“スーパーボランティア”として注目を浴びた尾畠春夫さん(79)を追ったドキュメンタリー番組『尾畠春夫 人生は恩返し ~スーパーボランティアと呼ばれた男~』(テレビ大分制作)が、フジテレビで11月27日(深夜2:50~3:45)に放送される。

  • “スーパーボランティア”と呼ばれる尾畠春夫さん

昨年8月、山口県で行方不明となった2歳の男の子を無事救助し、“スーパーボランティア”として脚光を浴びた、大分県在住の尾畠さん。テレビ大分では、11年の東日本大震災の取材で尾畠さんと出会い、現在まで取材を続けている。

脚光を浴びてもひたむきな姿に変わりはなく、取材を始めた当時から被災地に迷惑をかけないようにと、車に必要な食料や水を積み込んでボランティアに駆けつけ、車中泊をしながら活動を続ける姿を見続けてきた。

男の子を無事救助したことに加え、長年取り組んできたボランティアの活動も称賛され、“スーパーボランティア”と呼ばれるように。この言葉は、18年の新語・流行語大賞のトップテンに選ばれたが、当の尾畠さんはそう呼ばれることに対して「わしはスーパーでもコンビニでもない」と答えるのが定番のジョーク。表彰式は辞退した。「私は一ボランティアで、一尾畠春夫」と話し、脚光を浴びたとしてもその姿勢に変わりはない。

こうして世間が称賛する中、長年取材してきた立場だから伝えられる尾畠さんの姿があるのではないかと感じ、撮影を続けてきたテレビ大分。尾畠さんの行動の真意を探ることで、1人1人がボランティアについて考えるきっかけになるのではと思ったという。

  • 山口県で行方不明となった男の子を救助し、一躍時の人に

いつも明るく振る舞う尾畠さんだが、実は貧しい家の事情で子供の時に農家へ奉公に出された苦労人。それでも、人の親切に触れて成長し、営んだ鮮魚店は地元の人たちに愛されてきた。趣味の山登りがきっかけで“登山道整備のボランティア”を始め、そこで培った経験がやがて“災害ボランティア”に生かされていく。

尾畠さんがボランティアに汗を流すのは、これまで自分を助け支えてくれた人たちや、社会に対する恩返しをという思いがあるから。男の子の捜索に向かったのも「困った人の役に立ちたい」という思いからだった。

男の子を無事発見したことで、尾畠さんの生活は一変することになる。多くの人から称賛され、表彰も相次いで受けた。取材も殺到したものの、脚光を浴びるのは人生で初めての経験で、生活が一変して自分のペースが保てないいら立ちから、ストレスを感じることもあるという。尾畠さんは「“スーパーボランティア”、あれがなければ最高にいい年だった」と語るが、これもまた勉強と前を向く。自分はこれまで通りであり続けたいと感じていた。

  • 西日本豪雨の被災地で災害ボランティア=2018年8月、広島・呉市

そして、夢に挑戦する気持ちも変わりはない。これまでにも徒歩の旅をしていたが、今年1月には“東京から大分までのおよそ1100kmの徒歩の旅”に挑んだ。「長年の夢」だったと語るこの旅だったが、“スーパーボランティア”の挑戦に世間の関心は高まり、各地の沿道には人が殺到することになる。混乱を避けるため、尾畠さんは旅を1カ月余りで断念せざるを得なかった。旅の目的は「子供たちの幸福を願って歩く」ということ以外、多くを語らなかった尾畠さんだったが、番組では歩きの旅に込められた真の思いが明らかとなる。

番組では恩返しに生きる尾畠さんの半生を、11年からの秘蔵映像や関係者の話、取材を続けてきたディレクターの思いを交えて伝える。

  • 東京から大分までの約1,100キロの徒歩の旅に挑む=2019年2月

テレビ大分報道部の白井信幸ディレクターは「取材を始めて8年。私は尾畠さんが“スーパーボランティア”となる様子をずっと見続けてきました。これまでは知る人ぞ知る尾畠さんの活動でしたが、今では全国に知れ渡りました。尾畠さんはこれまでの取り組みもさることながら、明るい人柄やエピソードも豊富とあって、取材が殺到。一方で、私はこの熱狂に違和感もありました。そうした気持ちが芽生えたのは、これまでの取材を通して尾畠さんの見返りを求めず、陰ながら人を支えたいという思いにずっと触れてきたからだと思います」背景を説明。

その上で、「単なる“スーパーボランティア”や“人気者”として伝えることでいいのか。取材を続けてきた私たちだからこそ尾畠さんの真の思いを伝えなくてはと撮影に臨みました。支援に汗を流す姿を通して尾畠さんは今、多くの人に共感を与えていますが、実は尾畠さん自身も人から受けた善意に影響されてボランティアを始めました。番組を通じて善意の輪がさらに広がることを願っています」と話している。