ロンドン五輪ボクシングミドル級金メダリストで現在プロボクサーとして活躍する村田諒太選手と、リオデジャネイロ五輪カヌースラロームカナディアンシングル銅メダリストで東京五輪の出場も内定している羽根田卓也選手。五輪や世界選手権のような大舞台で実力を十二分に発揮できた理由は、世の中の多くのビジネスパーソンにとっても役立つ可能性をおおいに秘めている。

そこで今回、今なお第一線で活躍を続ける2人の五輪メダリストによる「夢の対談」を実施。大舞台で実力を発揮する秘訣や今後のキャリアに関する考え方などを余すことなく語ってもらった。

  • プロボクサー・村田諒太選手(左)とカヌー・羽根田卓也選手

――五輪メダリストであるお2人ですが、五輪のような晴れの舞台で実力を発揮するためにはどのようなことが必要でしょうか

村田 ロンドン五輪のときは、「アマチュアボクシングにおけるメダルは44年ぶり」とか「もしも金メダルならば48年ぶり」みたいな数字の期待があって、それがプレッシャーでオーバーワークだったように思うんですよ。「金メダルを獲るためには今のままじゃダメなんだ」という否定的な感情からフォームを変えたりいろいろなことを試したりしていたんですが、それがパフォーマンスとして良くなかったんです。

そういう意味では変えない勇気が大事なのではないでしょうか。ありのままで五輪に臨む勇気って必要なんじゃないかと思いますね。不器用なボクシングをやって、むしろその不器用さがかっこよく映ったりするんだと思います。

羽根田 カヌーという競技はあまり注目されていた競技ではなくて、リオ五輪までは正直なところ期待されるとかもあまりなかったんです。でも、東京五輪もありますし、村田選手もおっしゃっていた具体的な数字を期待されたり、大勢の人の目もあったりするので、リオ五輪の後に新しいことにチャレンジして失敗したこともありました。今は、自分の貫くべきスタイル、持ち味を生かすことができていて、いいカヌーができていると思います。

――「変えない勇気」や「貫くべきスタイル」というように、今までのご自身のスタンスを信じてぶれずにやることが大切だということですね。では、ご自身のパフォーマンスのピークを五輪や世界選手権などの大きな試合に合わせるためにどのような工夫をされているのでしょうか

村田 調整は年を重ねてきて、だいぶうまくなってきましたね。最近の2~3試合はすごくうまくいっている気がします。やっとここに来て、自分のスタイルというか、自分のボクシングがどういうものかわかってきたのであまり迷いもなくなりました。

大会時や試合前などは焦りもあるかもしれませんが、焦ってもしょうがないんですよ。室伏広治さんの著書に書かれていたことなんですが、アスリートって頑張ることは簡単にできるんです。ただ、自分より大きな筋肉の選手とかを見て焦ってしまって、頑張りすぎてしまうことで自分のコンディションを崩してしまうんです。そういう焦る気持ちをコントロールできるようになってきたのは大きいと思います。

  • 調整においては「焦る気持ちをコントロールすること」が重要だと話す村田選手

羽根田 自身のピークを試合に持ってくるのはとても難しいです。それでも自分が大切にしているのは、ライバルの存在などに気をとられることなく、あくまで自分の大目標に向かって日々のトレーニングや過ごし方を組み立てていくことですね。今日すべきこと、明日すべきこと、数カ月先のゴールに向かって組み立ててあったプランを全うしていくことが大切。トラブルがあったとしても、ポジティブに一つ一つすべきことをこなして行動していくことが勝因になっていくと思います。

――おふたりの場合、五輪でのメダルを獲得したことで一気にご自身の世界が変わったと思いますが、アスリートとしてのキャリアの中で大きな転機になったのはいつでしょうか?

村田 2011年に世界選手権に出場したんですが、そのときに2回戦で世界選手権を2連覇している相手と戦ったんです。当時の僕は国際大会で成績を残している選手ではなかったので、周囲は当然「負けるだろう」と思っていた。同期の清水聡選手(ロンドン五輪の銅メダリスト)は、「明日の村田は顔から倒れるから」なんて、ふざけたこと言ってくれたりして(笑) そんな試合に勝ったことが一番大きかったですね。

努力はずっとしていたけど、努力がターニングポイントになるかと言えば、そうじゃないんです。努力の先に結果が出ることによって、自信を持つことができる。「これまでの努力が間違っていなかった」という気持ちになれるんです。そういう一番大きな成功体験が、世界選手権2連覇の選手に勝ったことですね。そこから完全に潮目が変わりました。世界選手権で銀メダルを獲って、五輪出場権を得ることができましたから。

羽根田 僕は高校3年生のとき、ジュニアとして最後に臨んだ国際大会ですね。そこですごく悔しい思いをしたと同時に「世界で戦っていけるかもしれない」という手ごたえも感じました。でも悔しい思いの方が大きくて、これからどう戦うかを考えて、国外に出ないといけないと思いました。このまま日本で練習するのではなく、ヨーロッパに出なければならないと考えたんです。あのときの決断が無ければ、今の自分はなかったと思いますね。

  • 高校3年生のときに出場した国際大会での悔しさと手ごたえが自身のキャリアにとって大きな転機となったという羽根田選手

――今、競技の場で大きな活躍をされていますが、競技生活を終えた後のセカンドキャリアについてはどのように考えていらっしゃいますか

村田 アスリートってよくセカンドキャリアを聞かれる気がするんですけど、「セカンドキャリア」という発想を僕は持っていないんですね。競技選手じゃない一般の方が仕事を変えるときって、転職と呼びますよね? アスリートもそうなんですよ。キャリアとしてはずっと続いているんです。

セカンドキャリアって、ともすれば余生のような感じにも聞こえるかもしれませんが、「人生百年時代」と言われる世の中で、アスリートである期間は明らかに短い。キャリアはその期間だけじゃないんです。だからこそ、その先を考えておくことはものすごく重要だけれど、分けて考えるのではなく、「1本の線」としてキャリアをとらえています。

でも、あまりにも遠い未来を予測したところで、その通りにはならないんです。数年前に東京五輪の話が出たとき、「自分はもうボクシングはやっていない」と思っていたけど、今はプロとしてキャリアを続けていますしね。こんな人生は想像していなかったです。だから、キャリアを作るってそんなに難しいことじゃなくて、目の前のことを一生懸命にやる。それがキャリアになっていくんだな、と思いますね。

羽根田 競技をやめた後のことって想像しにくいし、それに向けての準備っていうのもできないと思うんです。でも、試合や練習の合間の時間で本を読んだり勉強したりということは誰にでもできます。そこは妥協せずに、選手も学ぶべきだと思います。そのうえで、村田さんもおっしゃったように徹底した仕事をして、目の前のことをやって、今の自分の本分をやりきって、自分の姿勢を周りに評価してもらうことが大切だと思いますね。

――最後になりますが、東京五輪開催まで半年を切りました。競技観戦をより一層楽しむため、ボクシングとカヌー、それぞれの競技の見どころや観戦ポイントを教えてください

村田 五輪というのはとても大きな舞台で、そこで活躍できる選手というのは、縁がなければできないこと。そういう意味でドラマがあります。東京五輪に内定が決まりそうな選手の中にも非常にスタイリッシュなボクシングをする選手もいますし、それが結構イケメンだったりもしますんで、ぜひ 楽しんでもらいたいですね。スター選手の誕生を見届けてください。

羽根田 東京五輪というのは、日本人にとって誰でも挑戦できるものではなくて、巡りあわせのものです。母国での開催は選手にとって一生に一度の大会になると思うので、そこにかける意気込みや姿勢を目で見て感じとってもらえたらと思います。カヌー競技はすごく荒々しくてダイナミックな競技に見えるんですけど、本当に繊細な技術、水に対してのシビアなフィーリングなど、スリリングでテクニカルな部分がたくさんあるので、そこに注目していただけたらと思います。

  • 初対面にもかかわらず、対談を通じてすっかり意気投合した2人。今後の活躍にも要注目だ

村田諒太

1986年生まれ。奈良県奈良市出身。帝拳ボクシングジム所属のプロボクサー。2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得した後、2013年にプロに転向。2017年10月、日本人として竹原慎二氏以来2人目となるミドル級世界王者となった。

羽根田卓也

1987年生まれ。愛知県豊田市出身。高校卒業と同時にスロバキアに渡り、現地の大学に拠点を置いて強化を図る。北京五輪14位、ロンドン五輪7位入賞という結果を経て、リオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲得。アジア初のカヌー競技のメダリストとなった。