク公演、中国公演と、村崎が新たな挑戦に向かうたびに、取材を続けていった。

「太郎さんは常に動いて、いろんなものを作り上げていくんです。そこにがむしゃらになってカメラを向けて取材してたら、あっという間に30年以上経っちゃったという感じですね」

■俊敏な動きに対応する熟練の業

今回の放送でも垣間見える厳しい熱血指導は、サルに対しても30年前から変わらないという。だが、「その何十倍も時間をかけて愛情を注いでるんです。サルは人間の感情がとても伝わる動物なので、初代の次郎くんは太郎さんに褒められたとき、喜ぶ姿がものすごくうれしそうだったんですよ。喉を鳴らして、人間の高さまで飛び上がって大喜びするんです」と目を細める。

サルにかけるお金はとにかく惜しまず、エサひとつとっても新鮮なものにこだわっているそう。「力でねじ伏せると、サルはいつか力で反抗してきます。そうなると相手は猛獣ですから、人間は負けちゃうんですよ。だから、愛情で絆を保ってるんですよね。それが、猿まわしを見ていて一番好きな部分なので、ずっと取材してるというところはありますね」と、その魅力を教えてくれた。

素早く動くサルを撮影するのは、相当難しいと思われるが、「芸を見せるときは、人間とサルの位置が全部細かく決まってるんです。それが分かっていると野球と一緒で、サードゴロをセカンドでフォースアウトにするのか、ファーストに投げるのかというように、どこに動くのかが把握できてカメラが待っていられる。長くやってると芸の流れが分かってくるので、撮るのが楽になってきますね」と熟練の技が光る。

興奮したサルに襲われたことは一度もないといい、「調教師がいると絶対に人に襲いかかることはないです。気性の荒い子とか、触られるのが嫌いな子とかはいますけどね」と、信頼を寄せて撮影に臨んでいるそう。

また、「ちっちゃな子ザルはカメラに興味を示してレンズを覗き込んできたりしますが、大きなサルになると落ち着いてくるので、『何撮ってんだよ!』っていう感じが伝わってきます(笑)。死んでしまった(ゆりありくの)りく君なんかは『OK』とか『カット』という言葉が分かってるので、『OK』と言った瞬間にその場で姿勢を崩したりするんです。本当に頭がいいですよね」と感心した。

  • 永山カメラマン

■画期的だった“おむつ”

今回の放送では、村崎が社員の食事会で酔っ払い、いきなり始まる“大演説”に新入社員たちが戸惑う姿もあるが、「僕も太郎さんも知り合った頃は20代で、ああいうおじさんは嫌だったんですけど、いつの間に自分たちがそうなってしまったんだなという気はしますね(笑)」と苦笑い。だが、その言葉には確かな熱いものがある。

「その熱さは尋常じゃないんですよ。太郎さんは常に『これでいいんだ』って終わることがなく、ずっと新しいことを追い求めてるんです。我々のほうが『伝統芸能はこうあるべきじゃないんですか?』とイメージを持っていたら、太郎さんが『そんなの関係ないんだ』と崩していくようなところがあります」

その一例が、サルに履かせる“おむつ”。サルは生理的な事情でトイレのしつけができず、ふん尿が垂れ流しになってしまうため、芸を披露できる場所が限られてしまっていた。しかし、どうしても本格的な劇場のステージに立ちたいという強い思いがあった村崎は、おむつを履かせることで、この問題を解消したのだ。

簡単な解決法に見えるが、当時は、法被を着ることさえ嫌がるサルが、おむつを履くことなどあり得ないと思われていたのだそう。その常識を打ち破り、おむつが履けるようになったことで、仕事の幅が一気に広がっただけでなく、衣装のバラエティも格段に増えて進化を遂げた。