きょう19日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上』(毎週木曜21:00~)では、脚本家・映画監督の三谷幸喜を特集する。

  • 『直撃!シンソウ坂上』に出演する三谷幸喜=フジテレビ提供

テレビドラマでは、『古畑任三郎』『王様のレストラン』『新選組!』『真田丸』などの脚本を担当し、舞台では『オケピ!』『日本の歴史』などで作・演出、映画では『ラヂオの時間』を皮切りに、最新作『記憶にございません!』まで8作で脚本と監督を務めている三谷。彼が脚本を担当したドラマの歴代視聴率トップ3を懐かしい映像と共に振り返っていく。

そんな三谷がどのように育ってきたのかを探るため、彼の母親・直江さんに自宅で独占取材。一人っ子だった三谷は、母と祖父母、さらに年が離れたおじとおばら7人に囲まれて生活していた。大人たちの言葉が飛び交う家庭環境で育った三谷は、近所のおばさんに会えば「奥さん、よくお会いしますね」と大人びたあいさつをし、もらったお年玉の大部分をミステリー小説につぎ込むような少年だったという。

また当時、人形遊びに夢中だった三谷は、母の日のサプライズとして、直江さんに人形劇をプレゼント。それは、直江さんの部屋いっぱいに人形を配置して1つの“村”を作り上げたセットで、音楽や照明を駆使しながらストーリーを作り上げる大作だったという。三谷がおそらく人生で初めて行った舞台演出に、直江さんは感動して涙したという。

そして、三谷の才能を感じていた直江さんは、息子が当時憧れていた喜劇王、チャールズ・チャップリンに会うために、2人でスイスに会いに行くという驚きの行動に。スタジオでは、三谷が人形劇を企画した背景や、チャップリンに会いに行った際のてん末を語る。

三谷は演劇の世界を目指し、日本大学芸術学部演劇学科へ進学、そして在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げし、中心メンバーだった西村まさ彦、梶原善、相島一之は今なお活躍を続けている。今でこそ伝説の劇団として語り継がれている「東京サンシャインボーイズ」だが、旗揚げ当初は全く客が入らず、赤字運営だったという。

そこで三谷は、劇団の活動資金を得るためにテレビの放送作家のアルバイトを始めることに。しかし、企画会議では雰囲気になじめず積極的な発言ができないまま。一度は放送作家の職を投げ出し、無職状態に陥ったが、そんな不遇な時期に1本の電話が彼の運命を変える。それは、深夜ドラマながら人気を博していた『やっぱり猫が好き』(フジ系、88年~)の脚本のオファー。放送作家として結果を出すことができず、テレビの世界は向いていないと思っていた三谷だったが、この作品をきっかけに大ブレークを果たした。

さらに、担当する作品に「東京サンシャインボーイズ」の劇団員を出演させることで、劇団自体も有名に。しかし、人気絶頂の94年に「東京サンシャインボーイズ」は活動を休止する。スタジオで三谷が語った、活動休止を決めた際の思いとは…。

活動休止後、それぞれのフィールドで活躍していた劇団員たちは、活動休止から8年後に願わぬ形で再集結することになる。きっかけとなったのは、三谷と大学の同期で、劇団の中で最も頼りにしていた俳優・伊藤俊人さんの早すぎる死。三谷は、伊藤への思い、そして伊藤が亡くなった際の病室での驚くべきエピソードを明かす。

  • 三谷幸喜の母・直江さん

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