長谷川博己主演のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)がきょう19日にスタートする。本作の脚本を手掛けたのは、『太平記』(91)以来、約30年ぶりに大河ドラマを手掛けた大御所、池端俊策氏だ。智将・明智光秀にスポットを当てて人気の高い戦国時代の前半を描くが、歴史に名を馳せる英傑たちを新たな解釈で描くという点が実に興味深い。
明智光秀をはじめ、織田信長、斎藤道三、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康など、天下取りを目指す侍たちが群雄割拠したこの時代。彼らの輝ける表舞台だけではなく、暗部も丁寧にすくい上げていくドラマチックな歴史絵巻となりそうだ。大河ドラマとしては初めて4Kでフル撮影をすることでも話題となっている。
放送を前に池端氏にインタビューし、明智光秀を主人公にした経緯や、光秀ら登場人物の描き方、また主演の長谷川の魅力などについて話を聞いた。
■新たな明智光秀を主人公にした経緯
──これまでにない明智光秀像を描こうと思われたきっかけから聞かせてください。
まずは、「戦国時代をやってほしい」というオファーをいただいたので、僕は「戦国時代の前史をやりたい」と言いました。以前に(室町幕府初代将軍の)足利尊氏を主人公にした『太平記』を書いたので、室町幕府の終わりを描いてみたいとかねがね思っていました。室町幕府最後の将軍、足利義昭と関係性が深いのが織田信長で、そこから明智光秀へといきました。信長と義昭をつなげたのが光秀だという説もあります。
──逆賊として描かれることが多い明智光秀ですが、池端先生はどんな印象を持っていたのですか?
子どものころ、松本白鳳さんが明智光秀を演じた『敵は本能寺にあり』(60)を観た時、非常に暗い感じがしたけど、光秀がとてもいい人だったという印象を受けました。のちにいろんな本を読むと、あまり良くは描かれていない光秀ですが、僕のなかではその映画の印象が強くて。また、もともとひねくれ者の僕は、裏街道を行く人たちが大好きで、そういう人たちをずいぶん描いてきました。光秀もそうで、戦国時代における本能寺の変は、あの時代では一番大きな事件だったし、それをやった張本人なので、面白いと思いました。
■資料がない“若き日の光秀”の描き方
――若い頃の明智光秀にまつわる資料はあまり残っていないそうですが、どんなふうに書いていったのでしょうか?
光秀が資料に登場するのは41歳の頃で、そこまでは全くわからず、研究者がいろいろ推測したものしかありません。もちろん脚本を書くうえで、その研究結果は踏まえますが、ドラマは作るものであり、研究成果の発表の場ではない。そこで、光秀が生まれてから41歳まで何をしていたのかを考えるところから出発しました。ある意味、自由に書けますが、周りの状況ははっきりしている。光秀と同時代を生きた織田信長や斎藤道三などは、しっかりした資料が残っているので、彼らと光秀の関係を描いていきました。
――現存の資料には、どういう光秀像が描かれているのでしょうか?
江戸時代に書かれた光秀像は、陰湿で頭はいいけど、繊細すぎて、信長と反りが合わずにいじめられ、最後に本能寺の変を起こすとあります。「信長公記」は信長側にいた人物が書いているので、そこはあくまでも信長側の見方です。また、江戸時代に書かれたものは、家康寄りで書かれた光秀となっていて、彼が逆賊だったという発想からスターしていますが、それは違うんじゃないかと。もっと客観的な光秀がいたはずだと僕は思ったので、そういう今までの光秀像を全く白紙に戻して書いていきました。
――池端先生は、光秀がどういう性格の人だったと思いますか?
ただ頭が良くて猜疑心が強い、というかつての光秀のイメージを全部ぬぐいさって書いています。人間はいいところも悪いとこもあるけど、光秀はそれを複眼的に見る力がある人だったと思います。信長とつながっていった人たちはみんな「この人はイケる」と判断を下した人たちばかり。光秀も、人を見る目があったのではないかと。
また娘に珠(三女、細川ガラシャ)がいますが、妻の煕子という人もいろいろな伝説が残っています。そこから光秀との夫婦仲は非常に良かったんだろうという予測がつくので、やはり光秀も優しい人だったのかなと思います。また、信長と光秀の関係が軸の物語ですが、光秀だけではなく信長もナイーブで優しいところがあったのではないかと。
――ナイーブな信長像というのがとても新鮮です。
信長は戦国時代のスーパーヒーローですが、弟殺しをしたことで知られています。母親は弟を大事に育てていたから、信長が戦う相手として弟の信勝が出てきます。信長が信勝を殺そうとした時、母親が命乞いをしたという記録も残っていますから、やはり信長は母親に愛されなかった男だったかと。つまりマザーコンプレックスが強くて、その裏返しとして異端児のようにふるまった不良少年だけど、気持ちはとても繊細な人だったと思います。そして、そこに帰蝶がやってくるんです。
――信長と光秀、帰蝶との関係性はどう描かれていくのでしょうか?
帰蝶は斎藤道三の娘ですが、出戻りになった後で嫁いだのが信長でした。道三に嫁いだ正妻が、光秀のおばという説があるので、帰蝶は光秀の従姉妹にあたります。昔なので、帰蝶が14~15歳でお嫁に行って、相手の信長も10代だから、光秀は2人を見守る感じもあったのかなと。自分が子どもの頃から知っている帰蝶がお世話になるわけですから、帰蝶を通じて信長を見ている点もあったのかなと。
■長谷川博己に太鼓判「光秀役のためにいる人だ」
――池端先生は、撮影現場に行かれたりしましたか?
脚本の執筆に忙しくてそんなに行けていませんが、セットでの撮影にはお邪魔しました。長谷川博己さんは、僕の書いた『夏目漱石の妻』(16)で夏目漱石役を演じられているのを見て、とても素敵な俳優さんだと思いました。非常に繊細で誠実で、優しさがあるけど、どこか殺気みたいなものがある人だと感じ、その印象が光秀と簡単につながりました。
従来の光秀のイメージから見ても、多くの人がぴったりだとおっしゃいますが、僕は暗い光秀というよりは、透明感があり、当時の英傑たちを洞察しつつ、一気に躍り出た人という意味でそう思いました。
――確かに長谷川さんは、透明感がありますね。
光秀は、41歳からの10数年で有名になった人で、一時期は信長の家臣のナンバー1となり、豊臣秀吉のライバルだった人です。やはり勢いや殺気、緊張感に満ちた生き方をした人ですが、透明感もあったのではないかと。
長谷川さんも繊細に周りを見回している印象を受けました。撮影を見ていても、道三(本木雅弘)はどんどん攻め込んでいく役だし、信長(染谷将太)もアクティブな役柄で、光秀は一見、受け身のように見えます。でも、長谷川さんが演じると、必ず受け身のなかで、何かを返していく。特に最初はツッコミの道三と、受け身の光秀で、芝居が成立していくんです。非常にバランスが良くて、「この人は光秀役のためにいる人だ」とまで思いました(笑)。
――池端さんが『太平記』を書かれた頃に比べると時代も視聴者も変わったと思いますが、そのへんは意識して執筆されていますか?
僕自身は変わらないし、変わっちゃいけないとも思っています。自分を変えて何か長いものを書き通すこと自体が不可能ですし。ただ、『太平記』を書いた頃からずいぶん時間が経ち、視聴者の受け止め方が以前と違うとは思っています。
以前は多少わかりにくくても許されたけど、今はきちんとわかるように作らないと受け入れられない時代なのかなと。活字にあまり接しなくなり、今は映像から何かを受け止めるということで、言葉に頼れない。画や展開にある程度、軸足を置いて作ることは意識しています。僕はずっと「わかりづらい。小難しい」と言われ続けてきて、それでもいいやと思ってやってきたところもありますが、今回は、ある程度はわかりやすいものを書こうと心掛けているつもりです。
池端俊策(いけはた・しゅんさく)
1946年1月7日生まれ、広島県出身の脚本家。明治大学卒業後、竜の子プロダクションを経て、今村昌平監督の脚本助手となる。映画『復讐するは我にあり』(79)『楢山節考』(83)などの脚本に携わる。代表作は大河ドラマ『太平記』(91)のほか、『羽田浦地図』(84)『イエスの方舟』(85)『聖徳太子』(01)『夏目漱石の妻』(16)など。2009年に紫綬褒章を受章
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