9月15日に放送されたNHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(毎週日曜20:00~)の第35回で、ついにベルリンオリンピックが開幕。阿部サダヲ演じる田畑政治率いる水泳チームの奮闘がクローズアップされてきた第2部だが、この回では陸上チームの健闘ぶりが称えられ、なんとマラソンで日本初の金メダルという快挙を成し遂げた! そこで、金栗四三(中村勘九郎)と二人三脚で、マラソン用の足袋を開発してきた足袋職人・黒坂辛作の三宅弘城にインタビュー。
ベルリンオリンピックで、田島直人が走り幅跳びで銅メダル、三段跳びでベルリン大会で日本最初の金メダルを獲得するなど勢いづいていく日本勢。マラソンでは、日本からエントリーした3選手のうち、孫基禎(がんばれゆうすけ)が金メダルに輝く。
苦節二十数年のメダル獲得に金栗と辛作は歓喜。金栗が孫選手を称えつつ「ハリマヤの金メダルばい」と辛作のこともねぎらい、彼を胴上げするシーンには、涙を禁じえない。
――金栗四三という選手は知っていましたか?
僕は中学でサッカーをやっていたので、「カナグリノバ」というシューズの広告を見たのを覚えています。スポーツシューズの有名ブランドは知っていたけど、それは聞いたことがなくて。でも、ラインは面白いなと思ったことが記憶に残っていました。それで、『いだてん』の情報が解禁になった時、ちょうど宮藤さんと一緒にいたので「金栗四三って、カナグリノバの人?」と聞いたら「そうそう」と言われました。でも、それがハリマヤさんの製品だったということは知らなかったです。
――辛作さんをどのようなキャラクターとして捉えましたか?
辛作さんは、典型的な下町の職人で、照れ屋がじゃまして、口は乱暴だけど優しい。短気でせっかちですが、自分の仕事にプライドを持っている職人で、僕はかっこいいと思います。
――辛作さんに共感する点はありましたか?
僕は13年間、葛飾区に住んでいて、ああいうべらんめえ調のおじさんがいるなかで、多感な時期を過ごしたので、すごく共感できるところもあるし、役者・三宅弘城としても、辛作さんのような職人でありたいと思っています。
僕も役者として「できない」とは言いたくないし、職人として監督や演出家の注文には極力応えたいと思うんです。たとえ無理な注文でも、どういうふうにしたらやれるかと考えてお芝居をする時もあるので、そういう意味で辛作さんとの共通点があるかもしれないです。
――ベルリンオリンピックの時は、ちょうど朝鮮が日本統治時代で、孫基禎は日本人としてオリンピックに出場し、金メダルを獲りました。「日本人だろうが朝鮮人だろうが、俺の作った足袋を履いて走った選手はちゃんと応援するし、勝ったらうれしい」と大喜びした辛作さん。きっと万感の想いがあったのでしょうね。
あの孫さんたちが走っているシーンは一番感動しましたし、泣けてきましたね。辛作さんとしては、自分が作った足袋を履いてくれているので、一緒に走ってくれたという気持ちになったんじゃないですかね。みんなが一丸となって応援していたし、みんなで感動しました。
――金栗四三役の勘九郎さんの魅力について聞かせてください。
すごくハートのある方で、そのハートで目一杯お芝居をされるので、一緒にやっていて感動します。リハーサルを何回かやり、本番になるとさらにそれを上回ってくる。そこも映像の面白さだとも思います。舞台は何回かやるので、良きところを探りながらやっていきますが、映像は一発勝負ですから。勘九郎さんも歌舞伎の方はロングランでやっていますので、それとはちょっと違う映像のお芝居を思う存分楽しんでらっしゃる感じがします。
――田畑政治役の阿部サダヲさんについてはいかがですか?
こんなにすごかったっけ? と驚きました。田畑政治役は彼にぴったりですね。普段の阿部くんは、しゃべる時はしゃべるし、グループ魂のMCをやっている時も、口のいだてんになったりしますから、ああいう要素が、もしかしたらあるのかもしれません。
また、台本を家で読む時、声を出さずに覚えていると聞いて、改めて感心しました。阿部くんも宮藤作品をよくわかっているし、きっと宮藤さんも阿部くんのことをわかっているから脚本を書きやすいというのはあるかもしれません。そして阿部くんがさらに台本を超えてくる。すごいバトルになったんじゃないですかね。
――最初に職人として足袋を作っていたけど、そこから金栗さんと出会って競マラソン足袋を作ることになり、まさに「瓢箪から駒」的に大成功した辛作さん。三宅さんも、人生において予想外の成功を収めたという経験はありますか?
成功したかどうかは別として、今僕が役者をやっていること自体がそうですね。僕はこれまで役者になりたいと思ったことは一度もなくて、ずっと音楽をやりたいと思っていた人間なので。でも、学生時代に趣味の合うメンバーと巡り会えず、大学3年の時、このまま就職するのかなと思った時、今僕が所属するナイロン100℃の前身である劇団健康の芝居を観て、衝撃を受けまして。バンド以外にこういう表現活動があったのか! と。
――そこから劇団に入られたわけですね。
チラシに「キャスト募集」と書いてあったので、履歴書を送ってオーディションを受けました。全く経験のないド素人だったし、そこで何をやったのか全く覚えてないのですが、合格の通知をもらった時は、飛び上がって喜んだ覚えがあります。そこから芝居の稽古と本番で全く学校に行かなくなり、どんどんお芝居にのめり込んでいきました。なので今、その頃の自分からすると、意図してないところにいるなと思っています。
三宅弘城(みやけ・ひろき)
1968年1月14日生まれ、神奈川県出身。ナイロン100℃に所属し、同劇団の公演の他、数多くの舞台や映画、ドラマに出演。音楽活動では、“石鹸”名義でパンクコントバンド・グループ魂のドラムを担当。特技は器械体操とボクシングで、NHK Eテレの幼児向け番組『みいつけた!』で、みやけマンとして人気を博す。近作のドラマは『監察医 朝顔』(フジテレビ)や『サ道』(テレビ東京)など
(C)NHK