日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’20』(毎週日曜24:55~)では、阪神・淡路大震災で母を失った男性と母子寮職員との再会を追った『おうち~神戸母子寮が紡いだ家族の絆~』を19日に放送する。
きょう17日、阪神・淡路大震災の発生25年を迎えた。子を失った人、親を失った人…震災は多くの人々の人生を変えたが、神戸市兵庫区にあった「神戸母子寮」に身を寄せた人々もその例外ではなかった。夫の暴力や経済苦など、様々な問題を抱える母子の駆け込み寺だった母子寮は震災で全壊、職員と母子のあわせて5人が亡くなった。
震災当時5歳だった鈴木佑一さん(30)は、兄と母の富代さんとの3人で暮らしていて、共にがれきの下敷きとなり、富代さんを失った。別居していた父親は、兄だけを引き取り、佑一さんは児童養護施設に入る。最初は父親や兄が迎えに来てくれることを期待していたが、父親は佑一さんを連れて行こうとはしなかった。
次第に“家族”に期待することをやめた佑一さん。1人で生きていくと決め、奨学金を利用して大学院まで進み、勉強とアルバイトに明け暮れる。そんな中、突然、児童養護施設の理事長から父親の死を知らされた。これをきっかけに、佑一さんは、一度自分の中で断ち切った家族についてもっと知りたいと思い始める。
調べていく中で、人づてに、母の形見のマフラーと腕時計を受け取った。「いつも膝の上に抱っこしてかわいがってくれていた」「私にはこの子がいるから大丈夫」。形見に添えられていた手紙からは、自分が知らない母の姿を感じることができた。
そんな佑一さんは、背中に自分と家族の文字を1文字ずつとったタトゥーを入れている。「お墓も何もないけど、背中では一緒になれる」。今では、日本の食品の輸出などを行う会社を経営するが、背中の家族がそっと支えてくれているのだ。
母子寮の指導員だった岡本由美さん(72)は、母子寮の「お母さん役」として、震災後も母子を支え、母子寮の再建に力を尽くした。そんな岡本さんが、震災後からずっと気にかけていたのが、佑一さんだった。
実は、佑一さんを児童養護施設に入れる手続きを進めたのは岡本さん。父と子を引き離さざるを得なかった事情があったのだ。それは苦渋の決断だったという。
岡本さんは、成長した佑一さんにどうしても会いたいと、2019年1月17日の5時46分に、毎年手を合わせる母子寮の跡地にある祠に、佑一さん宛の手紙を持って現れた。佑一さんに会うことはできなかったが、取材班がその手紙を預かり、佑一さんに届けると、佑一さんも、岡本さんに会いたいと考えていた。
そして2人は再会を果たす。思いがけない家族の真実へとたどり着く形はなくとも記憶の中で帰ることができる、もう1つの家…「神戸母子寮」の25年にわたる軌跡を描き、人の絆の強さを伝える。