JR西日本は11日、初代・大阪駅の工事開始から2代目・大阪駅に至るまで、今回初公開という貴重な写真も含めて紹介する計16枚のポスターを大阪駅桜橋口の中2階通路に展示し、報道関係者らに公開した。
初代・大阪駅については、これまで駅舎完成後の写真のみ公開されていたが、今回、工事開始から駅舎完成までの写真が新たに発見されたという。報道公開では工事写真の発見と大阪駅での展示に尽力した西城浩志氏、高橋健司氏による解説も行われた。
発見された写真は、初代・大阪駅駅舎の建設に携った英国人技師、ジョン・イングランドの旧蔵写真。初代・大阪駅は大阪~神戸間の鉄道開業にともない、1874(明治7)年に開業。初代駅舎は現在の5代目駅舎から西へ約250mの場所にあったとされる。
当初、大阪駅の建設地として「梅田案」と「堂島案」があり、最終的に京都への延伸を考慮して「梅田案」が採用されたという。当時、梅田は水田や畑、墓地しかなく、現在とはまったく異なる環境であった。発見された写真では、田畑を埋め立てた砂の上に駅舎を建設する場面がとらえられている。
いまは大阪・キタの中心地として栄える「梅田」が「埋め田」に由来するという話はよく聞くが、展示された写真を見ると大阪駅周辺の成り立ちがわかり、じつに興味深い。ちなみに「梅田」は「梅」の字を用いているが、果樹園は少なかったという。
初代・大阪駅はジョン・イングランドのような外国人の力も借りつつ、1874(明治7)年に初代駅舎が完成した。初代駅舎には2つの特徴があり、ひとつは駅舎に立派な丸時計が設置されたこと、もうひとつは日本の鉄道駅で初というレンガ造りを採用したことだった。初代駅舎の写真からは、商都・大阪を代表する駅として、「立派な駅舎にしたい」という当時の人々の思いが伝わってくる。
やがて大阪駅に乗り入れる列車も多くなり、初代・大阪駅の開業から27年後の1901(明治34)年、2代目となる新たな駅舎が建てられた。
ところで、大阪駅の初代駅舎が建設された当時、大阪の人々は大阪駅を「梅田駅」あるいは「梅田ステーション」と呼んでいた。西城浩志氏によると、当時は「大阪」といえば難波をはじめとするミナミを指し、梅田は辺地であったという。人々は「梅田にある駅」という意味を込めて、当時の大阪駅を「梅田駅」と呼んでいたようだ。
大阪駅桜橋口中2階通路に展示された16枚のポスターは、「John England 旧蔵写真で見る初代大阪駅『梅田』は『埋田』だった」として、10月27日まで公開される。