世界最大のアイドルフェス「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」(8月2日~4日、東京・お台場青海周辺エリア、以下TIF)で3年連続チェアマンを務める元HKT48の指原莉乃にインタビュー。グループ在籍時から1人のタレントとしてテレビ番組に引っ張りだこになり、唯一無二の存在となった指原は、どのように今の自分の地位を築いていったのか。また、数多くのアイドルが存在する厳しい競争の中で頑張っているアイドルへのメッセージももらった。
――グループのメンバーという枠を超えて指原莉乃という1人のタレントとして活躍されるようになった転機についてどのように考えていますか?
私服衣装でテレビに出始めたときですかね。アイドルって1人で出始めの頃は煌びやかな舞台衣装で出るのが基本だと思いますが、なんとなく1人のタレントとして認知されてきたら舞台衣装ではなくなるんです。最近だと中井りかとかも私服衣装ですし、そこは1つの転機かなと思います。
――共演者の方が指原さんのコメント力や対応力を称賛される声も聞きますが、日々心がけていることを教えてください。
コメントするときにあんまり迷わないようにしています。「うわーどうしよう、あータイミングなくなっちゃった」っていうのが一番イヤなので、(コメントを)切ってもらえばいいやっていう気持ちで、編集頼みでやっています。
――いつ頃から求められている役割や進むべき道がわかっていったのでしょうか?
10代とかテレビ出たての時はすごい必死で、なんとか爪痕を残さないとっていう精神でやっていたんですけど、ある日、いや、そうじゃないかなって。番組の空気というか、「番組が面白かったらいいや」、「自分はしゃべれなかったけど、さっき収録したテレビ面白かったな」という気持ちになれたときに、あ、なるほどねっていう感じになりました。たぶん19歳とか20歳くらいだったと思います。もちろん必死に爪痕を残そうとするのは、今のアイドルのみなさんの戦い方として全然間違えていないと思うんですけど、今考えたらあの時期はしんどかったし、それを考えなくなってからすごく楽になりました。
――数多くのアイドルグループが存在し、たくさんのメンバーがいるグループではグループ内競争もあります。もがいている方もたくさんいると思いますが、指原さんからアドバイスがありましたらお願いします。
結局どこで抜け出るかっていうのはわからないじゃないですか。おニャン子クラブさんだって全員が全員、今の芸能界にいるわけではなく、ほかのところで幸せになっている方もいっぱいいて、芸能界だけが幸せではないので、広い目で言いますが、それぞれがいいタイミングで幸せになってほしいなって思いますね。幸せが一番なので。芸能界だけじゃないんだぞって。ここにしか幸せがないのかなっていうのは不正解で、いろんな幸せのなり方があるから、みんなに幸せになってほしいです。
指原莉乃
1992年11月21日生まれ、大分県出身。2007年10月にAKB48第5期研究生オーディションに合格し、2008年3月1日に劇場デビュー。同年10月発売の10thシングル「大声ダイヤモンド」で初選抜入りを果たした。2012年6月にHKT48に移籍後、2013年の第5回総選挙で第1位となり、32ndシングル「恋するフォーチュンクッキー」で初センターを務める。2015~2017年の総選挙で前人未踏の3連覇を達成。2019年4月に11年間のアイドル人生に幕を閉じた。現在はさまざまなバラエティ番組で活躍し、アイドルグループ・=LOVE(イコールラブ)と≠ME(ノットイコールミー)のプロデュースも手掛けている。